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2014年12月11日 (木)

荒廃国から・・・

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自業自得だが、ウクライナ中東において謀略と暴虐の限りを働いているアメリカの国際的信用度が失墜し、相対的にプーチン・ロシアの信用度が高まっている。

とりわけ大きいのが、ロシアと中国の接近である。アメリカの強引なロシア制裁が、結果としてロシアと中国の蜜月関係を促進させた形だ。5月のロシアから中国への総額およそ4000億ドル超の長期天然ガス供給契約の調印、7月にはBRICSが新開発銀行設立に合意。10月には1500億元の通貨スワップ協定にも調印し、これにより国際エネルギー取引の歴史上初めて、ドル無し元建てでの決済が両国間でなされた。

これは最初の一歩に過ぎないが、これら一連の動きは今後世界的なドル離れ、アメリカの一極覇権主義的世界支配の道具に堕しているIMF・世銀離れの流れを加速させていくだろう。(しかも国家主席就任前より米戦争屋勢力に近しいと思われていた習近平が、今までが面従腹背で機を窺っていたのか、それともアメリカの極悪非道なやり方に愛想が尽きたのかは分からぬが、ここに来て親露にシフトしたことの意義は、日本にとっても少なくない。)

実際ウクライナのネオナチ・クーデター政権やイスラム国(ISIS)の暴虐の裏でヌランドやらマケインやらがコソコソ暗躍していたことが次々と暴露されて、国際社会がドン引きし始め、中露の接近(加えてドイツ=EUの離反の兆し)でみずからの立場が危うくなり始めると、宗主国アメリカ様の焦りぶりは尋常ではないようで、一番の隷属国家の人心だけは引き留めておこうと、子飼いの奴隷マスメディアによる情報統制を強めるとともに、奴隷コメンテーター達にも一層激しくハッパをかけ始めたようである。

さあ唱えろ、刷り込め。何度でも。前より激しく・・・
「中国きら~い、中国きら~い」
「ロシアこわ~い、ロシアこわ~い」

小笠原諸島近海で以前から散見せられていたらしい中国籍のサンゴ密漁船が、この10月以降なぜか急激にその数を増やした。と同時にテレビの報道・情報番組は「サンゴが・・・、サンゴが・・・、サンゴが・・・」と連日大変熱心な取り上げ方で、日本の領海を他国密漁船の横行から保護しようというその報道姿勢は大変良い心掛けであるが、マスコミも普段このぐらいの熱心さで内政問題にも当たってくれたらなあと思ったものである。

オレがこのサンゴ密漁船のニュースを最初にテレビで見たのは10月24日の『報道ステーション』で、その日のゲストは外交評論家の岡本行夫であった。中国船籍の密漁船が増え、このままでは貴重な海底資源が破壊されてしまう危惧がある事、すでに逮捕者も出ているが、
海上保安庁は巡視船を東シナ海に重点配備しているので現状では巡視船の数が足らず、政府は対策を講じる必要がある・・・等々と、元エリート外交官らしいいつもの落着いた口調で、坦々と解説を加えていたのだが、持ち時間がそろそろ終了して次のニュースに移ろうか・・・という丁度その時に、何を思ったのか急に「中国ってのはヒドイんですよ!」(“中国船”でない点に注意)とあらためて身を乗り出してまくし立てたので、こちらがビックリしてしまった。

「こーんな大きな船で来て、ゴッソリ持って行くんですから!」と続けた訳だが、おそらく持ち時間終了直前になって、自分の仕事振りが御主人様から見て不充分だと思われはしないかと、急に不安に駆られたのであろう。

この岡本の普段とは微妙に異なる躍起ぶりから見ても、近況奴隷どもの尻を叱咤しているのであろう彼らの御主人様の焦りが窺い知れるのだが、岡本よりも奴隷としてのキャリアの浅い成り上がり奴隷の弁護士・八代英輝などは、『ひるおび!』でこれはちょっとハッキリ覚えていないが確かG7の話を皆でしていた時でなかったかと思うが、やはり前後の会話の脈略にまったく関係ないタイミングで急に思い詰めた表情で席から身を乗り出し、「ひとりすごくイヤな奴がいるんです。ラブロフって奴なんですけど!」と絶叫して周囲を驚かせ、司会の恵に「今なんで急にテンション高くなったんですか?」とたしなめられている滑稽さである。

「先生ぼくうんこ漏れそうです。トイレ行ってもいいですか?」じゃあるまいし、それを言うのが与えられたミッションだったのであろうが、後で御主人様に叱られる場面を想像しつつその台詞のことだけを思い詰めて考えているから、おかしなタイミングになるのである。

かくもかように奴隷という生き物は、高額な報酬と引き換えに悪魔に魂を売り渡したその惨めな生き様の醜態を、日々われわれの前に晒してくれているが、その奴隷の語る法螺(ほら)話をテレビの前で頷きながらありがたく拝聴している一般国民は、奴隷以下の家畜存在だということになる。

密漁船のニュースをやること自体は別にいいが、NHKの『ニュースウォッチ9』は、APECで僅か25分間の中身に乏しいものだったにしろ安倍晋三と習近平との間で日中首脳会談が2年半ぶりに実現した11月10日、その首脳会談のニュースの直後に、わざわざそれに水を差すようにまたサンゴ密漁船のニュースを、しかもいつも以上に執拗に念入りに、メーンキャスターの大越健介がヘリで小笠原上空を飛んだり、中国の浙江省や福建省の漁港からのレポートを交えたりしてやっているのを見ると、この放送局は一体日中関係をどうしたいと思っているのだろう、と訝しんでしまう。つまりサンゴを守ることが彼らの第一義の目的ではなく、他の別な理由の為にサンゴ密漁船を追いかけているように見えてきてしまうのだ・・・。

家畜を家畜たらしめるには思考力を奪うのが一番の方法だ。それには仮想敵を与えてやるのが最も良い。繰り返し繰り返し刷り込ませてやれば、いずれ家畜は仮想敵に向かって突進していくだろう。それが自己実現の方途だと信じて。自分が家畜だとも気付かずに・・・。





田中宇氏が『プーチンを強め、米国を弱めるウクライナ騒動』とブログ記事に題していたのは、3月9日の時点である。その時は(果たしてそうなるのかな・・・)と 半信半疑の感であったのが正直なところだった(日本の偏向マスメディアの伝える報道は、まるでその真逆のような印象報道ばかりであったから・・・)が、その後世界は事実その通りに、しかも目覚ましいスピードで動き出している。

そのなかでこの日本だけがなにか異質な空間を形成し、滞留しているかのような感覚なのである。あたかも比重の異なる気体の二層分離形成の如く、重く澱んで凝り固まり滞留しようとする気層と、その外周で活性化し、烈しく流動し始めた気層との、著しい分離・隔絶状況の呆然たる対照である。

日本は宗主国アメリカの奴隷マスメディアのコントロールする、情報統制国家である。宗主国の政治・経済的劣化と歩を合わせるかの如く、その劣化の進行度は今や猖獗(しょうけつ)を極めている。安倍晋三内閣発足直後から、政権と大手マスメディアが結託し、「アベノミクス」という造語の下に、実態の無い、というよりむしろ実態隠しのまさに全的な「広告代理店政治」が展開された。これはかつて類例のない、もはや政治とも呼べないような類の代物であり、小泉時代でもこれ程ひどくはなかった。

これは実に計画的なものであり、それはまず第一に「安倍政権は経済政策政権であり、景気と雇用を立て直すべく志向された政権である」というウソの徹底した刷り込みである。

その為に彼らが利用したのが株価である。アベノミクスの第一の矢とされたのは、「大胆な金融政策」であるが、金融緩和の本来の目的とは、それにより民間金融機関の貸出額を増大させて、景気を好転させることである。そして実際日本のマネタリーベースは2013年の1年間で45%増加し、日銀の目標通り200兆円を
超えた。しかしその大部分は民間貸出つまり民間設備投資の増加には繋がらず、したがって実体経済は思うようには好転しなかった。一方それは円安誘導の直接効果としての資産バブルすなわち株価の上昇となって現われる。

しかしこれらの結果は安倍政権が発足した2012年末の時点で、すでに充分に予測することが出来たものである。すでに日本は10年以上も前からいわゆる「流動性の罠」の状態に陥っているという指摘もあるが、実際金利面の要因以上に大きいのが、日本経済全体を覆っている根本問題としての「リスク要因」である。

一般家計の給与所得水準が長らくダラ下がりの傾向で、非正規雇用も増え、人口減少には歯止めがかからず、国の社会保障制度は信頼が薄れて、将来の先行き不安から国内市場全体の需要が先細り傾向にある為に、企業も個人もお金を使いたくても使えない状態に在るというのが、今の日本の根本問題なのである。これらの「リスク要因」をひとつひとつ取り除き解決していくことこそが政治の役割であり、それなしに日銀がいくらジャブジャブ市場に金を流したところで、企業は設備投資を控えるし、実体経済が好転する訳がない。消費増税後ガタ落ちしたのは当然である。 

一方株価は上昇する。政府とマスメディアは当初から、この株価上昇を「アベノミクス」というイリュージョンを大衆に信じ込ませる為のプロパガンダの道具として、最大限に利用した。

昼夜を問わずテレビの画面には株価指標の動向を見てほくそ笑む街場の個人投資家の表情が連日映し出され、それと並行してウソも百遍言えばホントになる、とばかりに「景気が良くなった」「景気が良くなった」という刷り込みが報道・情報・バラエティー番組を問わずCMでも、2013年春当時流れていたサントリー『ボス・ブラック』のCMでは、「この惑星の住人は、少し景気が良くなると、すぐ調子に乗る」と、嘲笑を加味しつつの早業の既成事実化である。

マッカーサーを想起させるパイプを咥えた西洋男の顔のイラストに“BOSS”と冠したこの缶コーヒーのCMで、宇宙人ジョーンズのうそぶく「この惑星」とは、勿論この日本のことなのであり、「この惑星そろそろ滅ぼすか」「いや、まだだ」などとやりながらジョーンズは毎回露悪的な変態をして見せるわけであるが、パチンコマルハンの日の丸凌辱CMほど露骨ではないにせよ、電通のいわば視聴者に向けてニヤつきながら精液をすっ飛ばしているような公開オナニーのようなものである。
そしてこの公衆の面前で醜いイキ顔を晒すしか能の無い五流黒魔術集団・電通に、丸ごと牛耳られているのが日本のマスメディアという訳だ。

第二、第三の矢については言わずもがな。「機動的な」財政出動と言いながらやっているのは旧態依然の公共設備投資ばかりであり、それでなくとも震災復興と東京オリンピック需要で人材不足と原価高騰に苛まれている建設業界に追い打ちをかけ、却って地方公共事業や民間住宅設備投資等にブレーキをかけている有様だし、「成長戦略」についてはまだ何もしていないが今後の目玉は非正規雇用拡大の為の法改正と法人税減税で、これまたパソナと大企業を喜ばすだけである。

そしてこの政権の正体を如実に露わにした極めつけが、10月31日の日銀による追加金融緩和の発表である。すでに金融緩和が景気の好転に寄与する効果は極めて限定的であることは、この二年弱の期間で証明されている。しかもこの時点で、円安進行
による燃料価格と原材料価格の高騰が消費者物価の上昇をもたらし、消費税増税とのダブルパンチで、大規模金融緩和の弊害がハッキリと中小企業と庶民の生活に襲いかかっていたのである。そこに更に大幅に追加金融緩和するというのである。

これはFRBの肩代わり策であり、「アベノミクス」イリュージョンの生命線である株価浮揚策そのものであり、この追加金融緩和の決定はハナから実体経済の好転を期待して行われたものではないのではないか、と疑われても仕方が無い。中小企業と庶民はもっと苦しめ、という確信犯なのである。それとも黒田は本気で「期待形成のモメンタムを維持」すれば実体経済が好転するだろうなどと、いまだに信じているのか?すでに円はこの決定時の1ドル109円台から12月5日には120円台に下落した。今後もさらに下落していくだろう。

2015年度末の日銀のマネタリーベース目標額は355兆円となった。景気後退局面のなか、札だけが更に猛烈な勢いでジャブジャブと刷られ、FRBは量的金融緩和の終了に続き利上げを検討、という異様な光景が眼の前に現出しつつある。ここまで来れば、「アベノミクス」などというまがいものの正体が何で、一体誰の為に機動しているのか気が付かなければ嘘である。

安倍政権が経済政策政権であるとするならば、その経済政策とは「一般家計からグローバル大企業・大資本・富裕層への再配分政策」なのであり、それはこの総選挙で自公政権が信任されれば、今後もさらに強化され継続される。安倍自身がいまだ選挙戦において「この道しかない」と強弁しているのである。

「自分の処では景気が良くなったという実感は“まだ”無い」などと言っているうちは、“まだ”マスメディアの洗脳術の内に縛られているのであって、そんなものはいくら待っていても永遠にやって来ない。永遠に与えられることのない架空のアメを夢見させられながら、虚空に向けて口をぽかんと開けている、家畜の群れだ。

そしてその家畜の耳に狙いを定めて、またあの我慢ならない嬌声が飛んでくるのだ。子供向けの紙芝居のような口調が、それだけでも充分耳障りなNHK『ニュースウォッチ9』のナレーションが、黒田電撃追加金融緩和発表のその日、お祭り気分の浮かれた口調でそのニュースを伝え出し、株式市場はフィーバーだ、日経平均の終値は前日から755円高の16,413円だ、およそ7年振りの高値更新だ、とはしゃぎまくった果てに、シメは大入り袋を配られた証券会社だか証券取引所の社員達の上気した表情の笑い合うカットだ。取って付けたような後段の解説などは実はどうでもいいのだ。家畜の目と耳に何が残るか、計算ずくで構成しているのである。

そしてどういう理由なのかは知らないが、12月8日、7-9月期のGDPの改定値が公表され、大方の予想を裏切り年率換算でマイナス1.6%からマイナス1.9%に更に下方修正されたというこの重要なニュースの場合は、『ニュースウォッチ9』でもその前の7時台のニュースでも封殺されるのである。

NHKは正真正銘の悪魔の集団である。皆殺しにしても殺し足りないほどに底無しに腐りきった悪魔集団、それがいまのNHKだ。




マスメディアの作り為す抑圧された言論空間が、重苦しい滞留感となってわれわれを取り囲み、外周から隔絶させている。その内積された目に見えない圧力が、突き破ってやりたくなるような衝動を、われわれに感じさせるのである。それは今はまだ微細な胎動のごとき状態を保ちながら、しかし確実にわれわれの内的感覚にその存在を示している。

この男は終局暴力を肯定しているのではないか?とこのブログを以前から読んで呉れていた人は、ここであらためて疑いを持つかも知れない。オレは2012年の総選挙の後最初に書いたブログ記事で、深沢七郎について触れながら、日本の戦後の言論空間はこれまでちょっと上品過ぎたのではないか、もっと「ゲヒン」であるべきだ、というような考えを述べさせてもらった。今また再びそのことを考えているのである。少し熟考してみたいので、再び中沢新一の『野生の科学』の、「デリケートな分類」という深沢七郎論の主要部分をここに転載してみよう。


「未開人と農民は分類を好む」というのは、ある有名な人類学者のことばであるが、深沢七郎もまるでその未開人や農民のように、たえず世界を細かく分類しながら生きていたようなところがある。

その分類の仕方はとてもデリケートで、しかも絶対的な正確さをもって遂行されていたので、そのやり方に慣れていない人は、目の前で手際よく世界が分類されていく様子を見ては、ただ呆然とするばかりだった。それはたとえばこんな風におこなわれる。


武田泰淳先生のお宅へ行った時だった。

「野球は好きですか?」

ときかれた。

「野球は嫌いです。上品すぎて」

と、正直にお答えした。

「そうかなあ、上品すぎるかなあ」

・・・

「レスリングなどは好きですか?」

と、奥さんがおっしゃった。

「あれは、乱暴だから、嫌いです」

と答えたが、好きなものを云わなければいけないと思ったので、

「スポーツでは、やっぱり、ギターが好きです、ゲヒンでいいですね」

と云うと、

「スポーツですか? ギターは」

と、ききかえされたので、まずいことを云っちやつたものだと後悔した。

(「言わなければよかったのに日記」)


この会話には、深沢七郎の実践している世界の分類学の、重要な特徴がすべてしめされている。

野球は上品すぎて、好きになれない。野球はサッカーなどと違って、プレーヤー同士の身体は、いつも十分な距離をもって分離されている。ボールも直接足で蹴ったり、手でつかんだりするのでなく、バットで打ち、グローブでつかむ。野球ではすべての行為が、道具によって媒介されていて、身体の直接性はできるだけ上品に制御されている。だから、野球は上品すぎるのであり、ことばの制御に人生を賭けている文士や詩人などは好むかもしれないが、逆にそこが深沢七郎にはつまらないスポーツと思えるのである。

その逆にレスリングには媒介が少なすぎる。身体と身体が直接激突しあい、相撲の場合のような儀式性や形式性が乏しくて、身体の動き回れる範囲に加えられる制限が、極端に少ない。形式性が乏しいと、そこには身体を律する論理性が乏しいということになるし、あとで言うように音楽性が乏しいことになる。そんなやりかたでは、スポーツが限りなく喧嘩に近づいていってしまう。その意味で、レスリングは乱暴で、趣味に合わない、と言うのであろう。

だから「スポーツと言うならギター」なのである。ギターを弾く指の動きを、深沢七郎は「スポーツと同じ」と言っている。指が直接に弦を弾いて音を出すのがギターという楽器である。たしかにギター演奏をしている人は、地面を直接に蹴り立てて走る短距離走者や、リズムをつけて地面を蹴っていく三段跳びの選手や、ボールを直接に足で受けて思ったところに正確に蹴りだすサッカー選手の身体がしていることと同じことを、指先でやっている。物質世界(楽器のこと)に直接身体の一部をこすりつけるギター演奏は、その意味では、まぎれもなくスポーツの仲間なのである。

しかし、ギターは物質との間にたくさん媒介を挿入する野球のように「上品すぎない」し、媒介と形式性が乏しいレスリングのように乱暴でもなく、人の知性と身体の動きとが、ちょうどよい近さとバランスで媒介されながら触れ合っている。だからこそ、ギターは「ゲヒン」で、すばらしい楽器なのである。深沢七郎の「ゲヒン」という分類の範噂は、おそろしくデリケートで深い内容をもっている。

深沢七郎によると、ピアノは上品すぎて、つまらない楽器である。なにしろピアノは最初から調律されている弦を、ハンマーで叩いて、音楽を出すのであるから、土台からして知的で面白みに欠ける。これにたいしてヴァイオリンは弦をこすって音を出すという点では、ピアノよりもはるかにエロチックで「ゲヒン」である。

しかし深沢七郎のデリケートな感覚からすると、「こする」よりもギターのように「はじく」楽器のほうが、出てくる音に粒子性があって、より好ましい。それにヴァイオリンは早くからクラシック音楽家に目をつけられて、上品な曲ばかり演奏する楽器に洗練されてしまった。そこへいくとギターの名曲などは、ほとんどすべてが酒場で演奏され、それに合わせてフラメンコダンサーが踊るための音楽である。エスタブリッシュすることを拒否するギター。いつまでも「ゲヒン」のままでいようとするギターは、それゆえ深沢七郎の分類学において、最高のランクに位置づけられることになる。


(「デリケートな分類」(『野生の科学』)より、部分)



つまり深沢七郎は、「上品」と「乱暴」のあいだに、「ゲヒン」を中立させている。現在のマスメディア言論は、大小種々のプレスコードにがんじがらめになっていて、テレビのバラエティー番組でさえも、「上品」な言論ばかりだ。しかもそれは「乱暴」による支配をその内側に秘め持った「上品」なのであり、結果「乱暴」のカモフラージュとしての「上品」という、非生産的な、抑圧され滞留する重苦しい空間を作り為している。

一方後発のネット言論の方はどうであろうか。その自由度はマスメディア空間よりも圧倒的に高いし、情報量も多く、可能性は無限とも思えるほどだが、しかし現状はその精神性においてやはり「上品」の域を出ていないものがほとんどなのではないだろうか?つまりいつの間にか無意識の精神的集合的プレスコードの如きものが形成されて、発言者を自発的に抑圧するのだ。そこでは「媒介が多過ぎる」。

そして一方ネット言論では「乱暴」で幼稚な言論もまた多いというのも事実だ。「乱暴」を「上品」が非難し、それにまた「乱暴」がやり返す・・・。もちろん批評の応酬というのは言論においてあって然るべきだが、その内容を吟味してみると、マスメディア空間の場合とではその関係性こそ微妙に異なるものの、やはり「上品」と「乱暴」との形成する非生産的空間がその主流を為しているように思える。「ゲヒン」というのは、やはりなかなかデリケートで難しいもののようだ。

阿修羅掲示板は、2012年の衆議院選挙以降、やはり少し元気が無くなったように思う。直後は不正選挙ネタで沸いたが、しかしこの問題自体がそれへの接し方で態度を二分するものでもある。政治板のなんとなくの減衰と相対して、ランキング上位に常に目立つようになって来たのがカルト板を独壇場とするポスト米英時代氏の投稿だが、ポスト氏の言論は深沢七郎的に実に「ゲヒン」である。

それはスケベ親父ネタやギャグが多いという理由だけではなく、氏の文体が深沢七郎的に“音楽的”である、という理由にも依拠している。氏の文章については阿修羅掲示板を参照してもらうとして、深沢七郎文学の持つ音楽性については、中沢は以下のような深沢の会話表現のなかにその典型があるとする。


甲州方言の言い回しは、がいして簡略だが、反復が多くてくどいところがある。その特徴は、深沢七郎の作品のいたるところにあらわれているが、とくに『笛吹川』のような作品では、そのことがまるで小説の主題ででもあるかのように、いきいきと活写されている。

「わしゃ、西山の湯に行かせてもらいてえよう」

と云った。定平が黙っているとおけいはまた、

「わしゃ、ボコが欲しいよう、西山の湯へ行けばボコが出来るかも知れんから」

と云うのである。定平はおけいが甲府の方ばかりを眺めているわけが始めて解ったのだった。(甲府の方を見ていると思ったら、西の空を眺めていたのだ)と思ったので、

「行って来ればいいじゃねえか、ひと月ぐらい」

と云うと、おけいはにっこりして、

「ようごいすかねえ」

と念を押した。下を向いたまま、

「わしゃボコが欲しいよう、ボコがねえからあんなことを云われて、いやだよう」

と云った。また、

「ボコがなきゃ困るよう」

と、くどく云うのである。   (『笛吹川』)

・・・・・・ひとつのフレーズが、そのままで、あるいは少しだけ変形されて、何回も繰り返されているうちに、そこには自然に音楽が発生する。


(「デリケートな分類」(同上)より、部分)



2012年衆議院選挙の終了後、言論空間はもっと「ゲヒン」にならなければならないのではないか、と考えていたオレとすれば、ポスト氏のその後の精力的な御活躍はまさに我が意を得たり、というか至極当然だろうという感じなのであるが、2012年衆議院選挙における巨大不正選挙という、ある種われわれの蓄積した平常生活実感を超えるものとして出現した超越的な暴力性のようなものに対処する為の技芸として、氏の音楽的「ゲヒン」さを備えた文体が他者に優って持続的な有効性を維持し続けたという事には、なにか意味があるのである。

殊にウクライナ詐欺でもイスラム国詐欺でも香港デモ詐欺でもアレもコレも誰でも中学生でも過去問レベルで5秒で正解が導き出せる「またお前かー」の法則(笑)を打ち立てた功績は多大である。つまり経験則と直観をほとんど無媒介に近い(厳密にはマスコミという反面教師のフィルターを媒介する)方法でダイレクトに接続するそのやり口が、「乱暴」ギリギリに「ゲヒン」なのである。

「ひとつのフレーズが、そのままで、あるいは少しだけ変形されて、何回も繰り返されているうちに、そこには自然に音楽が発生する。」 隔絶され抑圧され滞留していた空間のなかから、微細な胎動の如きものが生じ、やがてそれは繰り返し繰り返されるフレージングのさざ波となってモチーフを形成し、次第に大きなうねりとなっていく・・・。「ゲヒン」のウェーブだ。しかしそのウェーブはマス・レベルにおいてはいまだ声無き声、未出の声なのである。何かがまだここには足りないような気がする。主旋律を貫いて屹立する、烈しいビートのようなものが・・・。




ポスト米英時代氏と並行してこの間オレがその発信に注目し続けていた人物がもう一人いる。2012年総選挙後早々に「俺の前で不正選挙の話をするな」とばかりに阿修羅との訣別宣言をしてこんにちに至る、誰あろう山崎行太郎氏その人である。

山崎氏が一連のSTAP細胞問題で終始一貫して展開していたのは、凡庸な「科学主義」者達の「イデオロギー論」からのバッシングに対する、「科学」への「存在論」的思考からの全的擁護であった。多くの日和見的知識人が沈黙するか世論迎合的発言に終始するなかで、氏はこの問題に果敢にダイブし、そしてわれわれを瞠目させたのである。その孤高かつ勇猛果敢な言動を内側で衝き動かしていたのは、社会全体を覆い尽くす単純で安っぽい「倫理」や「道徳」を振りかざす思想的退廃への、烈しい嫌悪である。氏の立場からしてみれば、不正選挙について云々することなども、ある種の思考停止への退廃として映っていたのだろう。

合理主義とは何か?合理主義も一種の非合理主義である。つまり、合理主義も、「主義」であるという点で、「非合理主義」なのである。これは、科学と科学主義の差異についても言える。以下は、小生の処女作『小林秀雄とベルグソン』より 。「矛盾にぶつからない思考が合理的なのではない。矛盾にぶつかることを恐れない思考が合理的なのである。つまり矛盾に直面しない思考とは、中途半端な思考であり、いわば矛盾することを恐れて、問題を回避した思考なのだ。」・・・。

2014.11.03 哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』より、部分)



「安っぽい倫理主義」とは何か?単純素朴な道徳主義である。文化のダイナミズムが衰え、文化の生命力が衰退すると、必ず、「安っぽい倫理主義」が蔓延る。そして幼稚=稚拙な思想や思想家が蔓延る。今の日本が、まさにそうである。「悪」や「生命力」「自然」と向き合う精神が欠如し、単純な「倫理」や「道徳」を振りかざし始める。

・・・・・・・

「イデオロギーから存在論へ」ということである。物事を「善悪の尺度」でしか見ないイデオロギー的思考は貧しい思考である。ニーチェ的な「善悪の彼岸」的思考こそ、本物の思考(存在論的思考)であろう。

2014・11・26 同上より、部分)



ここには、ポスト米英時代氏の言説に欠けていたものを充たす為の重要な鍵が、示唆されている。ポスト氏の言説は素晴らしく素敵に小市民的(笑)に「ゲヒン」だし、今のままで行って欲しいと思うが、しかしこの「ゲヒン」という語法には、深沢七郎的な、“魔術”的ともいうべき逆説が秘められているのである。 「ゲヒン」とは、つまり“ elegant な violence ”の謂いなのである。

「上品」は媒介が多過ぎて、表面的にはもっともらしいけど何だかウソっぽくて生命力に欠ける。逆に媒介がほとんど無くて直接的に暴力的な「乱暴」も、非生産的であるという点では、「上品」と似たようなものである。しかしその中間に深沢七郎は「ゲヒン」というカテゴリーを“中立”させる。

こんにちこの日本でこの“中立”という言葉ほど、その言葉の本来の意義から疎外されている言葉もないのではないか、と思うほどである。- いずれにも偏らずに中正の立場をとること。いずれにも味方せず、いずれにも敵対しないこと(広辞苑)。ここから派生してくるのは、日和見的な、当事者意識の欠落した事なかれ主義の、スタティックな形態であろう。

しかしそうではない。本来“中立”とは、文字通り「中に立てる」、すなわち未生のカオスのなかから存在の極点としての中心を屹立させる、極めて「存在論」的にアクティブでダイナミックな仕業のことを意味するものなのである。

お茶を立てる。庭を立てる。おそらくわれわれ日本人にとってこの「立てる」という仕業こそが、中世より古代、そして「記紀」編纂以前のはるか先史時代を貫いて、その集合的「存在論」的思考の、核心部分に位置するものなのである。

そしてわれわれはそのような「存在論」的核心的仕業にこそ人事を尽くさんとする、ひとりの稀有な政治家の名前を知っている。

小沢一郎は、今回のこの急な選挙戦のなかでも野党勢力を結集した新党結成実現の為に水面下で尽力した。安倍晋三の ー 今なら勝てる。今なら野党は小選挙区の6割程度しか公認が固まっていない。安倍政治の正体が国民にバレないうちに ー という理由しか無いこのなんという個利個略解散。しかも解散から公示日までは過去最短の11日という異例の短さだ。

それでも小沢は大同団結の野党統一戦線が出来れば勝てると踏んでいた。その為には党の解党も当然いとわなかったし、自分一人は無所属になってもいいとさえ周囲に伝えていた。結局統一戦線は実現することは出来なかったが、最低限の野党間の候補者調整は出来た。これも小沢がいなかったら多分実現していなかったであろう。

自分はいま弱小政党の党首に過ぎず、しかも官・マスコミによる人物破壊工作の影響で、多くの国民に嫌われている。自分には資格が無いけれど、「誰かが既成政党の枠から飛び出して「この指とまれ」と言ったら」(小沢)、自公に拮抗する、政権交代可能な勢力が現出する。滞留していた世界が、一気に活性化して動き出す。その為なら、自分の存在は見えなくなってもいい。

「さあよく見ろ、ここが世界の中心だ。」 - それは存在の極小点として虚空に示される、屹立した“無”だ。それがひとびとに知覚された途端に、重く澱んで滞留し
ていた気層に活力が充ち、世界が動き出し、“有”へと一斉に湧出し始める。極点を経巡って湧き上がる力と力とは拮抗し、分岐する・・・。

誤解を恐れずに言えば、小沢一郎にとってそのような創造の奇跡を実践して見せることこそが、「存在論」的な政治家としての彼の第一の本懐なのであり、その時彼自身が拮抗する勢力のどちらの側に属しているかという問題は、それほど重要ではないのだ。

しかし今回この小沢一郎の崇高な理念は、残念ながら民主党と維新の党の凡庸な指導層の政治家達には充分に理解されることが成らなかった。橋下徹などは、やたらと民主党に噛みついて、率先して共闘ムードをぶち壊している。




だからやはり「プーさん、元さん、がんばって」の他力本願だけでは、事態は好転しないと思うのだ。思い返せば2月の都知事選の当時は、「立ってるものなら小泉でも使え」というような絶望的状況であったが、所詮「俺女の首絞めないと立たんのよね」という宿悪により連中に縛られている男に限界状況を突破するような力もその気も無い訳であるが、しかし
実際この安倍というアンポンタンをいつまでも首相の座に置いておいたら、日中戦争の悪夢もいつ現実のものになるや知れぬ、という危機感もわれわれにはあった訳である。習近平がおそらく転向したのではないかと思われる現況、当面その危機は薄らいだが、しかし無くなった訳ではない。中国国内でも権力闘争の暗闘はある。

当時から比して国内情勢が好転していると思える要素は無い。今のこの国は、アメリカに対しても、中露に対しても、こちらから何らの積極的な意思表示も出来ない小児的な国家に陥ってしまっている。それが一番の問題なのである。そればかりではない。国民も小児化が進行し、政治に対して意思表示することすらみずから進んで放棄しているかの如きである。


テレビの“街の声”を見ていると、能天気な20代のにーちゃんねーちゃんは別として、「政治にはもう何も期待していません」「誰がやっても同じでしょ」(共にテレビ局の一番大好物の“おいしい”コメントだ)などと言って棄権を表明しているのは、年の頃30~50代くらいで「趣味は読書です」という感じの、自分ではすごく頭が良いと思っていて他人を見下してすらいるけど実は全然大したことなくて情弱ですらある、(タレントでいうとNHKの教養番組に出てるアレみたいな感じの)女に多いという感じで、<色気のない女は選挙を棄権する>という新・マーフィーの法則が導き出せそうな感じである。

世界情勢が多極化へと目覚ましく流動化し始めているなかで、このまま既得権益を維持する為の悪企みにしか頭の働かない最凶最悪の談合集団・マスメディアの流布する無気力で鈍重で滞留した空気感に同化して迎合し続けているうちに、気が付いた時にはわれわれ自身が世界の活性化を阻害する世界の癌、国際社会
の中の暗黒地帯と化している可能性すらあるのである。事実その兆候は経済・軍事の両面においてすでに見られ始めている。

当事者意識の欠落したスタティックな“中立”ではなく、今こそ本来の能動的で生産的でダイナミックな“中立”の回復が求められる。

此の世が神と悪魔との戦いの場であるとするならば、少なくとも現在この日本では、マスメディアというツールを掌中に収めた悪魔の方が、圧倒的に優勢な状況である。この状況を放置したままで、われわれは変われるだろうか。

神と堕天使ルシファーとの間に天で戦いが起きた時、天使の三分の一は神の味方をし、三分の一はルシファーの支持をしたが、残りの三分の一は中立であったと云う。そして西洋の精神史において古代から中世を生き続けこんにちにその血脈を伝え続ける聖杯探索の伝説でも、幾多の苦難を乗り越えて富の源泉たる聖杯に辿り着くことの出来る英雄は、この最後の中立の天使たちの流れを汲む者、つまり「善悪の彼岸」に立てれる者でなければならないというのだ。

この選挙の結果如何にもよるが、政治の荒廃がこのまま継続されるか更に深化する様な事態が現在予想されている。本来大衆社会におけるまさに中立的存在であるべきとされるマスメディアが、悪魔の巣窟と化してしまっている現状を、こちら側から突き破って屹立する“中立”的冒険が決行されなければならない時も近そうである。その時に果たして「最後に残しておくべき矜持」を保持しているのかどうかは、自分にも分からない。



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2013年3月21日 (木)

があがあがちょうのお出ましだ!(2012年総選挙で何が死んだのか?)



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実は少々やらかしてしまい、しばらくおまわりさんのお家に居候になっていた。



おまわりさんのお家での生活は、静かなものである。頭を丸め、早寝早起き。欲望の集積体たる外界から隔離されて、単調な作業に明け暮れつつ、粗食を喰らい、尻拭きのちり紙一枚にも倹約を心掛けるつつましい日々である。会話という会話もほとんど無い。

しかし君は囚人ボク刑務官、オイお前、ハイ貴方のロール・プレイング・ゲーム的予定調和の坦々と進行する塀の中の“静けさ”は、期限付きだし、心の深部にまで侵攻してくる類のそれではないので、慣れてしまうと案外安穏としたものであり、そこかしこで見かける“絵っこ人間”達の身体に刻まれた色とりどりの図象さえも、どこかひょうきんで長閑(のどか)な風情である。

しかしその安穏とした均衡が、<情報の遮断>によって成立しているうわべだけの均衡であるという事実からは、どんなに目先の日常への順化に努める毎日を送っていても、逃れられるものではない。

一たび居室の小さな窓から塀の外の世界の方を見やる時(いつも同じ風景、いつも同じ角度)、そこからは不気味な別種の“静けさ”の進行している気配が立ち昇る。12月16日の選挙結果を、オレは知っていたのである。

窓の外に重苦しく充満するかのような“静けさ”の圧迫感を日々眺めているうちに、オレの想念は記憶の海馬のなかを漂い始め、いつしか少年時代のある地点に着地した。おまわりさんのお家は、オレの少年時代に過ごした街に近かったのである。




動物的段階


少年時代のオレは、ひどい鼻詰りに長く悩まされていた。たしかアレルギー性鼻炎という診断ではなかったかと思うが、小学生の頃から通院を始め、子供だから途中結構サボった時期もあったりはしたのだが、それでも何だかんだで数年、家から数キロ離れた耳鼻科医の所へ、時にはバス、時には自転車で学校帰りにせっせと通っていたのである。

しかしそんな努力にも拘らず、症状の方は一向に改善しないまま中学を迎え、さらに月日を重ねていた或る時、それまで平行線だった鼻の詰まり具合が、より一層急激に悪化し始めたのである。その病院では普段は医師に診てもらえる事はほとんど無く、看護婦に処置してもらうだけが通例であったのだが(今考えるとそれだけで眉唾な病院である)、堪らず医師の診察を願い出た。

レントゲン撮影などした後、診察室であらためてオレに向かい合ったその老医師は、威厳に満ちた態度で静かに、無感動に、しかし自分の声の効果に自信を持っている人のやり方で一言、「君も第二段階に入ったね・・・」と言い放ったのである。

(残念ながら・・・)というような言外の含意すら無いのだった。彼の顔の表情からは何らの感情も読み取ることが出来ない。悟りきったような、当然そうなるべき事態になるべくしてなった、という事実報告を坦々と述べる事務員の、さざ波ひとつ立たない凪いだ湖面を見つめている人のような顔で、オレの前に坐っている。

オレはその時生まれて初めて、“気の狂っている大人の人”を、眼の前に見たのである。



アガサ・クリスティーの探偵小説 『NかMか』において、ベレズフォード夫人が遂に正体をあらわした敵(ナチス)の間諜(スパイ)と正面から対峙した時、彼女の口を衝いて出たのは、“があがあがちょうのお出ましだ!”というマザーグースの童謡の一節だった。

狂気というものが静かに、穏やかにやって来るものだという事、そしてそれへの対抗手段について、アガサ・クリスティーは経験的にか直観的にか、識っていたのである。狂気に浸された人の心のなか、そしてその生活も、おそらく静謐なものである。たとえそれが表面的には確信的な力強さに漲っているように見える場合でも。

精神の病が無意識の歪んだ抑圧によってもたらされている事を、現代心理学は明らかにしてきた。狂気に対抗するには、抑圧されていたものを甦らせなければならない。極限的な危機的状況の中で主人公にマザーグースの童謡を叫ばせたクリスティー女史の直観は、だから科学的にも、まったく正しいものだったのである。

があがあ鵞鳥のお出ましだ、さてさてどこへ出かけよう、階段あがって階段降りて、お嬢様のお部屋のなかへ・・・

さてさてどこへ出かけよう。いざ娑婆へ出てみて、想像通りではあったが、この重苦しい静けさの原因は何だろう。オレは山崎行太郎氏の矜持に満ちた言説が嫌いではないが、氏とは立場の違う無名のブロガーに過ぎないので、やはり12月16日の総選挙における巨大不正選挙疑惑については、大いに騒ぎたくなる。

オレも父方は九州の武家の出であるが、どうもあまり高級な家柄ではないようだ(笑)。それにこの選挙結果を小選挙区制の産んだマジックとして無理やりに咀嚼(そしゃく)しようとすると、眼の前にあの老医師が現れるのだ・・・。

小沢一郎には威風堂々毅然と構えていてもらわなければ困るが、しかしわれわれの相手にしているのは、楠木正成の軍をさらに数段低劣にしたような、こちらが開戦前の名乗り口上を歌い上げているさなかに、石つぶてやら糞やらを不意打ちでぼんぼん投げつけてくるような連中である。

最後に残しておく矜持として、飛んできた石を拾って投げ返すまではしないでおくが、「卑怯だぞコノヤロウ」とは、自分の行動範囲至る所で大いに喚(わめ)きたいものである。それに武士が滅んだのは、自分達を高級な存在と見做してしまった処にも、起因したのではなかったろうか?



マザーグースの童謡には続きがある。“お嬢様のお部屋のなかへ”入って行ったがちょうさんは、そこで“お祈りをしないおじいさん”を見つけて、追い出すのである。この件(くだり)は、われわれにとって非常に示唆深い。

敵に勝利する為には、敵陣営を仲違いさせ、分裂させてしまうのがひとつの有効な手立てなのだが、破壊因子が誰だったにせよ、それを今回はまんまと相手側にやられてしまったような選挙後の未来の党と生活の党の分党があり、オレは塀の中だったので良くは分からんが、それがこの重苦しい空気に拍車をかけたであろう事は、容易に想像が付く。

オレ自身も、嘉田由紀子氏は政治家としては未知だが人間的にはバランス感覚のありそうな人のように思えたし、大飯原発の再稼動の可否を巡って権力闘争のとば口ぐらいは肌身で経験した人でもあること、そして彼女が女性であること等を事由に,彼女には期待したし、選挙前にはエールも送ったが、しかし彼女は、狂気を眼前にして“があがあがちょうのお出ましだ!”と叫んだタペンス・ベレズフォードには、成れなかったのである。

たった一声叫ぶだけで良かったのである。選挙期間中、彼女は政党党首として何度かテレビの全国放送の生放送に出演する機会があったのだ。その度に悪意に満ちたキャスターやコメンテーターどもに取り囲まれていたが、その悪意の最高潮の狂気として発現しているさなかに、「 しかしマスコミの世論調査というのは、私にはどうも腑に落ちないんですよ!インターネットのYahoo!やロイターのサイトで行なっている世論調査では、いずれも未来の党が政党支持率30%超で第1位なんですけどね。貴方のとこの調査(2%?)とのこの違いは、何なんでしょう?どうなんです?」と一発かましてやれば良かったのである。そうすれば、その小さな一刺しで穿たれた僅かな穴から、いずれがちょうの大群がどどどと押し寄せてきたかも知れないのだ。

もしかしたら彼女は、がちょうではなく、自分を琵琶湖に舞い降りた白鳥ぐらいに空想していたのかも知れない。そうだとしたら、既得権益を守る為に死に物狂いになっている“彼ら”との権力闘争に、勝てるわけが無い。

白鳥だって、すっくと凛々しく優雅に水面を滑っているように見えるときでも、抑圧された無意識がそうであるように、水面下では必死にばたばたと水を掻いているのだ。無意識の抑圧を内面に抱え込んで生きている患者が、しばしば自分の心の奥の内部と、外部の事象との“取り違え”を犯してしまうというのも、現代心理学ですでに多数報告され明らかにされている事実である。

ユング心理学における「投影」などがまさにそれであろう。嘉田由紀子という“お嬢様”は、自分の心の内に知らず知らずのうち巣食っていた“お祈りをしないおじいさん”をこそ追い出さなければならなかったのに、“取り違え”て小沢一郎を追い出してしまったのである。もし河合隼雄あたりがまだ存命であったなら、彼女の言動に対する興味深い分析が聞けたかも知れない。

おそらく彼女は、環境工学やジェンダーに関する論文などは多数読みこなしていても、マザーグースなどはあまり読んだことは無かったのだろう。またわざわざ外国の古い童謡集などにあたらなくとも、わが国でも古く子供らが「かあかあかあ 山の神のさいでん棒」などと唄いながら婦人の尻を棒で叩いてまわっていた、というような風習に対する民俗学的知見も、やはり彼女には縁遠いものだったのかも知れない。



<無憂荘>

実はここからが本題である(笑)。

今まで言ってきた事を一言で言えば、嘉田由紀子と未来の党は今回少々お上品過ぎた、という結論なのだが、しかしその責任を彼女一人におっ被せてしまうと、逆に問題の本質が見えなくなってしまうのではないかと危惧するのだ。

彼女は1950年生まれだが、オレにはどうもこの「戦後民主主義」という名で括られる60余年の生活空間及び言論空間の推移の全体が、少々お上品過ぎたように思えてならない。たとえば大江健三郎のようなタイプの知識人は、今回の総選挙の顛末をどのように概観し、今どのように考えているのだろう。先日3月9日に行なわれた反原発集会では健在振りを見せていたが、しかし彼がこれまでずっと信奉し、唱え続けて来た「戦後民主主義」なるものの“底が抜けた”のが、まさに今回の総選挙だったのである。

若い頃の彼なら、「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」とオーデンの詩のひとつも引用して嘆いているのではないかと思われる今日の状況であるが、やはりここでもオレはオーデンではなく、同じイギリス出身の文学者でも大衆娯楽小説の方の大家、アガサ・クリスティー女史の直観の方に、ヒントを求めてみようと思うのだ。

しかしその前に、彼女ほどではないがやはりなかなかの直観力を備えた書き手、市井の一ブロガーあいば達也氏が、まさしくあの12月16日の総選挙の前日、昨年12月15日に、「朝日・読売が投票前日 未来の党に向け、“ネガキャン手榴弾”を投げつける!」と題して、おそらくそれほど多くの人が注目しなかっただろうと思われる朝日と読売の、投票日前日という段階での未来の党に対するジェンダー論的ネガキャンに鋭く反応している点に、まず言及しておく必要があるだろう。

つまり自らも女性である嘉田由紀子が、子育て世代の女性が外で働きやすくなるような環境整備を、と選挙戦で訴えていた事に対する露骨な鞘当ての、「夫は外、妻は家庭」という考え方に賛成の人が増えているという世論調査結果を、朝日・読売が内閣府と結託して投票日前日にぶつけて来た、その特定政党狙い撃ちの彼らの露骨なネガ・キャンに対してあいば氏は呆れ立腹しているのであるが、この小トピックはしかし、おそらく氏が意識していた以上に、重要な問題を孕んでいる、われわれの問題の核心の、そのとば口に触れている、とオレは考える。

なぜならここで問われているのは、“母”の在り方そのものであるからである。



母親は子供に何を望むのであろうか?そしてその為に母親は、どのような行動を取るのであろうか?将来安定した収入のある職業に就いて貰いたいと願い、その為にいい学校に入って貰いたいと願い、その為にはいい学習塾を探すだろう。そして今なら、わが子の放射線被曝を心配し、食品や空間線量に日々気配りしているかも知れない。しかしその先は?

動物的段階へとわれわれを励ますアガサ・クリスティーの『NかMか』の、それと関連するもうひとつのテーマが、まさにそれなのである。

『NかMか』の舞台となるのは、イギリス南部のリーハンプトンという保養地に在る<無憂荘>(!)という名のゲストハウス(賄い付き旅館)である。有閑マダムや退役軍人らが集うそのゲストハウスに潜伏していると思われる、「NかMか」というコードネームの悪しき敵国のスパイを、ベレズフォード夫妻が探偵するという筋書きの推理小説である。

N(HK)かM(inpou)か。あまり語りすぎると小説の種明かしになってしまうので程々にしておくが、しかしここが問題の核心部分であるのでこれだけは言うが、事件が解決する為には、<無憂荘>に暮らす可哀想なテレビっ子=ベティーの母親は、象徴的に死ななければならないだろう。

なぜテレビっ子か?それは他ならぬテレビこそが、現在の日本に暮らすわれわれにとっての<無憂荘>に他ならないからだ。

彼らは常に<無憂荘>だ。「楽しくなければテレビじゃない」という悪い冗談のようなスローガンがかつてあったが、自国を未来永劫にわたって壊滅させるような破壊的諜報活動が現在進行中の時でも、辺りに激しい爆撃弾の嵐が飛び交っているような時でさえも、彼らはそこが平穏太平な<無憂荘>であるかのように見せかけ、振舞うのである。

現に今も、資本の論理の絶対的覇権によって、一国の築き上げてきた社会的セーフティー・ネットの全域を立ち直り不可能なまでにずたずたに破壊し尽くそうというTPPなる怪物を、一介の貿易協定に過ぎないものかのように矮小化して見せることで国民に受け入れさせようと謀り続けているし、安倍首相がTPP参加表明した日には、NHKのスタッフが選りすぐった「ニュースウォッチ9」“街の声”第一声は、身なりは整っているが頭の中はお花畑な初老のサラリーマンの、「消費者としてはありがたいですね」というやはり度外れた<無憂荘>の住人が登場するのである。

あれはいつから放送されているのだろう。塀の中から戻ってきてから見たが、キリンの淡麗グリーンラベルの新CMで、「嵐」というよりは「無憂荘」というグループ名の方が似合う24時間和みっぱなしキャラで地上波テレビ局ネット群を席巻しているアイドル・グループが、とある牧羊地で羊を追い立てると、羊達の群れが人文字ならぬ羊文字で、peaceと形作り従順に整列するのである。

あたかも昨年末の総選挙の勝利の美酒に酔う“彼ら”が、その後の既定路線としてあった安部自民の選挙公約詐欺のTPP参加表明まで含意して、われわれ日本国民を嘲笑しているかのようなCMである。(そういえばわれらが売国宰相の滑舌も、羊か山羊か駱駝か驢馬か、といった連想を誘起させるものであるな。)

30代より上のまさに子育て世代か子育て終了世代に根強い人気の彼らであり、もちろん彼女達がかわいい男の子を見て癒されている事自体にケチを付けるつもりは無い。オレだって若い女を見るのは好きである。しかし事ここに及んでは(昨年12月16日以降、この国は発狂段階に突入した、というのがオレの認識であり、しかもそれは加速度的に(静かに)進行中である。その表層は投機バブルの熱によって覆われてはいるが、それさえもわれわれの“狂気”には相応しい現象なのだ。)、もう客寄せパンダも同罪だぜ・・・という気分にも段々なってくる。暗黒日テレの「NEWS中身ゼロ」とか出んなよな・・・。



本題に戻ろう。“母”である。マスメディアの作り為す人為的で意図的な雑音の中で、反消費増税の声も反原発の声も反TPPの声も掻き消されてしまった未来の党は、母親と女性の立場の主張を前面に打ち出し、それはそのまま婉曲的かつ通底的に、反消費増税と反原発を生活者として望んでいるであろう多くの母親達への共鳴の呼びかけでもあったわけだが、最後にはそれさえもマスコミのネガキャンの標的にされていた、というのは先述した通りであるが、しかしその“母”の主張は、たとえマスメディアの無視または中傷及び票集計時の不正が無かったとしても、世の中を大きく動かすまでの力には足りなかっただろうというのが、オレの印象なのである。

志は間違っていない。女が立ち上がらなければ、おそらくこの国では大きな社会の変革は実現出来ないであろうとは、当ブログでも以前から主張してきたところである。男はその点どうもイマイチである。仕事も身なりも立派でも、愛読書が日経新聞ではお花畑もしょうがないのかも知れないが、小沢一郎の「自立と共生」の社会の実現に向けては、男はなまじ自分が自立していると思い込んでいるだけ、障壁なのである。

それに比して、今回の総選挙では比較的若い世代の母親層を中心として、女性達の「自立と共生」へのムーブメントはあったように思う。しかし実は「自立と共生」というのは、言うほど容易なことではないのである。

「自立」と「共生」とは、ある意味対立する概念なのだ。その信念と理想との発芽としてそれは両方とも当初のわれわれの心のうちにあるが、それは対立する概念であるが故に、同時に手を取り合って成長していくようには、成長していかないのである。

父権性社会の西欧ではその為強い父親の下、まず自立した個人の形成があり、彼らの共生はその確立した個人間の社会契約としての共生という意識が強いのだが、強い父親の元々存在しない(その空隙を衝いて戦後父親面して入り込んで来たアメリカが、モンスター化してDV的破壊をおっ始めたというのが、昨今の状況である)日本で同じモデルの形成を望むのは難しいとオレは思うし、小沢一郎の考えている「自立と共生」も、表現上では類似的でも思想的な深みのレベルにおいては、やはり明確にそれとは異なるものなのである。小沢一郎の「自立と共生」は、今までにない新しい日本独自の近代超克モデルを目指している。

西欧モデルの場合には実際的にどのような心的過程を踏まねばならないのか、踏んできたのか、オレも彼らではないので詳細は分かりかねるが、もとより母権性社会であるこの国で「自立」を指向し始めた母親達は、たちまちのうちに挫折を味わわなければならないだろう。

なぜなら“母”としての女の本質は元々が「共生」指向だからである。実は日本人の「自立」を妨げているのも、この“母”としての女の「共生」指向が、社会全域に広く支配的に通底いているからなのである。この“母”の共生指向が支配的であるが故に、「人様に笑われないような」人間になりなさい、という形での人格形成が連綿と為され、西欧的な意味での「自立」した個人の形成を阻んでいるのである。「空気を読め」というのも、実は母性原理の側からの要請による社会的通念に他ならない。この国には強い父親はいないのだ。

“母”の側からの「自立」への旅が始められなければならないだろう。しかし、するとどうなるか?それはいずれ遅からず、自家撞着の罠に陥穽(かんせい)してしまうのである。

「自立」に目覚め我が子の教育にも「自立」を求めるようになった“母”は、今までは「人様に笑われないような」人間になってくれれば良いぐらいにしか思っていなかったのが、より高い教育を強く望むようになり、今までよりもっといい学習塾を探して血眼になるかも知れない。或いはその逆に、理想と現実とのギャップに疲れて、育児放棄や虐待の方へと道を外してしまう可能性も有るだろう。父親は当てにならない。子供の放射線被曝が心配で「自立」的に色々調べるのだが、そのことに過敏になるにつれて、周囲から孤立していくようにも感じる・・・。そして仕事と家庭との両立・・・。

これらの現象はいずれも、元々「共生」的な資質をその本性とする“母”が、「自立」を指向した時に体験する自家撞着の苦しみである。この時彼女達は自立する事がすなわち孤立する事であるかのように感じられる状態に置かれるのである。「共生」的なサロン的空間からの孤立感は、彼女達を益々我が子との個人的紐帯の方へと純化させるよう働くかも知れない。

オレは今“母”としての個人的体験について述べてきたが、2012年の総選挙における精神の深層域の運動において、まさにこの“母”の「自立」という巨大なウェーブの上に屹立せんとしていた日本未来の党の運動が、これと同様の過程にあったと考える。“母”の側からの「自立」へと踏み出したこの世界的にもまったく新しいわれわれの運動は、だからあの段階で、挫折しなければならなかったのは寧ろ必定だったのであり、朝日と読売の変化球的ネガキャンも、彼らは意識していなかっただろうが、案外核心を衝いていたのである。

大敗に終わった選挙結果とその後の分党顛末を見て、これならば「国民の生活が第一」で戦った方が良かった、とする向きは多いだろう。しかしオレは不正集計はほぼ100%有ったと考えているので、その場合も選挙結果は変わらなかったと思う。司法・検察権力と言論権力による人物破壊工作の被害者・小沢一郎を前面に立て、白日の下に正々堂々全面権力闘争に挑んで、その結果があの不可解な大敗では、やり切れなさも多分同じであったろう。むしろ禁じ手に手を染めてしまった“彼ら”の方が、これからジワジワとボディーブローに苦しめられる筈である。

「自立」を目指した“母”は、自家撞着の海の中で死ぬのである。われわれの「自立と共生」の運動は、どうやら西欧モデルのそれとは、大いに異なる過程を歩まなければならないようだ。

死んだモノは甦える。死ななければ甦らない。

があがあがあがあがあがあがあ・・・



TPPと深沢七郎

かあかあかあかあかあかあかあ・・・

アガサ・クリスティーによって動物的段階に誘(いざな)われたわれわれは、ほどなく時空を超えて、甲州地方の山あいの小さな寒村に佇みながら厳しい夕暮れの風景を眺めている、己の姿を見い出すことになるだろう。あの総選挙で象徴的な“母の死”という挫折を経験したわれわれが、そこに未来的な積極的意義を探ろうとする時、一人の偉大な先駆者の存在に思い至らざるを得ないからである。

深沢七郎が『楢山節考』を引っ提げて文壇に登場したのは、丁度高度経済成長期に突入し、日本全体が熱に湧き立っていた昭和30年代の初めであった。『楢山節考』は第1回中央公論新人賞の受賞作として世に出たのであるが、その当の選者達すらも、正宗白鳥のような例外を除いては、この自分達の間に突然現れた“異物”のような作品に戸惑いを隠せなかったようである。深沢七郎の登場は当時の日本近代文学の文壇およびその読者層において“事件”であり、”衝撃”であり、“驚愕”であったが、その大部分の反応は「何だか訳の分からないもの」として彼を内心“畏怖”しつつも、敢えて見なかったことにして“無視”するというようなものが多かったのである。

かく言うオレも、20代で初めて『楢山節考』を読んだ時は、似たような反応であったと思う。お勉強の出来る子供として少年期を過ごし成人したオレは、怠け者ではあったが、いわば近代教育の優等生という一面も同時に備えていた訳で、同年代の平均水準よりも意識上では却ってより“近代人”であった可能性もあるわけだ。

民間伝承の棄老伝説を題材としたこの小説は、現代社会に暮らすわれわれにとって全編が驚愕に充ちているが、小説の冒頭に近い部分で、おりんが平然と自分の歯を折ってしまう場面に遭遇した時、その圧倒的なリアリティーとインパクトに、読者はいきなり打ちのめされてしまうのである。

おりんは「空気を読む」女である。おりんは来年には70歳で、楢山に捨てられに行く年齢なのだが、その歳にもなってびっしりと生え揃った健康な歯でいることが、恥ずかしいのである。恒常的に食糧の不足気味であるその村では、年寄りが健康な歯をしているだけで、若い者の食い分を奪う強欲婆ぁのように見做されて、馬鹿にされるのである。

深沢七郎の描く“庶民”は、皆おりんのように「空気を読む」人達ばかりである。その空気読み振りは徹底していて、常に気を回し相手の様子を伺い先回りしようとするので、時に気が急き過ぎて失敗してしまうほどであるが、おりんの歯折りもやはりある種の逆効果を生み失敗してしまうのである。

しかしおりんは現代のそれのように、「空気を読め」と権威の如く振舞うことはしない。逆なのである。おりんの歯折りの場面を目の当たりにし、超然として楢山参りに向かうおりんの透徹した思考に触れた時、われわれはそこに「空気を読む」女の「共生」指向の最深部に潜んでいた、強靭な“母”としての社会思想を、再発見することになるのである。

おりんがみずからの歯を叩き折るとき、そこには「自立」した近代的自我というものは、まったく存在していない。そのことを、深沢と同じ甲州出身である中沢新一が、分かり易い言葉で解説してくれている。

 -自分が健康だとたくさんの物を食べてしまうから、他の人たちに食べ物が行き渡らなくなる。少ない食糧を皆で分け合っているので、自分が年をとっているのにたくさん食べてしまっては、若い者や子供を飢え死にさせてしまうかもしれないから、自分は物を少なく食べるようにしていかなければならない。このように考える時、おりんは自分の事をほとんど考えていません。自分という意識が無いのです。自分もそのメンバーの一員である、もっと大きい世界のことを考えています。(中略) おりんの行動は、おりんの個人意識によるものではありません。おりんは常に他の人のこと、そして人を超えたもっと大きい集合体のことを考えている。それは、個人で構成されてはいても個人意識を持っているわけではなくて、動物の種のような大きな一塊(ひとかたまり)をなしています。おりんは「種」という考え方に立って思考しているのです。しかし、近代文学は、この種を否定して、私という個人として近代的な自我を確立した。

             奇跡の文学-深沢七郎が描く「庶民」 (『野生の科学』 所収)


ここで語られているのは、われわれ日本人の社会福祉思想、社会的セーフティー・ネットの形成思想の、根幹に存在していたものである。その後日本は飛躍的に経済成長を遂げ、昭和43年にはGDP比で世界第二位の経済大国となり、資本の勝利の恩恵を皆で享受して来たわけだが、しかしあの小泉・竹中の「構造改革」という破壊工作で変質される前までは、その実態は社会資本主義ともいうべき、資本の論理と福祉の論理の均衡した折衷社会として成り立っていたのである。

資本の論理=「自立」の論理、福祉の論理=「共生」の論理と言い換える事も或いは可能だろう。(ただしこの場合の「自立」は、運動主体が個からマネーに転移していることに、留意しなければならない。)われわれは資本の論理を野放図に任せるなどという事は決してしてこなかったのである。

小泉以降崩壊してしまった(今や全雇用者の3分の1超が非正規雇用という現状)家族的な雇用体系。簡易保険や各種共済基金、そして世界に誇れる国民皆健康保険制度。下支えのある社会であると同時に、上も極端な高報酬となることを抑制していた。王貞治の最高年俸は物価水準の変動を考慮しても現在の阪神の新井貴浩の半分ぐらいであったが、王貞治は文句を言わなかった。 - われわれは深沢七郎を“畏怖”し、“無視”し、“異物”として除け者にしてきたが、その間も彼と彼のおりんは、片時も離れず、ずっとわれわれの傍で伴走し続けてくれていたのである。



3月15日、安倍晋三が、ウソで塗り固めたTPP参加表明記者会見を行った。安倍晋三は選挙の前から、TPP協議に参加する事を決めていたのである。その為にまず選挙公約に細工を施した。

先の衆院選における自民党のTPPに関する選挙公約は、6項目から成っている。(1)「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り、交渉参加に反対する。(2)自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受け入れない。(3)国民皆保険制度を守る。(4)食の安全安心の基準を守る。(5)国の主権を損なうようなISD(投資家と国家の紛争解決)条項は合意しない。(6)政府調達・金融サービス等は、我が国の特性を踏まえる。

しかしこの公約を本気で守ろうとすれば、TPP協議に参加するという選択肢は無い。TPP協議に参加すること自体が不可能になる。そこで安倍自民は、このなかの玉虫色の公約(1)だけを衆院選の公約本体に記載し、(2)~(6)を同時発表した「総合政策集」に別記載して選挙戦に臨み、茶番劇のオバマとの共同記者会見で露払いを終えると、早速開き直って、同時発表した総合政策集は「正確には公約ではない。目指すべき政策だ。」との国民を愚弄した誤魔化しの詭弁を繰り出すのである。(東京新聞3月3日記事

オレはこの安倍晋三という男が「国柄」を守る、「美しい故郷」を守る、「日本の農と食」を守る、「国民皆保険制度」を守る等と口にするのを聞く度に、心の底から憤りを覚える。人々にある種の憐憫の情を喚起する彼のあのたどたどしい滑舌も、一見柔和な印象を与えるあの容貌や物腰も、人心を欺き易くするよう、悪魔が彼に与えたものである。もしおりんがこれらを聞いていたら、何と思うであろうか - たぶん彼女は、「バカー」と一言言ったぎり、そっぽを向いてしまうだろう・・・。

平成の悪魔・安倍晋三によって、TPP批准に向けての事態が進行している。われわれは今こそ深沢七郎を、深沢七郎の『楢山節考』を、貪り読まねばならない。(もしあなたが財界やマスコミの関係者なら、なおさらそうだ。)この一介の無名の新人作家の作品に過ぎなかった小品を、正宗白鳥がこれはわたしの「人生永遠の書」だ、とまで断言したことの意味が、今ならば、骨身に沁みて分かるだろう。



2012年総選挙の挫折と敗北ののち、思いがけずアガサ・クリスティーに出会ったわれわれは、彼女によって自己省察と再起に向けての奨励を授かったが、クリスティー女史のさらにその先では深沢七郎が、あの人懐っこい笑顔を浮かべながら、今川焼きを焼いている。

深沢七郎の今川焼き屋は、消費税が10%になるというだけで万事休すである。

「まずあの消費税っていう名前がペテンでさ。売上税なんでね・・・売上税って言ってたんだよ、中曽根の頃までわね・・・われわれ庶民を煙に巻くために名前を変えたんでさ。」

深沢七郎の今川焼き屋は、近所にスーパーやコンビニが林立したため価格競争の波にさらされていたが、それでも奮起して小さいながらも複数店舗を構え、アルバイトも何人か雇っていた。しかし生き残る為には、薄利多売である。ここ数年は利益が上がらない。

「年間の総売上が一千万ぐらいでさ・・・でも人件費を払ったら利益は20パー、年間200万の収入だよ。それでも人様に迷惑かけるでなく自分ひとりつつましく生きていくには、オレもこの歳だし贅沢しなきゃギリギリ何とかなるんだけどね。でも消費税が10%になったら・・・」

消費税が10%になったら、売上げ一千万円に対し10%で、年間100万円の徴税が来る。つまり深沢七郎は、年収200万円のなかから100万円の税金を支払わなければならないのである。これが消費税というものの正体である。たとえ収入がマイナスであっても徴税される。消費税制は、自営業・中小零細企業潰しの税制なのだ。その一方で消費税制は、輸出戻し税という輸出型大企業に対する大規模補助金制度のような抜け道が設けられているのであるから、まるで自営業・中小零細企業からカネをまきあげて、経団連の大企業に横流ししているようなものである。

「増税分を価格転嫁も出来ねえしな・・・」

人間には色々なタイプがある。サラリーマンに向いている人もいれば、そうでない人もいる。深沢七郎はサラリーマンに向いていない。それで自営業をしているのだが、このままでは店を畳んで、イオンにでもアルバイトの職を求めに行かなくてはならなくなりそうだ。しかしオレのような爺さんを雇ってもらえるだろうか・・・。

(アルバイト・・・)

ふと深沢七郎は、日本維新の会が最低賃金制度の廃止を言っていた事を思い出した。日本がTPPを締結・批准したら、最低賃金制度も“非関税障壁”と見做されて、「ガイアツ」により本当に廃止されるかも知れないな・・・。するとアルバイト時給800円の相場が600円、500円、400円と下がり・・・・・・。

(ちょっと待てよ・・・)

不意に深沢七郎の脳裏をある考えが掠めた。ウチで働いているアルバイト達の時給も今より2~300円、いやそれ以上安く出来れば、消費税が10%、15%、それ以上になっても、なんとか店を維持してやっていけるかも知れない・・・・・・

(イヤイヤ駄目だ!)

深沢七郎はハッとして我に返った 。( それじゃ負の連鎖だ!それじゃオレが官僚と大企業から搾り取られた分を、アルバイトから搾り取っているだけじゃないか!おそろしい、おそろしい負の連鎖、搾取の連鎖だよ!!そんな事をしてまで店を維持するのであれば、思い切って店を畳んじまった方がよっぽどマシだよ・・・)そして束の間とはいえそんな事を考えてしまった自分をいまいましく思うのだったが、そこで眼の前に立っていたオレの視線に気付くと、急にあわてて赤面してしまうのである。

オレはただ客としてそこで今川焼きが焼けるのを無言で待っていただけなのであるが、深沢七郎はまるで自分が一瞬よこしまなことを考えてしまったのをオレに咎められている様な気がしてきてしまい、急にあたふたと身体を動かし始めたかと思うと、「はい、これサービスな。」と言って今川焼きを一個多くオレに寄越すのである。

客を見送ってひとりになると深沢七郎はあらためて「TPP・・・」と一言呟いた。その顔からは、先程までの笑顔は、完全に消えていた。



<無憂荘>=sans-souci というネーミングには、確かに美しい理想が込められている。しかし自分の経営するゲストハウスに<無憂荘>と名付けた女主人は、かつて自分の夫をアイルランド独立運動の闘士として銃殺され喪ったという過去を持っていたのである。

現代の<無憂荘>、われらが大マスコミは、今までに一度でも自分達の保身以外のものの為に闘ったことがあったであろうか?「自分達さえ良ければ、世の中なんてどうなったって構やしない。」テレビを観ていると、どんな種類の番組を観ていても、彼らがそう言っている様にしか聞こえない。

-君も、第二段階に入ったね・・・

権威の象徴たる白衣を身にまとってオレにそう語りかけてきた老医師は、そのあと続けてこれからの治療方針の変更プラン等をオレに説明し始めたが、オレはもうそれを聞いてはいなかった。オレはもうお前には従わない。オレは動物的段階に突入したのだ・・・。

薄ぼんやりとしたまどろみの中に生きて来た少年のオレは、それまで一度も思い付きもしなかった行動に出る事にした。病院を変えたのである。子供の行動範囲は意外に広いとも言えるが、しかしやはり子供なりである。それまで数年間通い続けたその病院も家から数キロ離れていたのだが、そこからさらに数キロ離れたもうひとつの病院がある街は、オレのテリトリー外だったのである。

動物的本能に帰り危機を直感したことで、少年のオレはテリトリーから足を踏み出し、鼻詰まりも数ヵ月後にはあっけなく回復した。しかし今われわれの直面しているこの危機はどうだろう。これからもずっとこの日本で暮らしていこうと思っている限り、この危機は逃走によって解決することは出来ないのだ。逃げることは出来ない。

「戦後民主主義」の“底が抜けた”。重ねて言うが、それが今の状況である。手をこまねいて傍観していれば、おそらくわれわれ自身が谷底に転げ落ちていくだろう。しかしその底穴からこちらの方へと、流入して来るモノがある・・・。

われわれが除け者扱いして忘却しようとしていた、深沢七郎がそれなのである。深沢七郎はわれわれが来るのをずっと待っていて呉れたのである。“庶民”を描き続けた彼は、「戦後民主主義」の底流を彷徨する人だった。「戦後民主主義」の時代を、もっともいい加減に、自由奔放に、そして「ゲヒン」に生きた深沢七郎は、しかし「自分さえ良ければ、世の中なんてどうなったって構やしない」などとは、決して考えない人だったのである。



2012年総選挙の挫折にわれわれは地に伏し、跪いたが、顔を上げてみるとそこには、『楢山節考』のおりんが、超然と立ってわれわれを見つめていた。しかもその背後には、あの総選挙からまだ3ヶ月しか経っていないというのに、早速の公約詐欺(公約破りより邪悪だ)のTPP参加というどす黒い大嵐が、今まさにわれわれの方に襲い掛かって来ようとしているのだ。

TPPとはなにか?それはおりんとわれわれの、際限無き欲望の膨張体たる悪魔達との、おそらく最大にして最後の闘いである。もしこの闘いにわれわれが敗れれば、われわれはおりんを失い、そしてすべてを失うことになるだろう。

本質を見失い無言の社会的権威と化してわれわれを苦しめていた「共生」指向の最深部には、楢山に鎮座する強靭な“母”としてのおりんがいたのである。おりんを守る為に、われわれ一人一人がそれぞれの立場で何を為すべきか考え、行動すること。おそらくそれが、独自の道を歩み始めたわれわれの「自立」への旅の、唯一の方法である。

われわれが思いを滾(たぎ)らし、声を挙げ続ければ、今はやはり山の神になっている深沢七郎が、きっと胸躍るようなリズムと音色で、ギター伴奏を奏でてくれる筈である。








おまわりさんのお家が長かったので、その分考えることも多く、ついつい長々と書き綴ってしまった。疲れたので、ブログの更新はまたしばらく滞りそうである(笑)。TPPに関してまだ自分は少々<無憂荘>の住人であるなと感じる向きには、たとえば兵頭正俊氏のブログなどが参考になるのではないか。



『NかMか』
アガサ・クリスティー(深町眞理子訳)

Norm




『楢山節考』
深沢七郎

Narayama






安倍総理のTPP交渉への参加表明を受けて
http://www.seikatsu1.jp/activity/act0000039.html

平成25年3月15日
生活の党代表 小沢一郎

 本日、安倍晋三首相が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加表明を行った。生活の党はかねてより、TPPが単なる自由貿易協定ではなく、日本国民の命と暮らしを脅かし、社会の仕組みの改変を迫る異質な協定であることから強く反対してきた。しかし自公政権が日本の国益を守るより、米国の言いなりになり、TPP交渉に参加表明したことは、国家百年の大計にもとる重大な誤りであり、即時撤回を強く求める。

 世界やアジア各国の成長を日本に取り込むために自由貿易を促進し関税や非関税障壁を撤廃し、人、モノ、金、サービスを自由に行き来させることによって、新たな可能性が広がることは事実である。しかしTPPは、農業生産者が指摘するように、「単なる農業分野の関税引き下げ問題ではない。米国主導であらゆる規制の緩和、ルール改正を同時並行で進め、国民の命と暮らしよりも大企業の利益を最優先する。食の安全・安心、医療、外国企業からの訴訟など多くの問題を抱えている」など、国民の生命と財産を守るための協定では全くないのである。

 加えて、今参加表明しても、先般シンガポールで開催されたTPP準備会合で明らかになったように、米国側は各国交渉者に「日本が交渉に参加した場合、すでに確定した内容について再交渉も文言修正も認めない上、新たな提案もさせない」と伝えている。この交渉実態を見れば、安倍首相の「TPP交渉は聖域なき関税撤廃が前提ではない」との主張が全くの欺瞞であることが分かる。自民党の衆院選公約である6項目は到底守られず、公約破りは明白である。

 米国の市民団体もTPPの草案文書を基にして「TPPは表向きは貿易協定だが、完全な企業による世界統治だ」と告発している。国民の生命、財産を守ることが国政を託された国会議員の最大の使命であり責務である。自公政権は今すぐ、TPP交渉への参加表明を撤回すべきである。

 今、日本政府が最優先すべきは、命、暮らし、地域を守るために震災復興、被災地域再生、原発事故の早期収束、原発ゼロへのエネルギー政策の大転換である。生活の党は引き続き、日本政府のTPP交渉参加阻止に向け、各界各層と連携し闘っていく。

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2012年3月24日 (土)

マスコミスライムの作り方


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先週3月15日米韓FTAが発効になったが、その際のテレビニュース、オレが観たところではNHKもテレビ朝日も一応韓国国内でいまだ抗議運動が根強い事を紹介してはいたが、その論調は従来の「農業関係者を中心に・・・」というものの延長であったし、テレビ東京はそれすら無しに「国際社会は韓国をうらやましがっている」という李明博大統領の談話を報じていた。

そのなかでも『報道ステーション』の古館伊知郎の弁はやはりふるっていた。

昨年11月のハワイAPEC直前時にはあれほどTPPについて国内議論したのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるというのが日本人の悪癖なのか、われわれマスコミも反省しなければならないが、これからもこの問題については継続して注視していかなければならないですね云々。

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昨年秋、インターネットを発火点にまさに白熱したTPP論議が国内で沸騰していたさなか、街頭の抗議集会や与党内検討会議の動向を坦々と伝えるのみで、TPPそのものの内容についてはひたすら沈黙するようだったのは、古舘も所属する当のマスメディアだったはずである。

「あれほどTPPについて議論したのに」というなかに勝手に自分達を含めるのはいかがなものか。しかも古館は野田首相が「TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入る」と表明した直後の放送でも、おそらく番組に抗議の電話が殺到していたのだろう、「今後わたしたちはTPPの詳しい内容についても皆様にお伝えしていきますから」と弁解風に述べていたのだが、その後『報道ステーション』で21項目あるというTPPの交渉分野の詳細、及びその問題点について触れていたことは、オレが観ていた限りでは只の一度もない。人間の「忘却」という特性に過度に期待して、喉元過ぎれば何とやら、と厚顔無恥に振舞っているのは誰なのか。

古館は最近放送された震災一周年の『報ステ』特番でも何か殊勝な事を述べていたようだが、本気で「原発村」に食い込んでいく気概があるのなら、九州電力のやらせメール問題で第三者委員会の調査報告書が古川佐賀県知事の関与を指摘した時に、何故もっと激しく知事の責任を追及しなかったのか?と言いたい。アソコを切り崩せていたら、この国の統治機構全体に根を張っている「原子力村」にはそれこそ大きな打撃だった筈である。

「原発村」に挑むということは、何よりも先ずいままでの権力装置としての己自身の在り方を、視聴者の眼の前で猛省するということだ。それ無しにいくら格好のいい事を言っても、単なる都合のいい自己保身と見做されてもしょうがないだろう。

オレとしてはこの“上げ底肉”のようなドーラン塗り過ぎ口先男が毎晩テレビ画面に出てくることは、子供の教育上非常によろしくないというのが従来からの判断であり、それを変更する理由は今のところ無い。



韓国のFTA反対運動では、FTAの絡みだけではないのかも知れないが、大手通信社とテレビ局の労働組合員ストライキにまで展開しているようだ。これも日本のマスコミは一切報道していないので、詳細はよく分からない。日本農業新聞の記事が伝えているのみである。22日になってMSN産経ニュースがようやくこの件を報じたが、FTAには一切触れず“伝統的な”政治主義運動と断じている。



米韓FTA反対派 廃止訴え闘争突入 報道労組 ストで同調 韓国
(日本農業新聞03月16日)

 米国との自由貿易協定(FTA)発効を受け、韓国の野党や韓米FTA阻止汎国民運動本部(阻止本部)は15日、ソウル中心部の光化門広場で記者会見を開き、米韓FTA廃止の闘争に突入すると宣言した。4月の総選挙、12月の大統領選挙を控え、中長期的に闘争運動を続ける構えだ。大手メディア労働組合員の無制限ストライキも加わり、運動は一層激化しそうだ。

 阻止本部は「(米韓FTAは)通商条約ではない。投資家・国家訴訟(ISD)条項など公共政策や国家主権を侵害する屈辱的な条約だ」と強く批判し、「廃止闘争に突入する」と宣言。米韓FTAの阻止闘争は2006年から始まり、すでに7年目を迎える。

 闘争運動では15日、ソウル繁華街で米韓FTA廃止ろうそくデモを開催。16日は、大手テレビ局などの労働組合が主催するコンサートで米韓FTA廃止を訴える。25日は野党支持者を中心とする進歩陣営大衆大会を開く。4月の総選挙、12月の大統領選挙に向け、与党候補者の落選運動を展開する。

 また、「不公正な報道をやめろ」をスローガンに通信社最大手の聯合ニュースと大手テレビ局KBS、MBC、YTN、国民日報の計5社の労働組合員が無制限ストライキに入った。大統領や与党が選出した社長が、政府・与党寄りの報道をするよう社員に圧力をかけたことが背景にある。

 特にMBCの場合、事実に基づき米韓FTA番組を制作したが、政府・与党の意向に反するとして放送中止となった。各社とも組合員以外で放送や新聞発行を続けるが、厳しい状況だ。

・韓国の反対 日本にも影響 農水副大臣

 農水省の筒井信隆副大臣は15日の会見で、同日発効した米韓FTAについて「(日本国内の)TPPの国民的議論の際に、韓国の経験が参考になる。(TPP交渉参加を)慎重に考えていかなければならない、という方向で影響が出るだろう」と述べた。 (転載了)





岩上安身氏が3月19日の文化放送『夕やけ寺ちゃん活動中』でこの問題に言及している。

UStream動画
(9分過ぎから・・・小沢裁判捜査報告書捏造問題について)
(34分過ぎから・・・米韓FTA、TPPについて)


韓国のテレビ局の社員は、以前にも新聞社や大企業の地上波放送局の株式所有を認めるメディア関連法案修正案に反対してストライキするなど、ストライキは度々発生しているようだが、社会の木槌たるジャーナリストとしての自負において、日本のクズマスコミよりはかなりマシなようである。



[ニュースアイ] TPP高まる危機感 各党議論を本格化 政府説明根拠崩れる
(日本農業新聞3月16日

 環太平洋連携協定(TPP)交渉参加問題をめぐり、民主、自民両党をはじめとする各党が議論を本格化、対処方針の提示などに乗り出した。交渉参加国は「90~95%の品目の関税即時撤廃、残る関税も7年以内の段階的撤廃」などの考えを示し、「交渉次第で例外を確保できる」とする政府の主張の根拠が崩れてきたためだ。「高過ぎるハードルの実態」(与党幹部)が明らかになるにつれ、交渉参加に慎重、反対の声が与野党で広がりそうだ。

 「医療(保険制度)について言えば、今の政府からの情報はうそだ」。民主党の櫻井充・経済連携プロジェクトチーム(PT)座長代理は、JAグループが13日に東京都内で開いた「TPP交渉参加断固阻止全国要請集会」の各党討論会で語気を強めてこう述べ、政府に情報開示の改善を求めたことを明らかにした。

 政府はこれまで「TPPで公的医療保険制度の廃止は議論されていない」との説明を繰り返してきた。しかし、米国は2001年から始めた規制見直しの対日要求の「年次改革要望書」で、病院の株式会社化の認可などを求めてきた。櫻井座長代理の怒りの背景には「過去の経緯を踏まえず、交渉参加に都合が良いような情報だけを示す政府姿勢への疑問」(民主党幹部)がある。

 その端的な事例が、「例外確保は交渉次第」との希望的観測を掲げてきた政府説明だ。政府は先週、米国を除く交渉参加8カ国との事前協議で得た情報を公表したが、関係国は例外品目を設けることに否定的で、厳しい情勢であることを認めざるを得なくなってきた。米韓FTA(自由貿易協定)で論争の焦点となっている投資家・国家訴訟(ISD)条項についての政府の説明もまだ不十分なままだ。

 こうした状況に野党も危機感を募らせる。自民党は「例外なき関税撤廃を前提とする交渉参加には反対」することを柱とする判断基準を作り、例外確保の見通しなどを国会などで厳しく問い質す方針だ。共産党や社民党は交渉参加に前のめりな政府姿勢を批判、対応方針を決めていない公明党も慎重姿勢を強め始めている。

 政府は来週、民主党の経済連携PTで、TPPで対象となっている医療や食の安全を含めた21分野全体の交渉状況を明らかにする予定だ。「不都合な真実も含めて情報開示と国民的な議論をどこまで徹底できるのか」(自民党農林幹部)。政府の姿勢があらためて問われることになる。

・大枠合意へ急ぐ米国 今後の予定と課題

 11月に大統領選を控えたオバマ政権は、5、7月のTPP交渉で大枠の合意を得ようと、交渉参加国との協議を急いでいる。5月の第12回交渉会合は米国テキサス州のダラスで行い、7月の第13回交渉会合は米国内かニュージーランドで開く予定だ。

 交渉を急ぐ米国の狙いは(1)米国に都合のいい貿易ルールの大枠を早期に固めることで、選挙の資金源である大企業にアピールすること(2)日本などが新たに交渉に参加する場合に合意内容を丸のみさせること――とみられる。交渉参加国の間では「新規の交渉参加国は9カ国が合意した貿易ルールを変えることはできない」との共通認識がある。今後、日本が交渉に参加してもルール作りに参加できる余地は少ない。

 また日本などが途中参加することで交渉が長引いたり、TPPの自由化レベルが下がったりすることを嫌う交渉参加国は多い。日豪経済連携協定(EPA)交渉で日本が農業の重要品目の自由化を認めないことから、オーストラリアは日本の交渉参加に同意していない。

・関税撤廃 7年以内

 TPP交渉参加国が目指す自由化レベルは下がるどころか、高まっている。政府は今月上旬、交渉参加国との事前協議で「全品目の90~95%の関税を即時撤廃し、残る関税も7年以内に段階的に撤廃すべきとの考えを支持する国が多数ある」ことを明らかにした。

 重要品目の関税撤廃は10年以内に行うことが原則だったが、関税撤廃までの期間は交渉を通じて短くなっている。外務省幹部は「重要品目の関税撤廃は最終的には交渉次第」などと例外が認められる可能性を示唆しているが、TPP交渉の現実を踏まえない希望的観測でしかない。この他、米国が9月までに大枠合意を目指す貿易ルールに盛り込む可能性が高いものとして、外国の企業が投資先の政府を訴えることができるISD条項、薬価を引き上げる要因となる知的財産保護の拡大、日本郵政の保険事業に制約を課す国営企業の規律、漁業補助金の廃止などが考えられる。

 野田佳彦首相は5月の大型連休にワシントンを訪れたい意向だ。さらに同18日からは主要8カ国(G8)首脳会議も米国で開かれ、日米首脳会談を行う機会となる。その際に万が一、野田首相が正式に交渉参加を決断したと表明すれば、それは米国の法外な要求や、国益に沿わないTPP交渉の合意内容を丸のみすることを意味する。

Tpp
(転載了)



米韓FTA 現地で問題点確認 岩手県の訪韓調査団 識者20人と意見交換
(日本農業新聞03月22日)

 岩手県のJAグループや県生協連などでつくる米韓自由貿易協定(FTA)の訪韓調査団が21日、韓国での4日間の調査活動を終えた。同FTAに反対する生協や農協、市民団体の他、20人近い識者らと意見を交換し、15日に発効された同FTAの問題点を確認した。

 通商条例に詳しい宋基昊弁護士は、韓国が米国とのFTA交渉に入るための先決条件として、牛肉や自動車、薬価などの自由化を受け入れたことを問題視。交渉前に大きく譲歩したため、少しでも挽回しようとして FTA交渉から抜け出せなくなり、結果的に一層の自由化を受け入れてしまったと、敗因を分析した。

 意見交換では、韓国政府がFTAの本質が国の主権を脅かす危険な点を国民に知らせることなく、発効に至ったとの報告を受けた。TPP参加に前のめりな姿勢を崩さない日本政府について「状況が同じ」との指摘も相次いだ。

 調査団の副団長を務めるJA岩手県中央会の高橋専太郎副会長は「日本はTPPで例外品目をどうするかではなく、参加する前に阻止することが極めて重要になる」と一層の警戒感を募らせた。

 米韓FTAに盛り込まれた投資家・国家訴訟(ISD)条項では、韓国の識者が学校給食を例に説明。米国企業に提訴されれば、自治体が地元の安全な農産物を提供することができなくなり、地産地消が崩れる可能性が高い。医療の自由化や郵政事業の制限など公共性の高いサービスも悪影響を受けることを確認した。

 調査団長を務める岩手県生協連の加藤善正会長は「TPPを農業だけの問題にとどめず、消費者の暮らしが脅かされることを正確に伝え、地方から反対運動を盛り上げる必要がある」と訴えた。

 調査団には「TPP等と食料・農林水産業・地域経済を考える岩手県民会議」に加盟する県内51団体の代表ら22人が参加した。 (転載了)





こういうものが学校給食に出てくることになるのかね。


          ↓


「ピンクスライム」肉、米農務省は給食使用に太鼓判 ロイター3月12日

[ワシントン 9日 ロイター] 米農務省(USDA)は、通称「ピンクスライム」と呼ばれることもあるアンモニア水で防腐処理された加工肉について、学校給食で使用されるに当たっても安全性に問題はないとの見解を示した。

オンライン新聞のザ・デーリーは先に、水酸化アンモニウムで一部防腐処理された牛肉3200トンが今春に学校給食として出されると報じていた。

米農務省は声明で「USDAが購入する牛ひき肉はすべて、最高の食品安全基準を満たさなくてはならない」と指摘。牛ひき肉の安全基準は過去数年でさらに厳格化しており、「われわれが安全に自信を持つ肉しか市場には流通していない」と説明した。

ピンクスライム肉をめぐっては、有名シェフのジェイミー・オリバー氏らが問題を取り上げたのがきっかけで、消費者の間でも注目されるようになった。米ファストフード大手のマクドナルドは先に、USDA認可済みのアンモニウム処理肉のハンバーガーへの使用を中止している。

一方、USDAと学校当局は、学校給食に使う肉として、サウスダコタ州のビーフプロダクツ・インク(BPI)から、「上質赤身加工牛肉」に分類される同加工肉の購入を計画している。USDAによると、全米学校給食プログラムとして買い上げる牛ひき肉5.1万トンのうち、BPIの製品は約6.5%を占めるという。


Kuzunikuslime


マスコミスライム、もといピンクスライムの作り方(動画有り)

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2011年11月13日 (日)

「関税=悪」の愚民洗脳キャンペーンがこれから始まる予定



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他にも「農協=悪」とか「郵政=悪」とか「医師会=悪」とか色々やるんだろうね。

「コウゾウカイカク」とか「リケン」とか「キセイカンワ」とかの洗脳スローガンがまた連呼されるのかね。いっそのこと正直に「国民=悪」なんだと言ったらどうだ?日本国民が嫌いなんだろ、官僚もマスコミも財界も。



「TPP」の後押しに財務省が仕掛ける巨額脱税事件
ゲンダイ・ネット 11/9より転載

メディアも協力して「関税」悪者キャンペーン

野田ボンクラ首相の尻を叩いてTPPも消費税も何でもやろうとしている財務省。とくに反対運動が激しいTPP参加問題で近々、財務省がロコツな世論操作をすることが分かった。「お庭番の国税庁を使って巨額脱税疑惑を摘発するようです」と関係者が言う。

ターゲットは輸入豚肉の差額関税制度だ。

「国内の養豚業者を守るために、現在、海外から輸入する豚肉の価格との差額に関税がかかっています。仮に輸入豚肉が1キロ200円で、国内基準価格が500円とすれば、輸入業者は差額の300円を税金で納めないといけない。ところが、自己申告のため、輸入豚肉を何社ものダミー会社の間をグルグル回して480円にし、20円しか税金を納めないということが多いのです。それで今回、国税が輸入業者を法人税法違反などで検察に告発し、検察が逮捕するというシナリオ。脱税額は数十億円規模です。これをメディアに大きく扱わせ、“関税を悪用した巨額脱税”と騒がせる予定なのです」(関係者)

 関税があるから、こういう脱税がまかり通る。TPP参加で関税を撤廃すれば、安く豚肉を輸入できるし、不正もなくなるという理屈だ。

「内偵済みなので、いつ摘発してもいい案件ですが、TPP論議のヤマ場に合わせて騒ごうと、国税や検察が急いでいます。いかにも勝栄二郎次官の財務省が考えそうないやらしい手口です」(事情通)

 こんな官界と報道が合体のTPP推進キャンペーンが次から次に繰り出されそうだ。

(転載了)




ギリシャ危機とTPP問題の深遠に潜む類似性。世界構造の激動期にその自覚すらない人々。よしんば自覚があったにしても、それに抵抗する気概も知恵も無い。日本人は、こんな連中にこのままミス・リードされてはいけないのだ。



関税が消滅し、金融政策が消滅すると、国が消滅する
ひょう吉の疑問 11/7より転載

関税と金融政策は国を支える大きな柱である。

ところが日本ではTPPにより関税が消滅しようとし、EU各国ではユーロ発行により国家独自の金融政策が取れなくなっている。

今世界は国家機能の消滅の方向に向かっている。

貿易とはもともと国内で不足しているものを補うのが目的であった。文明は農業の発生とともにあり、国家もその延長線上にある。今国家間の農業関税が撤廃されようとしていることは、工業関税の撤廃とは文明論的に違った意味を持つ。

農業は人間が生きていく上での基本である。その点工業は付加価値的なものである。米が食えないと人間は死んでしまうが、クルマがなくなっても人間は死にはしない。

工業は豊かさの象徴であるが、農業はライフラインである。農業に加え、電気、ガス、水道、医療は人間の豊かさとは違った意味での、生きていくための生活必需品である。テレビ・ラジオがなくなっても人間は命を奪われることはないが、上に挙げたものがなくなると人の生活自体が成り立たなくなる。

そのような人間生活にとって欠かせないものを安易に外国に依存していいのかという点が、今回のTPP参加からはすっぽりと抜け落ちている。このようなことは効率性の観点からのみ論じてはいけない。私にはわざとそういう観点を排除しているように思える。農業のない国は容易くその主権を奪われるのだ。

そのことは今回ギリシアで起こったことと似ている。ギリシア国民は、ギリシア危機に際して何に怒ったのか。ギリシア危機の原因は前政権の不始末にあったにしても、すでにユーロに加盟しているギリシアは金融危機に際して、国家が当然もっているはずの金融政策を発動する権限を奪われているのだ。

ギリリアで頻発したデモの意味はそういうことなのだ。ギリシアの金融政策は、欧州中央銀行(ECB)と国際通貨基金(IMF)にすでに奪われている。

危機に際して対応策をとれない国家は国家ではない。EUはすでにそういう危険な領域に足を踏み入れている。EUではすでに金融面で大国(ドイツ・フランス)が小国(ギリシア)を支配しやすい環境が整っている。

フランスのサルコジは『ルールを守れ』と言っているが、それはドイツ・フランス中心の大国のルールをギリシアに押しつけるということである。押しつけられた側にとっては国家主権の消滅を意味する。

農業でも関税撤廃によって、それと同じことが起こる。TPPが締結されれば、日本の食糧自給率が低下することは目に見えている。現在の日本の食糧自給率は先進国中最低で、すでに40%を切っている。TPPを結べばそれが20%以下になる。12%という数字も出ている。これは悲劇的な数字である。

食糧が不足し、多くの国民が飢えに苦しむようになったときに、関税復活をしようとしても、その時はすでに遅い。ギリシアと同じように『ルールを守れ』といわれるだけだ。

世界的な金融危機のみが心配されているが、70億を超えた人口が、世界的な食糧危機に襲われることが忘れられている。金融危機と食糧危機がこれから起こることである。その両方とも忘れてはいけない。

そんな中で大国の主張が優先され、小国の国家主権が消滅する方向に世界は動いている。日本のアキレス腱は農業である。現政権はそのアキレス腱を自ら切ろうとしている。それは日本の国家主権が奪われるということである。

(転載了)

※その他関連参考記事:
西欧民主主義:まがいものの喜劇
                マスコミに載らない海外記事 11/3



自主権を確保しているはずの金融政策においても、日本政府は何か不自由そうだけどね。


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2011年11月 7日 (月)

テレビは死んでいる-TPP論議は喚起せず代わりにNHK『ニュースウォッチ9』は野田・財務省援護のイカサマ増税キャンペーン、そしてTBS『ニュース23X』は姑息な眼くらましの農協ネガティブキャンペーン・・・。なぜTPPの中身について国民に語らない?なぁぜ?


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新聞やテレビをいくら見てもTPPについては分かりません。長い文章はどうも・・・という人ならネット動画「TPP」や「中野剛志」で検索。これ今や日本の常識。自分で調べ、自分で考えるしかない。マスコミは始めから参加有りきの八百長報道。たまにちょっと批判めいた報道があっても、単なるアリバイ作りでしかない。


小泉構造改革の時にはあれほど喧騒かまびすしかったマスコミがそれと同質な問題であり、かつ更に巨大な破壊力を孕んだTPPについては「知らぬが仏」とばかりにダンマリ作戦を決め込んでここまで来た。

“愚民は無知のままでいてくれ”ということなのだが、 それで最後まで押し通せると思っているのだろうか?

小泉の時とは状況が違う。なぜならわれわれは小泉を経験したからだ。小泉を経験し、経済的苦境に落ち込み、ネット言論も進歩して、“あの時われわれは騙されていた”と多くの人が気付いた。今まで日常の些事に追われて気付いていなかった人達も、TPPというあらたな“謎”に直面して気付き出した。TPPを“謎”のまま押し切ろうとした作戦が彼らの命取りとなる。

昨年10月に菅直人が唐突にTPP参加検討を表明すると、マスメディアは中身をよく吟味もせず(多分菅直人自身何にも分かっていなかった)一斉に「開国か、鎖国か」などという煽動的なイメージ先行のフレーズでTPP参加ムードを一気に煽り立てた。

ところが現在協議中のTPPの原型となるオリジナルTPP(P4協定)等の内容を精査した識者の多くから異論が噴出して国民のあいだに反対勢力が拡がりを見せると、今年に入って始めた内閣官房主催の「開国フォーラム」も不調、当初8回程度の予定も震災を口実に3回で中止した。

するとその後は政府もマスコミも完全ダンマリ作戦。書店へ行けばTPP推進論を根底から突き崩すような反対派の書籍がいっぱい並んでいるのに、マスコミはそうした論議を取り上げようともしなかった。今になって「政府から出される情報が少ないですねえ。」などと他人事のようにほざいているが、あざとさも大概にしろ。情報もほとんど無いうちから賛成、賛成と口々に叫んでいたのは一体誰なのか。

そして予定された決断の時期も間近に迫り各種団体の反対行動も強まって与野党内でもいよいよ議論が紛糾、国論を二分する状況が先鋭化していた先週一週間、夜の報道番組を主軸とする
マスメディアの報道はどんな態度で、何をしていたか?

国会議員の言動や反対運動を行なう農業・漁業団体らの映像を淡々と流すだけ、事情を知らぬ視聴者にとっては“これは対岸の火事ですよ”という訳だ。

そのくせ野田佳彦がカンヌG20で、何ら国民の同意を得てもいず、与党内議論さえまとまっていない消費増税を、しかもデフォルト危機国家でも無いのに各国首相の前でわざわざ宣言する(誰もまともに聞いていなかったらしいが)という、主権者国民を愚弄する稚拙で許し難い政治行動に出た前日の11月3日であったか、NHKの『ニュースウォッチ9』は、さあ今日は晴れの国際公約の前夜祭!と言わんばかりに、またぞろいつもの「消費増税:財政破綻しちゃうよヤバイよキャンペーン」だけは抜かりなく執り行うのである。

いつものパターンで公的債務残高の対GDP比国際比較(イタリア約130%、ギリシャ約160%、日本約210%)を見せてからそれが根拠に日本はヤバイです、ギリシャみたくなりますよと彼らは言うのであるが、それでは何故すでに対GDP比債務率でイタリアもギリシャも凌駕している日本国債の長期金利が1%前後で安定しているのか、彼らがヤバイヤバイと言い続けて10年ほど経つと思うが、その間毎年30~40兆円ペースで借金が増えているのにどうして不安兆候すら発生しないのか?そうした素朴な疑問に対してさえも、彼らから納得いく説明を聞いたことは一度も無いのだ。

野田首相がG20で消費税増税を確約:居る「TPPオバケ」は必死に否定する一方で、居ない「財政オバケ」は煽りまくる怪談



財務省に首根っこ掴まれてベッタリのNHKには、根本的な組織改変が早急に必要であると思われる。


さらにその前日にTPPの交渉分野24項目を書いたフリップを今更ながらにチラッと持ち出して「こんなにあるんですねえ」と呆けて見せたTBS
『ニュース23X』に至っては、翌日その内容について少しでも視聴者に解説するのかと思ったらところがどっこい、元よりサラサラその気は無いらしく、一転して今度は“既得権益守旧派”としての農協ネガティブキャンペーンに興じている有様である。

あのいつもの小沢一郎のニュース映像の時などに被せる見え透いたあざとさのオドロオドロしいmusic
を、農協を解説するニュース映像の全編、JA全中会長が全国の多くの農家や消費者の声を代表して首相官邸を訪れた時の映像にまで被せるのだから酷いものだ。

「TPP=農業問題」という虚構から少しでも報道姿勢を前方展開させるのかと思ったら、まさにその逆を行くあっと驚く後方展開、今度は「TPP=農協問題」だとな・・・。(大体問題点が有るからといっても農協が無くなってそこに外国資本がボンボン入ってきたら、今より尚問題多いだろ。)先週の『ニュースウォッチ9』が「The・偏向」なら『ニュース23X』には「The・矮小」の称号を差し上げる。

ついでにウジムシ朝日の『報道ステーション』にも触れておくと、やはりTPPの中身には一週間ほとんど触れず、なぜか韓国の自動車メーカー現代(ヒュンダイ)の特集を大々的にやっていたのが印象的だったな。

韓国の港で、停泊する大型輸出船のなかへと次々と自走して勢いよくスロープを駆け上がっていくヒュンダイ製の自動車。しかもカメラは近接のローアングルで眼の前を通過して行く車を捉えるので、視聴者の視覚に伝わる勢い感はいや増すのであった・・・。

ハッキリ言ってそんなイメージ演出効果に工夫を凝らしている労力があるのだったら、韓国国内でいま国内を紛糾させている米韓FTAの中身の実態について少しでも解説して欲しかったし、せめてヒュンダイのアメリカ市場における現地生産率が現在どのくらいのものかでも知りたかったものである。


選挙マニフェストことごとく離反、国民民意ことごとく無視の隷米・隷官姿勢で政権安定を図ろうとする野田政権もヒドイものだが、この一週間のマスメディアの確信犯的スットボケ姿勢、どこまでも国民を愚弄しようとするジャーナリズムのかけらもない末期的腐敗振りも、われわれはしかと見届けた。

彼らはすでに死んでいる。

自分が死んでいることに本人達がまだ自覚していないことが問題なのだが、これから思い知ることになるだろう。

さて今週は野田佳彦の口からどんな言葉が飛び出すか。


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2011年11月 6日 (日)

TPPは地獄行きのバス/腐敗した米国型の体制を強要される/TPP賛成論者に欠けているもの、それは【国家主権】

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新聞やテレビをいくら見てもTPPは絶対に分からない。TPPの要点と本質について簡潔明瞭に述べたコラム記事が有るので幾つか転載する。


    TPPは地獄行きバス
    olive!news 10.31 em5467-2こと恵美

「知れば知るほど危険なTPP」

この言葉は民主党国会議員の複数がツイッターでつぶやいた言葉です。では、具体的に私たちの生活に何が危険なのでしょう。

一、労働の自由化
自由という言葉とは裏腹に、加盟各国からの労働者を拒めなくなる条項が入っています。日本より賃金が安い国からは、安価な労働者が、米国からは弁護士や医師がやってきます。オバマ大統領は韓国とのFTAと日本とのTPPで70万人の雇用を作り出すと宣言しています。就職氷河期といわれる日本でその分、雇用が失われます。移民と異なり選別したり、拒んだりすることは違反になります。大企業製造業がTPPを促進せよ、と迫っているのは、日本人の非正規雇用者よりも安価な労働者が手に入るからで、競争力強化とは異なり、利潤を上げる為です。

二、日本人の税金が外資に流れる仕組み
全てにおいて自由競争ですから、公共事業も例外ではありません。公共事業の原資は私たちの税金です。その金は日本の土木・建設会社を通して国内を循環します。これが外資の参入によって国外に行きます。公共事業は、景気対策・雇用対策の側面も大きいのですが、震災復興の原資が東北の労働者・経済を潤せなくなるのです。

三、医療制度が崩壊します
現在の国民皆保険制度は、金持ちが沢山払い、収入が少ない人はそれなりの支払いです。ところが、医療が自由化され、米国の医療株式会社が参入すれば金持ちほど、そちらにシフトします。現在の保険制度が支えられなくなるのです。そうなれば、混合診療が導入され、あなたの保険の治療はここまでです。と、医療格差が深刻化します。これを税金で支えようとすれば、自由な経済活動を阻害したという名目で多額の賠償が科されます。TPPに霞ヶ関が総じて賛成なのは、国民サービスを最小化できるからです。

四、民主主義が崩壊します
TPPの最も恐ろしい事は、投資家が投資した国の政策に関れるという条項がある事です。ISD条項といい、憲法よりも上に位置します。投資家対国家間の紛争調停といわれるものですが、裁判はアメリカにおいて行われます。自由競争の阻害要因(例えばそれがセーフティネットであっても)には多額の賠償が請求できるのです。また、投資家は投資した国の政策に提言できるという項目すらあります。国民の文化的最低限度の生活を保障する憲法よりも投資家の意見が尊重されるのです。


(補足)さらに、投資分野全体での外国企業の「内国民待遇」が認められると、食糧自給率の低下と併せて、国民生活の基盤を支える安全保障まで危うくなることになるだろう。



    TPPが日本の政界再編成につながる?
    田中宇の国際ニュース解説 11.1
より一部転載

 日本がTPPに入ると、利得より不利益の方が大きい。それなのに、政府や外務省、マスコミなどがさかんにTPPに入った方が良いと言い続けるのは、米国が日本に入れと強く言っているからだ。TPPは、実は経済の話でなく政治の話、対米従属という日本の国是をめぐる話である。対米従属の話であるので、TPPの報道には、沖縄基地問題などと同様、マスコミ報道にプロパガンダ的な歪曲がかかっている。

(中略)

▼腐敗した米国型の体制を強要される

 TPPの要点は、ほかにもある。TPPは加盟国に、関税だけでなく、政府の監督政策、労働、環境、公共事業政策、安全基準など、規制や制度といった「非関税障壁」の撤廃を義務づけている。参加国の中で、米国の政治力と経済規模が圧倒的に大きいので、事実上、米国が、日本などの他の参加諸国に対し、米国型の規制や制度を押し付けるかたちとなる。

 米国の規制や制度が、日本よりすぐれているか、日本と同程度ならまだ良いのだが、この10年あまり米国の政府と議会は、金融界や防衛産業、製薬業界、医師会、農業団体など、各種の産業のロビイストに席巻され、各産業界が思い思いに米政府を牛耳り、自分たちに都合の良い政策を政府にやらせる傾向が年々強まっている。911以後、防衛産業(軍産複合体)が有事体制を作り、民主主義の機能低下が起きたことに他の業界が便乗した結果、米国の行政はものすごく腐敗したものになっている。

 その結果、金融界をはじめとする大金持ちに対する課税の比率が少なくなって貧富格差が急拡大している。リーマンショックで金融界が潰れそうになると、巨額の公金が注入され、金融界による連銀の私物化に拍車がかかってドルが過剰発行された。製薬業界や医師会が、メディケアなど管制健康保険の診療報酬や処方箋薬適用をお手盛りで拡大した結果、メディケアなどは支出過剰になり、米政府の財政赤字が急増している。これらの全体に対する米国民の怒りが「ウォール街占拠運動」などにつながっている。

 公的な事業であるべき、道路や電力網など公的インフラの整備が、市場原理重視策によってないがしろにされている。ここ数年の米国では、大都市で大規模な停電が起きている。電力自由化のなれの果ては、01年に起きたエンロン破綻事件だ。道路や橋の整備が不十分なので、民間企業が橋や道路を建設して高めの通行料をとるケースも増えている。

 米議会の共和党は、米国の産業界が守るべき環境基準を緩和し、環境汚染を今よりも容認することで、企業が環境保全に払ってきたコストを減らし、その分、雇用を増やせるはずだから、汚染容認が雇用対策になるのだと主張している。TPPに入ると、日本政府が企業に環境保護や消費者保護、厳しい安全基準の遵守などをやらせるのは非関税障壁だという話になっていきかねない。

 米国型の経済政策は、自由市場主義を表の看板として掲げているが、それは実は、企業が米政府を牛耳った腐敗構造の産物だ。そうした構図が露呈し、米国型の経済政策がうまくいかないことが明らかになった今ごろになって、日本はTPP加盟によって、米国型の経済政策を強制的に導入させられる方に進んでいる。




    TPP賛成論者に欠けているもの、それは【国家主権】
    olive!news 11.2 徳山勝

TPPに賛成する人の言い分の視点は決まっている。それは「関税と農業」である。

曰く、「自由貿易は経済理論上正しい」とか、自由貿易・加工貿易立国として日本が生きて行くには、TPP=関税撤廃だという。そして返す刀で、TPP加入により日本の農業を、国際競争力のある農業に改革すべきだと言う。このようにTPP賛成論者の多くは、TPPを「関税と農業」の問題だけだと誤解している。

これに対し、TPPに反対する人は、それ以外のことについて具体的な事柄を挙げてTPPの危険性を訴えている。将に好対照である。筆者は自由貿易・加工貿易立国論者であるが、だからと言ってTPP加入に賛成はしない。過去の農業政策が、高関税と補助金漬けであったため、農業が駄目になったとか、「TPPは『やる気のある農家』に生き残ってもらえるチャンスだ」とか言う古閑某なる評論家にも賛成しない。

中には、アメリカによる発展するアジア経済圏への橋頭堡であるとか、オバマ政権の景気浮揚策とか、アメリカの経済戦略であると認識した上で、中国との貿易自由化交渉を有利に進めるために、TPP加入は一つの方法だと言う者もいる。世界第一と第二の人口を擁する中国とインドの経済成長が、21世紀の世界経済の牽引車になる。日本がその市場拡大に備えるのは当然であるが、それがTPPだとは限らない。

TPP賛成論者には、決定的に欠けているものがある。それは【国家主権】への視点である。以前本欄で紹介したISD条項と呼ばれる「投資家vs国家の紛争解決条項」がある。国民の生活や健康を守るため、国が制定した法律や規制により、外資系企業の営利活動が規制された場合、その企業は現地国に損害賠償請求ができる、という取り決めである。こんな【国家主権】を無視した馬鹿な話があるのがTPPである。

東京大学名誉教授宇沢弘文氏は「世界各国はそれぞれの自然的、歴史的、社会的そして文化的諸条件を十分考慮して、社会的安定性と持続的な経済発展を求めて、自らの政策的判断に基づいて関税体系を決めている」と指摘したそうだ。確かにその通りであるが、TPPは関税・経済だけの問題ではない。非関税障壁の撤廃であり、さらには【国家主権】が侵害される問題なのだ。

既にTPPに加盟しているニュージーランドのジェーン・ケルシー教授が、今年の7月仙台でTPP問題について講演し、次のことが明らかになった。即ち、参加する場合は次の4点の承認が条件になるそうだ。①文書は協定に署名するまで非公開。②協定は脱退しない限り永続。③規則や義務の変更は米議会の承認を必要。④投資家は政策的助言に参加し、規制を受ければ投資家が加盟国政府を控訴可能。

先ず「文章は協定に署名するまで非公開」では、TPPの是非を国民が判断できないではないか。主権在民の民主主義に反する協定である。次に、なぜ「米議会の承認」だけを必要とするのかである。これでは加盟国は対等ではない。他の加盟国はアメリカの植民地乃至は隷属国ということになる。そして最後の「投資家は政策的助言に参加」ということは、他国の政策に外資が介入するということを意味する。

先月、外務省が民主党の「TPPに関するプロジェクトチーム」に提出した資料によると、ベトナムはTPP加盟により「脱中国経済とアメリカ向け輸出の増加」を、またマレーシアは「東南アジア諸国連合(ASEAN)での主導権」を目指す方針だそうである。経済小国ならば、アメリカに奪われるものは少なく、得るものが大きければ、アメリカの力を借りるという選択肢もある。だが、日本は違うだろう。

TPP賛成論者の多くが、なぜ【国家主権】への視点が欠け、「関税と農業」だけを言うのか。多くの場合は情報不足によるものだと思う。上記のジェーン・ケルシー教授の講演内容を報道したマスコミはおそらくゼロ。筆者も最近ネットで知ったばかりである。官僚は、国民に知らせて拙いことは一切隠して来た。そして先月末になって「TPP協定交渉の分野別状況」と題する79ページもの分厚い資料を出して来た。

マスコミもTPPの問題点を承知の上で、TPP賛成の世論誘導を図っている。上記の「分野別状況」について詳しく報道したマスコミは無いだろう。前回の本欄で紹介したように、「米国が最も評価するタイミング」だとかいう馬鹿げたことしか報道しない。官僚に完全に操られている野田首相、玄葉外相そして枝野経産相らが気にするのは、そのマスコミの評判だけである。どう叩いても「国民の生活が第一」という声は、彼らから聞こえてこない。



TPPはグローバリゼーションと国家・国民経済のこれからの関係を問う問題である。

グローバル化、多国籍化した大企業にとって国家などもはや邪魔な存在でしかない、という考え方の専行とその徹底的な敷衍を目指すものがTPPである。

デメリットを顧みない強行的なTPP推進気運の進行を見るにつけ、国際価格競争の激化と市場の奪い合いのなかで生き延びようとするグローバル企業と、現状の所得水準・社会保障水準の維持を求める経済的先進国家の国民の利益とは、もはやあきらかに相反するものとなりつつあるという厳然たる事実の認識に至るのである。

日本はその流れを一気に加速させて濁流に飲まれる道を選び、米国でいま進行しているような「貧困社会」を国内に移入するのか。日本と比べてきわめて輸出依存度の高い経済体制である韓国(参考記事:輸出依存度 韓国43.3%、中国24.5%に対し日本は11.4%だけ)でさえ、米国とのFTAの批准にいま国内が紛糾している。

「自由貿易の前提としてのセーフティーネットの整備」、「中央から地方へ」という小沢一郎・鳩山由紀夫が主導して政権奪取した時の民主党の理念と、いまの民主党政権中枢はまるで別物。なぜ今こんな政権になっているのかという反省も含めて、

国家とは何なのか?これからどうあるべきなのか?日本の戦後全体が問われているように思える。


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2011年11月 3日 (木)

TPP:日本はルール作りに参加出来ない。政府内部文書で明らかに

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ウソと隠ぺいで塗り固められたTPP推進論。昨日の東京新聞の政府内部文書スクープでも明らかになった。


TPP ルール主張困難 米「参加承認に半年」
2011年11月2日 東京新聞


 環太平洋連携協定(TPP)交渉について、米通商代表部(USTR)の高官が、日本の参加を認めるには米政府・議会の非公式な事前協議が必要で、参加決定に時間がかかるため「受け入れが困難になりつつある」との認識を示していたことが、日本政府の内部文書で分かった。正式協議を合わせると米議会の参加承認を得るのには半年間程度が必要な見込みで、早期参加表明しても来夏にまとまる予定のルール策定作業に実質的に加われない可能性も出てきた。

 日本に有利な条件を得るため早い参加が必要、というTPP推進派の主張の前提条件が崩れかねない状況だ。

 野田佳彦首相は、今月十二、十三日にハワイで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で参加表明を行いたい意向とみられ、民主党内で調整中。表明すれば、これが最速となる。

 日本政府は、米国の承認手続きに関連し、米議会の了承には最低九十日間の協議期間が必要としていたが、事前協議には触れていなかった。日本政府関係者によると、この期間は三カ月間程度という。

 内部文書によるとUSTR高官や米議会関係者は、事前協議は「米政府と議会が時間をかけ非公式な協議を行う」とし、日本政府のTPPへの姿勢を歓迎できる見通しがついて「初めて九十日の期間に入る」と説明している。日本を受け入れるため、現在、米国やチリ、豪州など九カ国で進行中のTPP交渉を遅らせることは望ましくなく「既に参加期限は過ぎた」と明確に述べている米議会関係者もいる。

 TPP参加を後押しする経済産業省などはこれまで「早期に参加して有利な条件を獲得すべきだ」と主張。しかし、APECで参加を表明しても、交渉参加できるのは早くて来年の夏前。九カ国は来夏までの合意を目指している。日本が加わった段階ではルールの細部まで議論が終了している可能性が大きい。

 内部文書は、日本の外務省などの職員がTPPの交渉に集まった米国などの担当者に、日本参加の期限などについて質問し、まとめた。

(転載了)



11月1日の日本農業新聞で指摘されていたことが政府内でも、しかも米国側からの直接の進言として認識されていたわけだ。


TPP交渉 ルール作り 参加困難

日本農業新聞 11月1日

ペルーで19~28日に開かれた環太平洋経済連携協定(TPP)第9回拡大交渉で米国は、国営企業と民間企業の競争条件を公平にするための条文案と労働者に関する条文案を提示した。このことは、ほとんどの交渉分野で条文案に対して各国が意見を述べ、合意できない箇所を一つずつ“つぶしていく”段階に入ったことを意味する。万が一、日本がTPP交渉に参加しても、ルール作りで新たな提案をするといった意見反映の機会が限られることになる。拙速に交渉参加するより、交渉の状況を見極め、国民議論を十分にしてから参加の可否を判断することの妥当性が高まったといえる。

・拙速な判断 一層危機感

 米通商代表部(USTR)は、第9回拡大交渉後の28日に公表したプレスリリースで「(交渉参加9カ国の)交渉官は協定の法的文書について、さらに意味のある進展をさせた」と交渉の成果を強調。ペルーのバスケス首席交渉官も「交渉対象の21分野のほとんどで各国が示した条文案をベースにした議論が始まった」と述べた。

 日本が11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議でTPP交渉参加を表明しても、参加国が突き付けてくる参加条件への対応をめぐる国内調整や、米国政府による米議会への事前通報といった手続きがある。このため、日本が実際に交渉に加わるのは来年の夏以降になる見込みだ。外務省幹部は「来年は2月以降、毎月交渉会合が開かれることもあり得る」とし、日本が参加するまでに、条文案に基づく交渉が5回ほど開かれる可能性がある。

 ある政府関係者は「交渉が進んだ分野では、途中参加の国が交渉の進展に逆行するような新規提案を行うことは許されない。ルール作りへの参加の意義が薄れている現実を直視して、交渉参加の判断時期を考える必要がある」と話す。

 米国が国営企業などに関する条文案を出したことで、日本政府が株式を所有する企業(日本郵政グループや日本たばこ産業、NTTなど)と民間企業との対等な競争条件の確保が、日米の2国間協議だけでなく、TPP交渉でも取り上げられることが確実になった。

(転載了)



主要紙のウェブを閲覧してみると、この東京新聞のスクープに対し追随記事を載せたのは朝日新聞くらいで、毎日・日経は代わりに藤村官房長官の「終わってから(日本の交渉参加が認められる)という話にはならない」というすっとぼけた会見談話と、経産省内で行なわれた討論会での「ルールの中に、わが国として大事な指摘やポイントを入れていく」ためにも「早期の参加が必要だ」という枝野幸男の発言を載せている。昨夜のテレビ各社の報道姿勢も然りである。

読売、産経にいたってはガン無視で、読売は野田首相の「内閣府の試算では、日本の実質国内総生産が2・7兆円増加するという結果が出ている」という国会答弁を掲載しているが、いい加減に10年累積での試算値だと表記しろよ。

マスコミの報道姿勢は異様だ。

昨日の当ブログでも、いま参加表明しても実際に協議に参加出来るのは来年春以降で、すでに大枠合意ができているTPP協議で日本がルール作りに積極的に参加するなどウソっぱちの虚言妄想であると指摘したばかりだが、米議会の90日ルールに加えてその前の米国内事前協議をアメリカが「時間をかけ行なうよ」とわざわざ言ってきているわけだ。

「バスに乗り遅れるな」どころか「乗ったところが終点」。飛んで火に入る夏の虫、とはこのことだ。APECでの参加表明はまさに自殺行為となる。




「TPPを考える国民会議」主催の街頭演説会&デモ行進
 というのが行なわれるようです。


~STOP TPP!!~ TPP交渉参加に反対する街頭演説会&デモ行進
と き  11月5日(土)13:30~15:00

ところ  有楽町イトシア前
弁 士  中野剛志氏他、国会議員、著名ジャーナリストを予定

      15:30~デモ行進。日比谷公園霞門から行進スタート

      17:00 終了予定

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2011年11月 2日 (水)

新聞・テレビは“ムード”で国民を騙す-まったく実証的でないTPP推進論者の弁:食いぶちを“探せそう”、刺激になる、ゴネて“もらいたい”→子どもか?

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末期的な脳死状態に陥ってるこの国のエスタブリッシュメント(官僚・マスコミ・隷米政治家)。何度も言うけど、彼らに連いて行ったら国民生活は破滅だよ。

なぜならTPPは傲慢前原誠司や嘘つきマスコミの虚構するような農業1.5%VS他産業98.5%の問題などではなく、多国籍大資本1%VSその他国民99%の問題なのだ。その1%のなかの広報部隊・腐敗権力集団マスメディアはこの真実から国民を眼くらましさせるのに必死。


・孫崎享氏(元外交官・外交評論家)の10月30日ツイッターより

孫崎 享

世界史的にみて植民地の存在は、その地域に土着の推進者がいたから存続。今日本のエスタブリッシュメント層はこの階層に成り下がった。

占領期:日本が占領された時、真っ先に対米協力したのは当時のエスタブリッシュメント層。官房長官(相当)は女性を捜し、高級将校相手のパーティ。重光外務大臣(当時)のように公用語を英語、貨幣をドル、米裁判権を交渉で撤退させた人間は早々に辞職させる。残念ながら日本それ内蔵。今露骨に復活

占領時代・読売新聞DNA:1945年11月12日付読売新聞:「漢字を廃止するとき、われわれの脳中に存在する封建意識の掃蕩が促進され、あのてきぱきしたアメリカ式能率にはじめて追随しうるのである。文化国家の建設も民主政治の確率も漢字の廃止と簡単な音標文字(ローマ字)の採用に基づく国民知的水準の高揚によって促進されなければならない」

目を疑うような記事です。漢字を止めて、ローマ字に移行すれば封建意識がなくなり、アメリカ式能率にはじめて「追随しうる」というのです。読売新聞の方、無関係と言われますか。同じDNA認めますか。

占領時代・重光評価:「最上級幹部は頻々として“マ”(マッカーサー)詣でを行い、何れもその立場を安固にせんとするものの如く」 「昨今、朝日始め、新聞紙の阿諛追従、真に慨嘆に堪えたり」 「何れも、理性を喪ひたる占領軍に対する媚態となり、到底云ふに忍びざるものなり」

(転載了)


DNA、しっかり生きてますね。「永遠の12歳」はいまやほとんど脳死状態で、「永遠の5歳」以下かも知れません。

それにしてもTPPで公文書における日本語使用が「非関税障壁」ということになり当初は英語の併記が義務付けられる程度としても、その影響は決して小さくないだろう。ビジネス上のあらゆる局面で英語の使用の方が有利ともなる状況になれば、いずれ日本語が廃れていくというのもあながち荒唐無稽な話では無い。アイヌ民族の気持ちが少しは分かるようになるかも知れんが。



 鈴木宣弘:TPPをめぐる議論の間違い ── 推進派の俗論を排すより一部転載


 現在9カ国が参加して交渉中のTPPは、すでに2006年5月にチリ、シンガポール、ニュージーランド、ブルネイの4ヶ国で締結されたP4協定がベースになることも忘れてはならない。日本では、TPPがどのような協定になる可能性があるのかについて、政府は「情報がない」と言って国民に何も説明していないが、このP4協定に近いものになるのだから、少なくともP4協定についてなぜもう少し国民に説明しないのかということが問われる。

 P4協定は160ページにも及ぶ英文の法律である。P4協定は、物品貿易の関税については、ほぼ全品目を対象として即時または段階的に撤廃することを規定している。また、注目されるのは、政府調達やサービス貿易における「内国民待遇」が明記されていることである。内国民待遇とは、自国民・企業と同一の条件が相手国の国民・企業にも保障されるように、規制緩和を徹底するということである。

たとえば政府調達では、国レベルだけではなく地方レベルの金額の小さな公共事業の入札の公示も英文で作り、TPP加盟国から応募できるようにしなければならなくなる。サービス貿易については、金融、保険、法律、医療、建築などの各分野で、看護師、弁護士、医者等の受け入れも含まれることになるだろう。金融についてはP4 協定では除外されていたが、米国が参加して以降、交渉分野として加えられている。

(転載了)

※P4協定(オリジナル・TPP)については、青木文鷹氏の私訳有り



これだけ国民のあいだで反対意志が噴き出しているのに、一向に疑問や不安に答えない政府・官僚とそれを守るマスコミ(内閣府再試算TPP10年累積経済効果を1年分であるかのように各社一斉誤報・昨年も同じ事をやった確信犯・隠ぺい体質)。

答えられないのだ。

何か具体的な希望的観測を述べても、後でそれがウソになってしまうことが自分で分かっているから。

TPPの大枠は既に決まっており、それは物品貿易の関税撤廃に限らず、サービス貿易・投資・金融・労働・政府調達などで原則例外を認めずすべての非関税障壁を撤廃するという超過激な自由貿易協定であり、多国籍大資本の跳梁跋扈に裸で身をあずけると言う事であり、国家・国民の社会経済生活にとっては深刻な不自由協定に他ならない。

「いま協議に参加表明すれば日本が積極的にルール作りに参画できる」と言うのはまったくの虚言・妄想の類。

「いま協議に参加表明する」ことはすなわち「TPPの大枠原則に同意」したということ。その後にごねて協議離脱はきわめて困難になる。しかも11月のAPECで参加表明しても現実に協議に参加できるのは来年春。すでに遅い。

その存在を国民にひた隠しにしながら1994年以降毎年米国から日本に突きつけられていた「年次改革要望書」。日本のあらゆる国内規制や社会の基本構造までもを米国企業が活動しやすいように米国型に「カイカク」しろとの要求。その積年の「カイカク」要求を、元は小国同士で始まったP4に米国が悪乗りして日本を誘い込み、一気に実現しようとしているのがTPPなのだ。

この国のエスタブリッシュメント層はその内実を理解しながら、それに抵抗しようとする気力もなく、むしろみずからの保身の為に積極的に国民とその生活を売り飛ばそうとしている。



岩上安身(ジャーナリスト)

驚くべき話。昨日、日比谷野音での反TPP集会で喝采を浴びた鈴木宣弘東大教授が、別の場所で、「民主党のTPP推進派のある議員が、『日本が主権を訴えるのは、50年早い』と発言した」と暴露。TPPの推進派は、TPPが、米国隷従を深めるという自覚があって、その上で推進を唱えている確信犯。(10月27日)

(→この議員は経済連携PTの事務局長をしている吉良州司と判明。)



27日毎日新聞の報道で出てきた、交渉に参加した場合のメリットなどを分析した政府作成内部文書で明らかになったのは、「APECで交渉参加を表明すべき理由」として12年の米大統領選をあげ、「米国はAPECで相当の成果を演出したいと考えている」から、日本が交渉参加を表明すれば「米国は『日本の参加でTPPが本格的なFTA(自由貿易協定)となる』と表明可能」になって大統領の成果になる、というもの。

つまりハナからオバマに気に入られるのが第一目的(そのオバマはウォール街ハゲタカ金融の使用人)、対米隷属しておけば我が身の保身は安泰、それ以外の国民生活に関わる将来的ビジョンなど何ら無いのだろう、こんな脳死どもをわれわれの代表としてTPP交渉のテーブルに着かせるなど考えられない、ゾッとする事態である。



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前回の記事で『そうだったのか!学べるニュース』におけるその迷解説振りを紹介した石川和男氏であるが、マスメディアにおける需要は高いらしく、中野剛志が出演した翌10月28日の『とくダネ!』にもTPP推進派の論客として再登場していたようだ。

前日は反対派を呼んだので今日は推進派の意見を聞く、という趣旨はまあ良いだろう。しかしそれなれば前日の中野剛志の提示した反証に対してあらためて真正面から正々堂々と反論を試みるというのが、まっとうな議論の成り立つための筋である筈である。

中野の提示した反証というのは、

①「国を開く」?エ?何言ってんの?
・・・日本の平均関税率は現時点で世界最低水準。(コメやサトウキビのような例外的高関税品ばかり取り上げて国民をミスリードしていませんか、マスコミさん?)しかも日本はトウモロコシほぼ100%外国依存、主食のひとつともいえる大豆もほとんど輸入品、野菜も自給率は高いが種はほとんど外国産、そして食糧自給率は経済先進国中最低、すでに充分国を開いていると言うか、むしろ開き過ぎ。それよりも先ほど70億人を突破した世界人口(1年1億人に近いペースで増加中)をも鑑みれば、食糧安保というのを真剣に国是として考えないとヤバイんじゃないの?それなのにエ?TPP?「国を開く」?

→子どもか?


②「アジア・太平洋の成長を取り込む」?ハ?何言ってんの?
・・・子供騙しもヒド過ぎませんかねえ。(マスコミは何故異議を挟まないんですか?)TPP参加国の顔ぶれを見れば一目瞭然。日本とアメリカで市場規模95%以上。オーストラリアがほぼ4%。それ以外は比較にならないような小国ばかりで、アジアなんて無きに等しい。しかも日本はTPP参加国のシンガポール・ブルネイ・ベトナム・マレーシア・チリ・ペルーとはそれぞれ個別の経済連携協定(EPA)をすでに結んでいる。TPPにはアジアにおけるGDP上位国の中国も韓国も台湾もフィリピンもインドネシアもタイも参加しない。アジア・太平洋の成長を取り込めないどころか、TPPに参加したら却って彼らから孤立する恐れすらあるんじゃないの?それなのにハ?TPP?「アジア・太平洋の成長を取り込む」?

→子どもか?


③「東北の農家は犠牲になれ」?オイ?何言ってんだ?
・・・読売新聞などは大震災の翌日くらいに「震災復興のためにもTPPを」と発信していたらしいが、それでなくともTPPで農業に甚大な影響が出ると懸念されているのに、大震災で農地被害を受けた東北の農家はTPP参加と聞くだけで再建意欲を失うだろう。さらに読売新聞は最近(10月13日)の社説でもTPPは零細農家を離農させて農地を奪取するいい機会、TPP参加と同時に彼らを補助金の対象から外せ、と露骨に非情な米国大資本の御用聞き新聞振り全開である。

農家が大規模経営化してもそれらが規制の取り払われたなかで多国籍企業により独占化されるのであれば、それにより食糧価格がたとい一時的に安くなったとしても、それは食糧安保の面や食糧安全基準の面から見たら、国民全体にとっての不利益である。ジャイアンの脇で威張りくさって弱い者イジメしている精神的未熟児スネオのような論理(新自由主義)が、TPPという訳の分からん三文字言葉の名の下にまかり通っている。オイ?「東北の農家は犠牲になれ」?

→子どもか?


④「TPPで輸出主導の経済成長」?アア?何言ってんの?
・・・TPPで日本が輸出先として期待できるのは市場規模から言ってもアメリカのみだ。そのアメリカ経済はいま瀕死の大不況と高失業率にあえいでおり、内需は冷え込んでいて、展望の見えない状況。加えて円高傾向も収まる状況になく、品目によって差はあるが現行すでにかなり低い水準にある米国の関税がたとえ撤廃されたところで、輸出の伸びなどほとんど期待できない。むしろ日本の輸出産業はここ数年の極端な円高とドル安・ウォン安によって国際競争力が後退したのであって、この通貨問題が輸出産業を考慮するうえでの第一義。関税ではない。事実内閣府試算でTPP経済効果僅か2700億(GDP比0.05%)。

その反面TPPで安い農産物や労働力が日本に入ってくると、価格競争が今以上に激化し、さらなるデフレの進行、給与水準の低下、失業率の上昇を招き、国内経済は疲弊する。現状の日本の経済構造下で輸出主導で経済成長というのがそもそも過去の亡霊に囚われた妄想なのだ。

グローバル化した輸出型企業は国際競争化における合理的行動として従業員の低賃金化を指向しなければならず、TPPで経済小国からの低賃金労働者の大量移入が望み。あるいはTPPでベトナムなどに工場移転してそれを無関税で加盟諸国に売りさばく腹。輸出型大企業の利益と国民大多数の利益とが離反してしまっているというのが現実で、それがグローバリゼーションの本質。TPPに参加しないと国内産業が空洞化するなどの論も片腹痛い。TPPが有ろうが無かろうが多国籍大企業は通貨リスクや関税リスク、賃金コスト等を勘案しその都度国境をまたいで移転するだろう。

「TPPで輸出主導の経済成長」論は現実と乖離(かいり)した強迫観念の如き、過去の亡霊におびえる老心の見るまぼろし。内需拡大政策でデフレ解消が今日本の取り組むべき喫緊の課題。超過激な自由貿易協定であるTPP参加論はそこからの眼くらましであるのみか著しい逆行なのだ。そうだろう?なのにアア?「TPPで輸出主導の経済成長」?

→耄碌(もうろく)か?


⑤「米韓(韓米)FTAに遅れをとるな」?ヘ?何言ってんの?
・・・日本が自家用車・家電などの耐久消費財市場で韓国に劣勢なのはここ数年でウォンの価値が日本円に対し半分近くまで下落するような大幅な円高・ウォン安となったため。つまり通貨問題。マスコミは米韓FTAに遅れを取るな!といっせいに煽(あお)っていたが、その内実については国民に伝えない。悪夢の“毒素条項”てんこ盛りのFTAの内容に、韓国国内はいま大紛糾している。「韓国は、自国民の健康、安全、環境基準を自分たちで決めれなくなりました」(中野)。米国による韓国併合といっても過言で無いような内容なのだ。これを見ればアメリカの考える“自由貿易協定”というのがどういうものか分かりそうなものだが、それでもヘ?韓国に続け?「米韓(韓米)FTAに遅れを取るな」?

→自殺志願か?


⑥「TPPは農業問題」?ナニ?いつまでもばっくれてんじゃねえぞ?
・・・この期に及んでまだマスコミはTPPのデメリットを農業のみに矮小化してその本質を国民に隠そうとしている。それどころか、今週に入っての報道番組を観ているとTPP問題の扱い自体が少なくなり、まるで国民に忘れてもらいたがっているような風である。これだけ将来的影響力の大きな問題にもかかわらず、公器としての役割を意図的にサボタージュしている。最早国民を騙せる詐術的話法も尽きたから、今度は沈黙作戦か。小泉郵政の時と逆パターンであるが、その卑劣な根性は少しも変わっていない。

デメリットは一杯有り過ぎて、これまでの記事でもいくつか書いたし書ききれないが、最大の危険は投資分野における「内国民待遇」で、国家の安全保障にまで関わる問題だということは10月25日の記事で触れたが、直接即効で一番モロに壊滅的打撃を受けるのは地方経済と雇用だろう。

前記の鈴木宣弘氏の解説にもある通り、元々日本は政府調達の分野において、一定の基準額以上は英語の仕様書を作成しているが、その範囲がTPP参加で一気に拡大することになり、P4基準によると中央政府調達で現在の半分、地方自治体で3分の1程度にまでに引き下げられることになる。また公共工事の設計をコンサルに委託する場合は現行2.3億以上から750万円以上に大幅緩和され、設計委託の多くは国際入札ということになる。

地方自治体の比較的小規模の公共事業にも外国企業がどんどん参入出来るようになると、建築・土木など低賃金労働者を抱えた外国企業に席巻される事が想定され、そうすると主要産業が農業と土木業というような地方都市は税金の海外流出で資金循環と雇用体系が崩壊する。地方の崩壊はすなわち日本の崩壊である。参照:TPP への参加が建設分野に与える影響に関する見解(PDF)(建築政策研究所 2011年3月25日)。勿論地方に限らず種々のサービス業でも外資参入、価格破壊、低価格競争にともなう低賃金化、失業率増加のデフレ・スパイラル地獄が想定される訳で、医療の問題だってある。それでもナニ?TPPは農業問題?あなたには影響ありませんからわたしに連いて来て?

→無理心中か?


⑦「とりあえず交渉参加してみて」?オイ?寝ぼけとんのか?
・・・さっきも言ったけどTPPはすでに大枠原則が決まっているもの。そこに協議参加するというのはその原理原則に同意したということ。「とりあえず協議に参加してイヤだったら抜ければいいんじゃない?」は世間知らずの僕ちゃん、お譲ちゃんの発想。現に米のワイゼル主席交渉官も28日「真剣に妥結に向かう意志がない国の参加は望んでいない。」とクギをさしている。もし途中離脱などしたならば却って日米関係悪化、国際信用おかしくなる。それなのにオイ?ぼんやり気分で「とりあえず交渉参加してみて」?

→ボクちゃんオッパイ飲むでちゅか?


・・・とまあ以上のように、10月27日『とくダネ!』において中野剛志は実証データを用いながら、TPP推進論者の振りかざす全編実体無きイメージ戦略である子供騙しの“ムーディー”なスローガンのすべてを完膚無きまでに叩きのめしたのであるが、それに対する反証の任務を負わされた石川和男工作員の哀れな思考が辿り着いたTPP推進論とはどのようなものであったか。なにしろ今まで推進派が使ってきたハリボテのまやかしスローガンは前日すべて中野に論破されていたので、同じ手は使えないのであるが・・・。


「とにかくですね、TPP交渉に参加してみれば、なにかいい食いぶちを探すきっかけになると思いますよ。」
・・・オイオイ、何だ言うに事欠いて“なにかいい”食いぶちを“探す”“きっかけ”って?二重・三重に曖昧過ぎてそれじゃほとんど妄想と変わらんぞ?実証的はるか以前の問題だな。そんな根拠の無い理由で危険いっぱいのTPPに参加しようって言ったって誰も頷かないぜ。夢を見るのは自由だがな・・・

→子どもか?


「刺激になる」
・・・これも論外だな。われわれその刺激の程度をいま問題にしててね、オリジナル・TPPの協定文や米韓FTAを参照しながら議論してるわけ。分かる?刺激になる=何でもかんでもO.K.なんだったら独りでアンパンでもやってなさい・・・

→子どもか?


「ここはひとつね、われわれの代表に交渉で頑張ってゴネてもらうのを期待してですね」
・・・だからさっきからゴネるにもその枠がほとんど無いって言ってんだろうがよ。一体誰に期待しろって言ってるんだよ?玄葉に?玄葉に?玄葉に?まさかだよな。

官僚に期待してるのか?外務省にか?外務省の役人ってこういう奴らだぞ。
郵政改革法案作成に外務省が執拗な圧力。外務省は米国務省の日本分局か
外務省職員が国会議員に対しスパイ行為。一体どこの国の外務省?内務省?どうなってんで省?
外務・防衛官僚の対米隷属体質暴いたウィキリークス

経産省にか?宗像直子にか?
ゴネて“もらいたい”とかそんな妄想じみた淡い期待で国民生活を賭けるのか?そもそもどこをゴネなければならないのか、そこを具体的に議論しなくていいのか?中野が問題提起した部分は全部無視で反証すらしないのか?夢見る夢子ちゃんで生きていけんのか、オイ!

→子どもか!


そしてここまで露骨に子ども騙しの嘘つき振りを見せつけられ続けると、われわれは逆に彼らエスタブリッシュどもにこう質問してみずにはいられないのである。
お前ら一体どこの国の人間だ?

→・・・欧米です。



石川は外圧=輸入品の市場進出によって却って国内産業が成長した実証例として唯一山形のさくらんぼの例を挙げるのだが、たしかにTPPに参加しても山形の佐藤錦は生き延びるであろうが、佐藤錦を買える日本人は激減するのである。そもそも次元の違う話なのだ。

石川のみにTPP推進派の代弁の責を負わせるのはいささか酷なので(彼もこれ以上公衆の面前で生き恥を晒すのはもうイヤだと思っているかも知れないが)、10月31日テレビ朝日『TVタックル(テレビタックル)』に推進派としてみんなの米国党電波芸者江田憲司と民主党から金子洋一が出ていたので、彼らの話にも耳を傾けてみよう。

この番組自体がそもそも議論を攪乱(かくらん)しウヤムヤにして茶化す事を目的として存在する茶番番組なのだが、P4協定と現在進行中のTPP協議はまったく別物と思い込んでいる民主党ボケ議員金子洋一は宗像直子にすっかり洗脳されているクチなのであろう、推進派と言えども局的にも論外だったらしく、本人の希望も虚しくオンエアで使われたのは小沢一郎の悪口を言った部分(これはテレビ朝日的にオイシイ部分)ぐらい。

その代わりにペシャクリ名人江田憲司がオンエアではほとんど喋りっぱなしという編集であったが、ISD条項(毒素条項の項参照)が日本にとっても有利と言い張る露骨な新自由主義丸出しの弁には、やはり嫌悪感を感じざるを得ない。どこの国に有利であっても米国流に過ぎるこんな制度は、本来のカントリーリスクからの投資家保護の範疇をはるかに逸脱しているものだろう。

しかも報道番組でこの危険きわまるISD条項が取り上げられた事自体いまだ一度も無いのではないか?この国のマスメディアの惨状、暗澹たるものがある。



とかくTPP推進派の弁というのはおし並べて“ムード”のみで無知な民を辛苦の破滅へと誘導しようとする悪魔の囁きである。彼らに実証的な議論は出来ない。

その最たるものがいわゆる「バスに乗り遅れるな」論であろう。この煽動的なスローガンは戦前の近衛文麿内閣が、のちに破滅的結果をもたらすことになる枢軸国入りを推進する際に使われたものとまったく同じである。。熟慮を欠いた前のめり振り、マスコミの口調まで当時とソックリなのだ。朝日新聞を始めとする当時のメディアはこの言葉で散々国民を煽り、政府の尻を叩き、日本は悲惨な戦争に突入していったのである。

「“ムード”のみ」に騙されるな。



『インディアン居留地で見たこと-カナダ、グラシイ・ナロウズでの6年』
宮松宏至(1983年草思社:絶版)

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2011年10月28日 (金)

消される前に必見!『とくダネ!』でW中野共演TPPこれで解かる。第一声でブチかました怒れる魂、これが男の本気だ

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『とくダネ!』10月27日①








いわゆるB層洗脳番組というのは今どんな具合のものなのかと思い、テレビ朝日『そうだったのか!学べるニュース』という番組に目星をつけて、この『とくダネ!』前日の10月26日放送を観たのだが・・・。

(※プレゼントキャスト(電通の子会社)によって削除されていたら・・・)
http://www.youtube.com/watch?v=uo8NjoGi-Xk&feature=mfu_in_order&list=UL
http://www.youtube.com/watch?v=5_vc8igGMfQ&feature=mfu_in_order&list=UL


・テレビは国民を騙(だま)す


一応断っておくけど、何もオレは「B層」などという言葉で自分以外の他人を小馬鹿にするようなつもりは毛頭なく、この用語は2005年の郵政民営化推進キャンペーンの時に、竹中平蔵氏を中心とする推進グループがひそかにわれわれ国民をIQで分類したうえで、IQの低い層を「B層」と命名していた事実に由来する。

彼らがマスメディアを最大限活用して「B層」に狙いを絞ったラーニングプロモーション(洗脳活動)を徹底的にすべし、という企画を練っていたことが後日発覚したことから広まった語である。因みにこの時の彼らの企画書では、「B層」とは主として主婦、若者、高齢者のことだそうである。

テレビマンたちがわれわれ一般市民を「パンピー」と陰で称して蔑していたのと同じ発想だ。人の話を信じやすい素直な人、あるいは“権威”の言うことは常に正しいと考えてしまいがちな人達がターゲットにされる。

この『そうだったのか~』という番組をまともに観たのは初めてだったが、案の定と言うか、想像以上に悪辣(あくらつ)で何と言うかやっぱりヒドイ。初心者に一般論を説く体裁を取りながら、その実内容が露骨に偏って事実を歪曲している。フェアーで無い。こんな番組がゴールデン・タイムに堂々と放送されているのだから、いま世界で一番馬鹿なのは日本人、などと揶揄されるのも無理はないのかの知れない。

日本は今ひそやかな世界の注視の的である。

あの日本は、TPP参加などという馬鹿げた自滅行為にほんとうに突入して、あの老いさらばえて血迷い始めたアメリカからのあらたな帝国主義の発動に、みずから没入して行くつもりなのか?

この日の『そうだったのか~』でもTPP問題が取り上げられていて、石川和男という元経産官僚が“教師”役で登場、“生徒”役を演じるタレントと“流れるような”質疑応答を交わしていたのだが、

よーするに、この期に及んで相も変わらず農業VS他産業という単純図式の貿易論でTPPを語るのみ(『とくダネ!』動画前半の笠井アナの説明とほぼ同じ)だが、実はその構図自体が虚構。

彼ら推進派(マスメディアのことです)にはそれしか手がないのだろうが、実際のTPPの交渉分野は実に24項目に及び、農業はおろか、単なる貿易問題ですらなく、国の「カタチ」を根本からまるごと変えるというか壊しかねない問題。彼らは農業をスケープゴードにして国民を誤魔化している。


TPP交渉24分野

・市場アクセス(工業)
・市場アクセス(繊維・医薬品)
・市場アクセス(農業)
・原産地規制
・貿易円滑化
・首相交渉官協議
・サービス(クロスボーダー)
・サービス(電気通信)
・サービス(一時入国)
・サービス(金融)
・サービス(e-commerce)
・政府調達
・投資
・環境
・労働
・税関協力
・競争政策
・知的財産権
・SPS(衛生植物検疫)
・TBT(貿易の技術的障害)
・制度的事項
・紛争解決
・横断的事項特別部会
・貿易救済措置



しかもその場合に彼らは決まってコメの関税率778%を引き合いに出し、日本の現行関税率が諸外国に比べてさも高いかのような印象付けを視聴者に与えるが、日本の農作物に対する平均関税率はすでに韓国などよりずっと低く、EUよりも低い。干ばつ・洪水や投機マネー等による食糧価格の世界的高騰問題等が恒常化しつつあり、むしろ食糧自給率の低さの方に危機感を抱かなければならない状況であるのに、その危機感が余りに薄過ぎる。

そしてマスメディアの報道がコメ、コメと殊更にそちらの方に国民の関心を振り向けようとしているのには、さらに別の意図が隠されているとも考えられる。

 
   東谷暁「アメリカの狙いはコメじゃない!~」

   より一部転載

 アメリカはいまでも日本に36万tものカリフォルニア米を何の努力もなしに押し込んでいる。WTO(世界貿易機関)での取り決めで、日本はコメに高関税をかけることの見返りとして、毎年、77万tの「ミニマム・アクセス米」を輸入することを受け入れているのだが、その半分近くを、すでにアメリカ米が占めているのだ。

 そもそも、アメリカが作っているコメのうち、日本人の嗜好に合うジャポニカ種は30万tほどにすぎず、そのすべてを日本に押し込んだとしても、日本のコメの消費量は900万tだから、日本のコメが乗っ取られるという試算や報道じたいが、馬鹿げた妄想なのである。

 事実、アメリカのUSTR(通商代表部)が毎年発表する『外国貿易障壁報告書』でも、アメリカのコメが加工食品などで表示されていないことに不満を鳴らすものの、コメ輸出増加などにはまったく触れず、「アメリカ政府は、日本政府がWTOにおける輸入量に関する約束を引き続き果たしていくことを期待している」とだけ述べている。

(転載了)


「TPP例外認めぬ 米経済団体、大統領に圧力」と10月23日の日本農業新聞の記事にあるように、日本が一旦交渉に参加すれば、米韓(韓米)FTAの場合のように、アメリカは容赦なくあらゆる領域で強欲な自国企業の利益の為に、日本の非関税障壁(関税以外の様々な国内規制)をとっぱらうよう要求してくるだろう。

そして交渉の結果他の分野についてはアメリカの要求をほとんど呑まされながら、コメに関しては当分何とか勘弁してもらえたよ、あるいは段階的措置で譲歩してもらったよ、だから良かった良かった大成功、というアナウンスが国民向けに流布される、というシナリオが用意されていると推測されるのである。

大成功どころか、デフレと超円高からの脱却が最優先課題とされるべきいまの日本にとって、TPP参加はそれに正反する世紀の愚行となるだろう。新聞・テレビをまともに見ていたら、それだけで経済オンチになってしまう。

そして外国企業に利する為の社会基盤の破壊が「構造改革」「規制緩和」の名の下に(これらは使いようによっては実は一番効く「B層」洗脳用語である)粛々と遂行される。利益を得るのは外国企業と、その手足となって動いている彼らの代理人たち、一部の大企業の経営者とその大株主のみである。

輸出が増えてその結果GDPが増えても、われわれの給与所得水準はむしろ下降する傾向にあることはすでに先の「いざなぎ超え」景気(2002~2007年)の時のデータで明らかになっている事実だが(それがグローバリゼーションというものの本質だ)、実質日米FTAであるTPPなどに参加しても、その輸出の伸びすらほとんど期待できない。

そもそも日本のGDPに占める輸出の割合はマスコミの喧伝(けんでん)と事実は異なり諸外国と比べて低い(WTOの最新データで世界178か国中175番目)ものであり(日本は内需大国)、さらにTPPにより取り除かれるというアメリカの輸入関税も現時点で全体にすでにかなり低いのだから、当たり前なのだ。

5日にあらためて内閣府からのわが国がTPPに参加した場合の経済効果試算値が発表されたが、これは一年前に発表された同様の試算とほぼ変わらない約2・7兆円というもの。そしてこれは10年間での累積試算であり、一年間にならすと2700億円、GDP比わずか0.05%というほとんど誤差レベルの効果しか期待できないというのが政府の試算でさえ出ているのだが、これを新聞・テレビはどう報じたか?

その日のNHKの夜のニュースは「一定の期間で」2・7兆円円の効果、と報道。

さらに日本経済新聞読売新聞時事通信などは、「2・7兆円(GDP比0.54%)の押し上げ)」と報道。なんと日経・読売・時事10年間の累積数字を1年間のものと見做して対GDP比の計算までして、それを記事にしているという確信犯振りなのだ。

なぜそこまで姑息な手段を使って国民を騙そうとする?自己の主張が有るなら有るで、正々堂々と主張してみろこのウジムシども!国民を馬鹿にするな!!中野剛志の怒りも当然である。

この通り、別に『そうだったのか~』がバラエティー番組形式だからヒドイのではなく、報道番組に眼を転じてもやっている事はほとんど同じである。多少高等そうな専門用語を織り交ぜながら偽証に走っている分、むしろなお性質が悪いとも言えるのだ。

『そうだったのか~』で石川和男「経済学者はほとんどみんなTPP参加に賛成なんですよ~」とまでのたまっていた。

「へえ~」(タレント陣)

オレの知る限り、書店に行けば圧倒的にTPP否定派の書籍の方が多いし、専門家・知識人の間の趨勢でも同様な筈だ。ただテレビに出て来て発言するのは石川のようTPP推進派ばかりというのは本当だろう。この石川発言はまさに「The 偏向」。図に乗るのも大概にしろと言いたい。

そういう意味でも27日の中野剛志氏の地上波民放出演は貴重であったが、その迸(ほとばし)る憤怒のスパークに、ゲスいタレントなどからは早速非難の声が挙がったという。

しかし以上に述べてきたように、まさにいまの新聞・テレビの報道は朝から晩までウソばっかり、卑劣で卑屈なその偏向報道振りは娼けつをきわめている。

むしろ心有る視聴者には彼の態度からあらためてこの問題の重要性と、彼の真剣さが伝わったものと信ずる。

去年の暮れから今年にかけて小沢一郎を擁護する発言をした者が次々とテレビから出演機会を奪われたように、狡猾で用心深いテレビ局はこれで再び彼を使わなくなるかも知れない。しかしよしんばそうなったとしても、それはテレビの勝利を意味しない。中野剛志は真正面から正々堂々マスメディアの報道姿勢そのものを「それはおかしい」と批判したのであり、そこからの敵前逃亡はおのずと敗北の結果をもたらすであろう。

しかし『そうだったのか~』のように作為的な茶番を演じることが、いまのこの国の作法なのか?

確かにそこではすべてが滑らかに予定された結論に導かれ、波風は立たないだろう。いまのバラエティー番組では話の進行中にいちいち「へえ~」という大きな相槌の効果音が挿入されるが、いつから始まったスタイルなのか知れないけれど、アレ何かうるさくてキモチワルくないか?

・・・「へえ~」・・・「へえ~」・・・「へえ~」

いつもの位置より1メートル下がってテレビを観てみたらどうだろう?これも一種のラーニング・プロモーションではないのか?

繰り返される相槌の単調なリズムは、聞く者の精神をまどろんだ弛緩の沼へと誘い、その沼底にはきっと、狡猾な捕獲者が待ち構えていることだろう。

ぬるいまどろみにエロス(愛)は宿らないと知れ。



こちらも必見。AKB48大島優子が解説するTPP

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2011年10月25日 (火)

TPPはアメリカの仕掛けた罠③ -日本をアメリカに売った小泉・竹中・マスコミ。TPPはその第二弾総仕上げ。郵貯・簡保・共済の国民資産収奪に手ぐすね引くアメリカ。知らぬは国民ばかり・・・


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・小泉・竹中の郵政米営化政策-

10月20日の「第9回TPPを慎重に考える会 勉強会」にて。外務省、金融庁、総務省、内閣官房郵政改革推進室が登壇し、TPP参加のメリットと安全性を説明。しかしアメリカのシビアな要求に対する想定の甘さに、会場からは批判の声が相次いだ。(Web Iwakami

そのなかで国民新党亀井静香氏も発言。郵政改革法案を作成する過程でアメリカから「ノー!小泉政権時の案のままで行け」という非常に強いプレッシャーがあったこと、管轄でもない外務省がアメリカの主張を呑め、と圧力をかけてきて、条約局長までしゃしゃり出てきたので副大臣が出入り禁止にしたこと等を報告し、会場から大きな拍手を受けた。

前原誠司が「TPPの慎重論、反対論の中には事実でないことへの恐怖感がある。わたしはこれを『TPPお化け』と呼んでいる」などと発言していることに対し、亀井氏は「政府の責任は国民に正確な知識を届けることだが、それをしない。(前原氏らが)自分たちのしていることも分からないのは、それこそ『TPPお化け』だ」と反論している。

はたしてどちらが「お化け」なのか?

当ブログではかつて前原誠司を“ぬらりひょん”と称したことがあるが、それはさておき、正攻法の議論を回避してワン・フレーズ的に対立相手を悪者に貶(おとし)めんとするその手法は、かつての小泉純一郎首相を連想させる。煽動的で、聴衆をマインド・コントロールするのには最適の方法であるが、幸か不幸か、彼には小泉ほどの煽動家としての才能は無いようだ。

前原誠司の政治手法が小泉純一郎のそれと類似しているように、その議論の的として現在彼を中心に推し進められているTPP(環太平洋経済連携協議)で計画されている策略の中身も、かつて小泉政権で実行された政策の実態と内実に、きわめて類似しているのである。

だから小泉純一郎が竹中平蔵と組み、マスコミという強力な援護射撃に守られながら実行していった政策の因果顛末を今あらためて検証してみる事も、一見迂遠なようでいて、TPP参加是非という喫緊の問題の本質を理解するうえで、無駄では無いだろう。






小泉・竹中がその存在を国民にはひた隠しにしていた「対日年次改革要望書」や直接の綿密な打ち合わせ等によりアメリカからの要請に沿う形で進めた金融経済政策は、要約すると、

①日本は緊縮財政をおこない、米国債投資を増やすこと。デフレは継続すること(日本の預貯金を日本で使わせないで米国債へ投資させる為)

②合わせて外資による日本企業の買収を促進させる環境を整えること。商法改正し、国境を越えた企業買収における三角合併の認可、銀行を弱体化させ、株価暴落への市場誘導をおこなう

③世界でも有数の資金量を誇る郵政公社を民営化して、それをアメリカ資本に買収させる

④新自由主義・市場原理主義にしたがって日本の経済社会体制や労働環境(非正規雇用の促進等)、日本人の思考様式までありとあらゆる領域を総合的に改造し、日本本来の経済力をその底で支えている社会生活基盤を疲弊させて、アメリカ資本の収奪しやすい環境を整えること

などとなるだろう。④の「ありとあらゆる領域」というのがミソだ。それを逐一詳述したらとてもブログ一記事では足りないが、これらは部分的にではあるが達成され、特に①と②に関しては十二分に完遂されたと言って良いだろう。そこには巨額のインサイダー取引の疑いまで絡む。

2003年春の日本の金融危機は人為的に引き起こされたものであった。株価暴落を招いた最大の原因は、竹中金融相(当時)による2002年10月のニューズウィーク誌における「大銀行が大き過ぎるからつぶせないとの政策方針をとらない」との発言である。



 竹中経済金融財政の深い闇 植草一秀の『知られざる真実』
   
2008年10月18日より一部転載

2002年9月30日の内閣改造で、竹中平蔵経財相は金融相を兼務した。すべての疑惑はこの内閣改造からスタートしている。

2002年10月から2004年3月にかけて、日本政府は47兆円ものドル買い介入を行った。米国国債保有者に47兆円の資金が提供された。本来、下落するドルを進んで買う者など存在しない。日本政府が進んで47兆円もの資金を提供しなかったら、米国経済では何が生じただろうか。

米国は海外から経常収支赤字に見合う資金を調達しなければならないから、日本が資本を供給しなければ、金利を引き上げざるを得なかった。2002年から2004年にかけて、米国は史上空前の金融緩和を実行した。2003年から2004年にかけて、FRBの政策金利FFレートは1.0%の史上最低水準で推移した。この低金利持続を可能にしたのは、日本政府の無尽蔵とも言える巨大資金提供だった。

2002年から2004年にかけての超金融緩和政策が米国における不動産バブル発生の原動力になったと考えられる。2002年から2004年にかけて、FRBが早期に金融引締め政策を採用していれば、米国の不動産バブルを小規模にとどめることができたはずだ。

この意味で、2002年から2004年にかけての、日本政府による不自然極まる巨大なドル買い介入が、現在の世界金融危機、サブプライム金融危機の根源的な原因を作り出したとも言えるのだ。

2001年から2003年にかけて、小泉政権は強烈な景気悪化推進政策を採用した。「いまの痛みに耐えて、よりより明日をつくる」とのプロパガンダを流布し、史上最強の緊縮財政政策を実行した。小泉政権の財政政策が史上最大の緊縮策であったことは、一般会計のデータから裏付けられる。詳細は拙著『現代日本経済政策論』(岩波書店)を参照いただきたい。

意図的な景気悪化推進政策と、「大銀行破たんも辞さない」との方針明示により、日本の株価は順当に暴落した。日経平均株価は2001年5月7日の14,529円から2003年4月28日の7607円まで、2年間で半値に暴落した。

拙著『知られざる真実-勾留地にて-』(イプシロン出版企画)に詳述したように、小泉政権はりそな銀行を政治的な理由により標的と定め、りそな銀行を極めて悪辣(あくらつ)な手口で、自己資本不足の状況に追い込んだのだと考えられる。

最終的に小泉政権は、りそな銀行を破たんさせずに、公的資金で救済した。欺瞞と不正に満ちた金融問題処理が実行された。日本の金融行政に最大の汚点を残したと言って間違いない。りそな銀行の経営陣には、小泉政権近親者が送り込まれ、りそな銀行は自民党の機関銀行と化していった。

金融市場に対して竹中金融相は「金融恐慌」のリスクを喧伝(けんでん)し、株式の投げ売りを促した。多くの本邦投資家が二束三文で株式資産を処分した。不動産も同様である。しかし、最終局面で銀行を救済し、資産価格を反転させるシナリオが準備されていた。「りそな銀行救済」をきっかけに株価は急反発した。不動産価格も反転上昇に転じた。

この「用意されたシナリオ」に従い、巨大利得を手にした勢力が存在する。外国資本と小泉政権関係者である。確証を持たないから、あくまでも濃厚な疑惑であるのだが、疑惑は限りなくクロに近い。

2002年10月から2004年3月にかけての47兆円のドル買い介入は、外国資本に対する日本資産買収資金提供の側面を強く有すると考えられる。小泉政権は2003年11月に総選挙を実施した。日経平均株価は2003年4月に7607円のバブル崩壊後最安値を記録したのち、2003年8月には1万円の大台を回復した。47兆円のドル買い介入資金が、総選挙に向けての日本株式買い付け代金として提供された側面も重要だ。株価が反発したために、小泉政権は総選挙での大敗を免れた。

「風説の流布」、「株価操縦」、「インサイダー取引」が国家ぐるみで実行された巨大な闇の存在が強く疑われる。そして、一連の経済金融運営は、国民の生活を破壊し、多くの罪なき国民に地獄の苦しみを与えただけでなく、国民の貴重な資産を外国勢力に破格の条件で提供した、巨大ディールであった疑いが濃厚に存在する。

   (転載了)



2003年2月の時点で竹中は、日経平均株価指数連動型の株式投資信託(ETF)は「絶対儲かる」と発言していた。またこのりそな問題では、複数の関係者が不審な死を遂げている。

こうして日本の生保、損保、銀行等の金融機関を始め多くの企業に外資が食い込んで準備が整った後、次に実行に移されたのがそれらによる郵政公社買収計画、すなわち③郵政民営化であった。

2004年4月に郵政民営化準備室が発足してから2005年4月に「郵政民営化法案」が閣議決定されるまでに、竹中平蔵はこの問題に関し17回だか18回だか米国関係者と密に会合協議を重ね、しかもそのうちの5回には米国の保険会社の重役陣が同席していた。米国資本は総資産量350兆円に及ぶ「ゆうちょ銀行」と「かんぽ生命」を一気に買収する計画を立て、投資銀行ゴールドマンサックスが幹事証券に決まっていたという。

その本来の目的をひた隠しにしたまま、国民に対しては何重もの虚偽のアナウンスがマスコミを通じて繰り返された。いわく、「小さな政府」を実現するために民営化して郵政職員を民間企業の社員にする、郵貯・簡保の資金を開放して「官から民へ」流すことで経済を活性化させる等々。

しかし郵政の職員は身分こそ公務員であったが、経営は独立採算制を採っていたので元々給料は税金からはビタ一文出ていなかったのであり、また郵貯・簡保を民営化しても、ひきつづき国債を買い支えざるを得なかったので、民営化しても資金は「官から民へ」など流せないことは、当時から分かっていたことだった。

2005年8月8日に参議院で郵政民営化法案が否決されると、小泉純一郎は衆議院解散総選挙に打って出る。いわゆる「小泉郵政選挙」である。この時のマスコミの報道は過熱をきわめた。



 森田実政治日誌 郵政民営化はウォール街のためか
   2005年8月10日より一部転載

米国通の友人H氏から、『ウォールストリート・ジャーナル』2005年8月8日号のインターネット版記事の一部が送られてきた。

『ウォールストリート・ジャーナル』は「郵政民営化法案は廃案となったが、これは手取りの時期が少し延びたに過ぎない。ほんの少し待てば、われわれは3兆ドルを手に入れることができる」との見方を述べている。

3兆ドルとは、国民が郵政公社に預けている350兆円のことである。ウォール街は、9月11日の総選挙で小泉首相が勝利し、総選挙後の特別国会で郵政法案を再提出し、成立させると信じているようである。

H氏によると、これを確実にするため、ウォール街は、多額の広告費を日本に投入し、日本のテレビを動員して、日本国民をマインドコントロールして、小泉首相を大勝利させる方向に動いている。

「多額の広告費はどのくらいか?」と聞くと、「とにかくケタ違いの金額のようだ。いままで投入した広告費の10倍を投入してもかまわない、と考えている。350兆円を得るために、その1~2%を使ってもよいと考えているようです。」

(中略)全地上波キー局が小泉自民党の宣伝機関になり、小泉ヨイショ報道に狂奔している。これにより日本国民をして小泉を支持させて、小泉を英雄にし、独裁者にしようと狙っている。

(中略)民放テレビ局員も、米国のマインドコントロールのもとで、日本国民を地獄に落とすためのウォール街の策動に喜んで協力し、テレビ報道を通じて日本国を米国の従属国にしようとしている。

   (転載了)



普段選挙になどてんで無関心な筈のオレの知人も当時「今度の選挙はなんか面白いな。投票に行こう。」と言っていたのを思い出す。彼の住む選挙区にマスコミが「刺客、刺客」と囃し立てる候補者がいたので、その人に投票したいと考えていたようなのだ。

小泉自民党は総選挙で圧勝し、2005年10月に郵政民営化法・関連法案が成立すると、竹中平蔵は総務相に就任する。 そして翌年郵政公社承継実施計画の骨格を策定し終えると、これで任務完了とばかりに任期途中で参院議員も辞職するのである。そして更にその翌年不自然な「かんぽの宿」等一括売却が行われたわけであるが、これにも竹中が計画的に噛んでいた疑いが濃厚である。この間の事情も植草氏のブログに詳しい。






郵政公社は政府が株式を100%保有する日本郵政会社に移行し、その株式は2010年から民間に売却される予定だった。しかし2009年の衆議院選挙で民主党・国民新党・社民党の三党連合が勝利し、同年12月に日本郵政の株式と資産の売却凍結法が施行された。そして亀井氏らが中心となり新郵政改革法案が策定されて、2010年6月に衆議院で可決したが、参議院で審議に入る前に参議院選挙になり、廃案となってしまった。

もし売却凍結法が施行されずにそのまま進んでいたら、「ゆうちょ銀行」と「かんぽ生命」の株式はまたしても不当な安値で、一気に米国資本に買い占められていただろう。明治時代以来のわが国の郵便貯金と簡保資金が国外に流出して日本国民のために使えなくなり、公社時代から蓄積していた積立金や利益準備金も、株主資本主義の名の下、配当金としてごっそり海外に持ち去られていた筈である。

そしてさらに日本国にとって重要な点は、ゆうちょ銀行とかんぽ生命合わせて日本政府の発行済み国債のほぼ3分の1を保有しているという事実であり、もし日本郵政が米国資本に買収された場合、彼らは資金運用を日本国債から米国債中心の運用に変更してくるだろうと思われ、その場合政府の資金調達は途端に困難になり、深刻な国家財政危機に直結するだろう。日本国債の市場価格も下落して長期金利が上昇し、同じく多額の国債を保有する国内民間銀行の経営を圧迫して、日本経済全体が深刻な打撃を受けることになるのである。

国債をすべて自国通貨建てで発行し、かつその保有者がほとんど自国民で占められている日本は、財務省やNHKを始めとするマスメディアがしきりに不安を煽っているようなギリシャやその他EU諸国のごとき財政破綻危機に陥る可能性は当面有り得ないが、それも日本郵政の支えあっての話なのである。「ゆうちょ」や「かんぽ」を外国資本に乗っ取られる事は、すなわち国家の危機に直結するのだ。国民を騙して郵政民営化を推し進めた小泉・竹中が、悪質きわまる売国奴と誹られる所以である。

そしてTPP交渉においても、アメリカは明確に執念深く郵政を狙ってきている。むしろ彼らの狙いの本丸と言ってもいいかも知れない。

ふじふじのフィルター氏のブログ記事によると、昨年11月5日の衆議院・農林水産委員会での自民党小野寺五典議員の質疑内で氏が明らかにしたところでは、小野寺氏の会見したUSTR(米通商代表部)の日本担当者は、日本のTPP交渉参加の前提条件(交渉参加の手土産)としての最優先課題として、米国産牛の月齢輸入制限の撤廃(BSE検査をしていない牛肉の輸入解除)とともに、日本は日本郵政会社に対する国内優遇政策撤廃の積極的受諾姿勢を持って来なければならないと氏に述べたと言う。

つまりTPPに日本が交渉参加表明した時点で、郵政の問題が俎上に上がるのを日本は受け入れたことになるというのである。USTRが小野寺氏に伝えたことは日本政府にも伝えられているであろうし、それから一年経ってアメリカの考えが大きく変わっているとも思えない。この点を政府は交渉参加の是非を決定する前に、国民に説明する義務が有る筈である。

そしてマスコミは何故こうした重要課題に対して積極的に政府に問いかけないのか?小泉郵政選挙から数年を経て、同じ手口の偏向報道姿勢を尚繰り返す彼らに対しても、国民の不信はもはや決定的な憎悪の一歩手前まで来ていると言わざるを得ない。

今月14日にワシントンで講演したUSTRのマランティス次席代表は、現在行われている9カ国によるTPP交渉において既に「20を超える交渉グループで草案が出そろった」と述べ、しかも現在行われているペルーでの会合では「米民間企業が競争上不利にならないよう、国営企業の分野で草案を追加提出する方針を明らかにした」と新聞記事にある。(毎日新聞10月15日付

つまり、基本部分の協定は既にほぼ出来上がりつつあるのであり、そこに今敢えて日本が交渉参加表明するということは、ふじふじ氏も指摘するように交渉に参加する=TPPに参加するという意思表明と捉えられるのが国際社会の常識だろう。そうした事情を承知したうえでの前原誠司の23日の「交渉に参加して、国益にそぐわないのなら撤退も有り得る」という発言は、その意図が見え透き過ぎて空々しい。藤村の方がまだ幾らか正直である。(TPP交渉、実際は離脱困難と官房長官-讀賣新聞10月24日付

何か発言する毎に、みずからの浅はかさを公衆に晒していくのみの結果となる前原誠司の姿は、小泉以後の売国政治家の辿る運命をもまた晒していると言えよう。

アメリカは破綻した世界最大の保険会社AIG(アメリカ・インターナショナル・グループ)を国営化した。AIGにとって、120兆円の資金を持つ「かんぽ」は是非ともいただきたい獲物のようである。USTRの『2010年外国貿易障壁報告書』にも、「かんぽ」に対する日本政府の政策的配慮が名指しで「障壁」として挙げられている。

「日本の簡易生命保険は依然として、日本の保険市場で支配的な力を維持している。(中略)米国政府にとって重要な目的は、日本の国際的な義務を整合的なかたちで、日本郵政株式会社と民間セクターが同等の競争条件を確保することである。簡保会社と民間の保険会社との平等な競争条件は、競争を促進し、消費者の選択を広げ、資源配分を効率化し、経済成長を刺激するのに不可欠である。」

さらにUSTRの『2011年外国貿易障壁報告書』にはこうある。

「共済-組合によって運営される保険事業、共済は日本の保険市場で実に大きなシェアを占めている。(中略)アメリカ政府は、共済が金融庁の監視の下に置かれるとともに、平等な競争が確保されている民間の保険業と、同じ規制基準と監督に従うべきだと信じている。」

アメリカ政府とアメリカの保険会社は、簡保とともに、共済(JA共済、全労災、県民共済、COOP)の収奪にも手ぐすねを引いているのだ。簡保も共済も、保険金額の上限が低い代わりに安い掛け金で加入することが出来る、庶民の生活基盤を支えている保険機構であり、低・中所得者層における重要なセーフティー・ネットとして機能しているものである。それらを有無を言わさず株式会社化し、市場原理の中に放り出し、弱体化したうえで買い叩こうというのが、TPPというアメリカからの誘いの正体なのだ。

サービス市場の全面開放、サービス貿易における内国民待遇(外国企業も国内企業と完全に同等に扱う)が盛り込まれているのが、TPPの大きな特徴である。しかし金融や投資や政府調達などの全般が他の財と同じように外国企業に無条件に開放されてしまうと、国内の経済政策や国民経済の基盤が、実に危ういものとなってしまうのである。

先に述べた小泉・竹中の金融経済政策の要点における①、②において彼らは充分にその任務を遂行した。彼らの中途でやり残した③、④をi再び徹底的にやり抜こうというのが、今度のTPPなのである。






長くなってしまったが、最後にいま一度、小泉・竹中政治の悪夢の継続からひとりでも多くの同朋が眼を覚ますためにも、当時阿修羅掲示板にも転載された昨2010年2月9日の衆議院予算委員会における、民主党小泉俊明衆議院議員による小泉政治を総括した国会質疑の議事録を転載させていただく。


小泉(俊)委員 民主党の小泉俊明でございます。

 さて、今、日本じゅうの国民の最大の関心は景気、経済にあります。この国民の期待にこたえ、効果的な対策を打つためには、経済の現状を正しく認識するとともに、原因を正しく分析することが不可欠であります。

 私は、この観点から、一貫して、この予算委員会そして財務金融委員会におきまして、小泉元総理そして竹中大臣に徹底的に闘いを挑んでまいりました。過去に盲目な者は未来にも盲目である、こう言ったのは西ドイツのワイツゼッカー大統領でありますが、私は、この言葉は真理であると思います。政権交代を果たした今こそ、あの小泉構造改革とは一体何だったのかということを検証していかなければならないと思います。

 そこで、まず、平成十三年、小泉総理登場以来のここ十年間の経済の現状を簡単に振り返ってみます。

 すると、まさに死屍累々であります。

 データを簡単に読み上げますが、マクロ経済で見ても、GDPが、先進諸国で一カ国だけ伸びないどころか減少を続けています。一人当たりのGDPは三位から十八位に後退をいたしました。税収は減少をし、国債の発行額だけが増大をしております。

 ミクロでは、自殺者はここ九年間で二十九万人、十年間で七万人死亡しましたベトナム戦争の四倍にも上っています。倒産数は九年間で十四万件、破産はここ八年で百五十五万人。犯罪数も、平成十四年に二百八十五万件という史上最高を記録し、平成十三年からの八年間で一千九百万件にも達したわけであります。生活保護世帯も、平成十二年の七十五万件から、九年で一・五倍の百十五万世帯。働く国民の三分の一、一千七百万人もの、特に若い人たちが、あすをも知らぬ契約社員となったわけであります。実収入、可処分所得、消費支出も減少を続けています。

 結果から見まして、この小泉改革は、日本経済、特に地方経済の衰退と中小企業の疲弊と犯罪の増加と国民生活の破壊を招いたとしか言いようがないわけであります。

 それでは、日本がここまでがたがたになった原因は一体どこにあるのか。小泉さんと竹中さんがやったことを振り返ってみたいと思います。

 資料の一をごらんいただきたいと思います。日経平均株価の推移でありますが、二〇〇一年四月二十六日、小泉総理が就任したときに約一万四千円ありました平均株価が、二年後の四月二十八日、約半分の七千六百七円に下がりました。

 皆さん、偶然これが暴落したと思いますでしょうか。あの小泉総理、竹中さんがやったことを思い出していただきたいと思います。不良債権の強制的処理という名のもとに貸し渋り、貸しはがしを行いました。その結果、実体経済の血液であります金融がとまり、株と土地が暴落を始めました。そして、この株と土地が暴落したときにやったことが、時価会計と減損会計の強制的な導入であります。これはもともと、本来、株と土地が上がったときに入れる制度でありますから、この制度の導入によりまして、ますます株価が暴落をいたしました。

 そして、決め打ちが、銀行と企業の株式保有の禁止であります。もともと銀行と上場企業は四分の一ずつ株を持ち合いしておりましたので、この禁止によりまして、大量の株式が市場に放出をされ、株が大暴落をしたわけであります。

 この結果から見ますと、小泉さん、竹中さんがわざと強制的に株と地価を引き下げたとしか私には思えないのであります。

 それでは、一方で株価を下げながら、もう一方で何をやったかということを見てみたいと思います。

 三ページをおあけください。三ページは、小泉総理がやりました為替介入の記録であります。平成十五年一月から平成十六年三月までの十五カ月間で、小泉総理、何と三十五兆二千五百六十五億円という史上最高のドル買い介入をしたわけであります。これは、原資は、政府短期証券そして十兆円の米国債を日銀に引き受けさせ、捻出をしたわけであります。


Gaikokukawasekainyuu


 それでは、なぜこれほどの為替介入をしたのでしょうか。次のページをおあけください。その答えが載っております。これは、米国債を一体どこの国が幾ら持っているかという記録であります。二〇〇二年末で三千七百八十一億ドルだった日本の米国債保有が、二〇〇四年十一月末で七千百四十九億ドル。この二年間で三千三百六十八億ドル、ちょうど為替介入をしました三十五兆円、米国債を買ったわけであります。これは、言葉をかえますと、三十五兆円の仕送りをアメリカにしたわけであります。

 その結果、アメリカ大統領選挙間近になっておりましたアメリカは、低金利、好景気になりました。そして、この米国債は、外国市場で、国債市場で買ったために、売った方に現金ができる、その結果、空前の株高になったわけであります。

 ところが、これは、三十五兆円という余りにも膨大な仕送りをしたために余剰資金ができました。この余剰資金がどこに行ったかというのが次のページ、五ページをおあけいただきたいと思います。五ページは、日本の株式を一体だれが幾ら買ったかという、平成元年から平成二十二年までの記録であります。

 これを見ていただくと、黒三角というのはすべて売りであります。個人も法人も金融機関も黒だらけで売り越しでありますけれども、ただ一人だけ買い越しをしている人がいます。真ん中の外国人であります。特に、平成十五年八兆二千百三十四億円、平成十六年七兆六千五百二十二億円、そして平成十七年、何と十兆三千二百十八億円。平成十五年から十七年までの三年間で総額十六兆九千億円近く外国人が買い越しをしたわけであります。

 これは、結論を申し上げますと、米国に仕送りをした三十五兆円という巨額資金のうち、その半額の余剰資金が日本に還流をしまして、株が大暴落している最中の日本の株式をばか安値で外国人が買ったわけであります。

 その結果が次の六ページであります。この六ページは、一部上場企業のうち、外国人が何%株式を保有しているかという資料であります。

 ちょっとごらんいただきたいんですが、この右側の「持株比率順位」、第一位は東京スター銀行八三%、十位のオリックスが六六%、あのソニーは二十六位で五二%、そして六十位がアステラス製薬で四三%であります。実は、百位でも外国人に三五%保有をされるようになりました。

 御案内のように、株主は企業の実質的所有者であります。この結果、日本企業の所有権、支配権が外資に移ったわけであります。そして、これで何が起こったかといいますと、巨額な利益配当が無税で外国に流れることになりました。一例を挙げますと、七位の日産でありますけれども、ルノーの全世界の利益の約五〇%が、たった一社、日産の利益配当で賄われています。これはほかの企業も大体似たようなものであります。

 そしてもう一つ、外国人が日本の企業の所有者となった結果何が起こったかということでありますが、当然、利益配当を極大化するために固定経費、経常経費を削りたい。それにこたえて小泉、竹中さんがやったことが、終身雇用制の破壊と人材派遣の規制緩和であります。

 そしてまたもう一つ、後期高齢者医療制度もこの脈絡の中から読むことができます。製薬会社の実質的所有者であります外国人の利益を守るために、製薬、薬価を維持して、そのしわ寄せをまさに高齢者に持っていったというのがこの後期高齢者医療制度の本質であると私は思っているわけであります。

 今述べましたように、この小泉構造改革の真実は何であったか。まず一つに、金の卵を産む鶏であります民間企業の所有権をばか安値で外国人に売り渡した、それも、もとは日本のお金で売り渡したということであります。そしてもう一つ、亀井大臣が一番関係ありますけれども、あの郵政民営化、これも、三百五十兆円もの郵貯、簡保資金をアメリカの財布にするということがその本質だったと思います。


そしてこれに対する亀井静香金融担当大臣(当時)の答弁は、次の通りである。


亀井国務大臣 小泉議員から、今の惨たんたる状況になったその原因、やはり、過去をきっちりと総括しないで前に進んでいくということは、我々政治家は厳に戒めなければならないと私は思う。夢物語では我々の未来は切り開けないわけであります。そういう意味で、私は、小泉議員の指摘はまさにそのとおりである。だからこそ、民主党が、そうしたしっかりとした、過去を総括した姿勢で選挙をおやりになったからこの間大勝されたのかな、このように私は思っておるわけです。

 簡単に言いますと、小泉さん、竹中さんの政治の間違いは、縮小均衡の路線に入られたということだが、そうした中で、しかも富の配分構造を変えられた、産業構造を変えていかれた、そのために、安定的に国民の可処分所得がふえていかなかったという大きな問題が起きる中でこういう状況が起きた。

 簡単に言いますと、自民党席からはまたやじが飛ぶかもしれませんが、小泉・竹中改革と称する路線の逆をやれば日本の未来が開かれる、このように私は思います。


10月30日(日)渋谷 TPP断固拒否国民デモ



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