カテゴリー「音楽」の記事

2017年12月 6日 (水)

(Bad or Good) Witchcraft

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クソ女6連発







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2016年11月 9日 (水)

コイツらが笑うのが一番腹立つ・・・

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コイツらが笑うのが一番腹立つ・・・

Nhk






Make A Fist / Phantogram




Nightlife







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2014年2月14日 (金)

テレビ局と大新聞社の社員・職員に贈るMUSIC VIDEO

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テレビ局と大新聞社の社員・職員に贈るMUSIC VIDEO



ENEMY/IDLE WARSHIP






ついでにその辺にまだいるテレビっ子と新聞っ子にも贈ってあげようか?


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2012年5月28日 (月)

田代不起訴という時限装置付発破爆弾 (Which Way You're Going )


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(マスメディアを使った)誤魔化しとウソと情報操作で、大衆を自分達の思惑通りに誘導するのが民主主義だと為政者達が考えているのだとしたら、その考えは最早通用しなくなりつつあるし、インターネット時代になり情報ツールも増えて、マスメディアの垂れ流す情報を鵜呑みにせず独自に情報収集・知識集積する、増大した“あたらしい大衆”の側からすれば、そうした旧来の手法は、嫌悪と憤怒を増幅させる対象でしかない。

消費税率引上げ法案を是が非でも実現したいと言うのなら、本質的で根本的な経済政策論や財政論、将来的な社会保障制度論が国民衆目の前で侃々諤々(かんかんがくがく)となされるべきだが、国会でも新聞・テレビなどのマスメディアにおいても、そのような腹積もりはハナから無いようだ。

それどころか、「社会保障と税の一体改革」というまるきり出鱈目の嘘っぱちが国民にバレバレになって来たと思ったら、本質的な議論に還る代わりに、<外圧を利用した脅し>という、これまたバレバレの旧来手法を今更ながらに繰り返す浅ましさである。まったくもって往生際の悪い連中だ。

先週5月22日に欧米格付け会社フィッチ・レーティングが性懲りも無くまた日本の円建て長期国債の格付けを、「ダブルAマイナス」から1段階引き下げ、「シングルAプラス」とし、さらに見通しを「ネガティブ(弱含み)」、「新たな財政安定化策がなければ、さらに格下げの可能性がある」とした。

だから消費増率引上げ法案の成立が急がれるのだ、と言いたげなニュースである。海の向こう経由の財務省の念の入ったいつもの腹話術であるが、結局正攻法の議論で国民を説得出来ないしする気も無いものだから、この期に及んでも、喧嘩に勝てない子供が親を引っ張り出してくるような姑息な手法しか、彼らには思い浮かばないのだろう。格付け会社しかり、IMFしかり。

そもそも日本国債より米国債の方がランクが上という時点でまったくの茶番に等しいこの格付け会社のランク付け、しかもサブプライムローン絡みの債権をトリプルAの高ランクに格付けしておいて、リーマンショックを引き起こし世界経済を混乱させたのもこやつ等なのだから、泥棒にわざわざ意見を聞いて、それをありがたく拝聴しているようなものである。

暗黒NHKの『ニュースウォッチ9』を始めとするマスメディアも相変わらず、こうしたニュースを何らの疑義も挟む事無しに、権力の走狗よろしく垂れ流すキモチワルさであるが、なかでも暗黒TBSの『ニュース23クロス』などはこのニュースにタイミングを合わせたかのように、わざわざ日本売りのヘッジファンド、ヘイマン・キャピタル・マネジメントのカイル・バスへのインタビュー特集を組むという用意周到なキモチワルさであった。

カイル・バスは「今後2年以内に日本国債は暴落し、長期金利は10%以上に跳ね上がる」という従来からの持論を繰り返すのだが、この人が以前からしつこく主張する“日本国債暴落説”の暴落時期が、話を聞く度に段々後ろにずれて行っている。

昨年11月30日付で顧客に送った『日本国債にも危機迫る』レターでは「今後数カ月以内に日本国債が危機に陥る可能性がある。」と警告、その後12月27日現代ビジネスでは「12ヵ月以内に日本が倒産すると断言」、今年に入って1月29日の日本経済新聞電子版では「日本国債バブル18カ月以内に崩壊する」宣言、そして今回は「今後2年以内に・・・」という目まぐるしさであり、これで顧客の信頼が得られるのなら楽な商売だ。

まさにオオカミ少年を地で行く感じであり、(ちなみに『財務省「オオカミ少年」論』という本も在ります)、この人はリーマンショックを予言した人などとして崇めたてられているようだが、要するに自ら引き金を引き大声をあげて扇動、売りを浴びせて暴落した時には買いに回って利益確定・大儲けという自作自演劇を、今度は国債市場を舞台に実現してやろうというポジション・トーク野郎なのであろうから、そうした背景の注釈を『ニュース23クロス』は賢明なる“あたらしい大衆”の視線にビビッたのか一応最後に一言述べていたが、前述の暗黒日本経済新聞の記事などの場合には、そうした注釈は一切無いのだからやはりキモチワルい。

確かに今の長期国債金利は10年物で0.8%位とかなり低く、この水準が未来永劫続くなどと考えるのは安直だが、実際問題アメリカを始めとして他国の国債の実質的信用度が日本国債より押し並べて低い為にそのような金利になっているのであり、日本国債の金利が10%以上になる時には他の先進国はそれ以上に酷くなっていて、世界経済全体がおそらく破綻しているだろう。



今そこにある問題としての経済政策論、財政論においてこのように本質的な議論(財政再建の為にも今消費増税することは逆効果だ、他に方法がある、と反対派は主張している)を回避し、“無知なる大衆への脅し”という旧来手法を繰り返すしか能が無いのが暗黒マスメディアの惨状だが、話変わって土曜26日の夕方、彼らのなかでは比較的まともな報道が多いと言われるTBS『報道特集』が、「運転手はなぜ眠ったか?居眠りのメカニズム」と題して先月末に起きた関越道バス衝突事故をあらためて取り上げていたが、この切り口にも疑問符が付く。

番組は7人もの死亡者を出した痛ましい事故を踏まえ、深部体温の変化による夜勤者を襲う早朝の睡魔や睡眠障害の危険性、あるいは最新の居眠り運転防止グッズの紹介などに意を尽くすのだが、勿論それらはそれらで有益な情報であるにしても、ジャーナリズムが真に問わなければいけない問題の根源は、別な所に在る筈である。

逮捕された運転手は数百キロの長距離バス運転で日当一万円のアルバイト、みずからもバスを所有しての自営業との兼業過重労働の果ての惨事であった。そして事故を起こしたバス会社・陸援隊の社長も、過去に白バス営業で警視庁に摘発されたことがあるそうである。

このような業界実態が横行するようになったそもそもの原因が、小泉政権下の2002年に進められた道路運行法の改定に在ることは明らかである。

「ツアーバス事業を旅行会社に全面解禁。路線バスと違って、料金や運行区間も自由に設定できるようになった。その結果、格安ツアーが急増し、旅行会社からの運行依頼を狙って、新規参入の貸し切りバス業者も爆発的に増えていった。」

「安全面をおろそかにする」「格安ツアーバスの過当競争」状況を招いた政策がそもそもの元凶なのであり、「小泉の無軌道な規制緩和路線」の弊害が、自殺者の増加を含め、社会の様々な領域で噴出しているのである。(以上「 」 部、バス衝突事故の元凶 小泉純一郎を国会招致しろゲンダイネット 5月1日より引用)

そして当時、この小泉・竹中の“規制緩和・構造改革”路線を手放しで賛美し、礼賛し、国民を煽って推進させたのは他ならぬマスメディアなのであるから、その事の深い深い内省と自己批判から始める決意なくして、現在の報道・ジャーナリズムというのは、右にも左にも立ち行かない筈である。

それがどうであろう?

過去に対する内省も無いから、今ここに在る未来的課題にも真剣に向き合えない。

そして有るのは既得権益者としての自己保身だけである。

この番組でも最後に金平キャスターが「社会的背景も考えねばならない」と一言コメントしていたが、最後に一言チラッともっともらしいことを言えば、それで自分達の役割は充分果たしたとするのが、最近のマスメディアの流行なのか?オイ古館伊知郎よ?



ここがお前達の岐路だ。最後のチャンスと言ってもいいだろう。

“あたらしい大衆”がいま最注視している、刑事告発された田代政弘検事とその上司たる特捜部幹部達の起訴問題がその核心だ。なぜならこの3年にも及ぶ小沢一郎の周辺を巡った“陸山会事件”こそが、国家権力とそれと結託したマスメディア権力との腐敗の極限現象、暗黒の最暗部を炙り出すものに他ならないからだ。

検察内部での逃切り謀略派と自浄再建派との暗闘があるようであるが、謀略派は暗黒朝日新聞暗黒読売新聞と繫がってしきりに田代不起訴に向けてのブラフ記事を打ち出し続け、昨夜のNHKニュースに至っては、そもそも起訴か不起訴かというこの大問題から国民の意識を乖離させたい意図が見え見えで、

「田代検事を懲戒処分にする方針を固めた模様」(こちらを前面に出す)という、ニュースを、「一方、検察は、問題の捜査報告書の作成が意図的だったとまではいえないとして、検事らの刑事責任は問わないものとみられます」(附記事項)と後尾に添えて(というかこの部分web記事にはそう有るが、放送ではCUTしてるな。血迷ってる?)、しかも日曜夜の30分ニュース番組の終わり近くになってサラッと報じる不自然さは、それこそコソ泥が抜き足差し足忍び足で犯行現場から逃げ去ろうとしている呈の、何とも形容し難い卑しさである。

田代不起訴を一番望んでいるのは、検察よりもむしろマスコミであろう。起訴ともなれば、それを基点としてのこれまでの捏造報道の数々の徹底的自己批判検証無しには許されない。一方もし不起訴などという事になれば、“あたらしい大衆”は検察を許さないだろう。

腐敗しきった暗黒勢力の末期(まつご)の抵抗が田代らの刑事告訴を巡って、まさに今暗闘しているわけだが、彼らは徹底的自己批判による組織浄化という、唯一残された最後の再生の道をみずから否定して、あくまでも阿漕(あこぎ)で悪辣な抵抗の道を選ぶのであろうか。

それは腐敗した組織の破壊を時間的に少々引き伸ばすことにはなるかも知れないが、抵抗が大きくもがけばもがくほど、最終的な破壊の程度は甚大になるというのが、物理の法則というものである。



5,4,3,2,1・・・
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Robbie Rivera - Which Way You're Going (Club Mix)



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2012年5月12日 (土)

Mr. Saxobeaaaaaaat !



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暗黒司法?いいえ、暗黒国家です。

尻に火のついた悪魔達が、ついに阿波踊りを始めました。

どうせ死ぬなら踊らにゃソンソン。音頭取りが仙石由人というのなら、
良く出来た漫画だが・・・。

今年に入ってブログの壁紙が変わったあいば達也氏、あるいは酒を手控えているのであろうか(笑)、5月10日付記事の筆致が冴えている。熟読すべし



指定弁護士が控訴?フーン。

検察が自分達の体面を守るために無理筋を承知で控訴というのなら有り得そうな話だが、検審起訴裁判で只の代理人に過ぎない指定弁護士が控訴するというのは、一体誰の為なんだろうね?しかも被害者も何もいない瑣末な形式犯の有無を問う裁判でさ?一審判決直後の記者会見でもお互いに顔を見合わせて「控訴審は勘弁だよな~」という空気感全開だったのが、どういう風の吹き回しで豹変したのかね?

まあ、主謀者が海の向こうだろうが、腐れ司法官僚を中心とした取り巻き勢力だろうが、この際どうでもいい。まとめて面倒見てやろう。海の向こうはどうせ尻尾をあらわしゃしないし、先ずはあいば氏の言う通り、これほどまでに鼻先で愚弄されたのである、心置きなく国内クズ勢力を一掃して、「米国からの独立と自らの足で立つ、自己責任の日本政治の確立(すること)が急務なのである。 」そして海の向こうと向き合うことだ。


クンクンクンクン、燃えているのが自分の尻とも気付かず、何かが焼ける甘やかな匂いに誘い出され、この機を窺っていた悪魔の手先の先鋭どもが、ここぞとばかりにしゃしゃり出てきて、見るに堪えないへっぽこ踊りを始め出す。

やれ証人喚問だ、説明責任だ、国民の理解が得られない、云々。

暗黒NHK(キモチワル・・・)の『ニュースウォッチ9』大越健介は控訴決定の当日、したり顔で「国会の場と司法の場のニ正面から、あらためて説明責任を問われることになります。」などと解説垂れていたが、悪魔の論理にそもそも「正面」などというものは存在しないだろうに。正義と真正面から対面したなら一瞬のうちに燃え尽きて塵と化すのが、悪魔の業である。だから謀略裁判の内実についても一度たりとも正面から向き合わないし、どこまでも国民に嘘をつき続ける。

控訴決定に喜びを隠せないCIAパシリ印刷局(キモチワル・・・)読売新聞の以下のような希望的観測記事なども、われわれが意に介する必要などまったく無いものだ。


小沢氏、あわただしく自宅へ…復権戦略練り直し


民主党の小沢一郎元代表の陸山会事件をめぐる裁判の継続が決まったことで、9月の党代表選への元代表の出馬は困難になったとの見方が党内で強まった。

元代表の「復権」戦略は早くも練り直しを迫られることになった。

元代表は9日昼に東京・赤坂の個人事務所で側近議員と今後のグループの活動などについて協議した。しかし、正午過ぎには、あわただしく東京・深沢の自宅に帰り、午後の日程はすべてキャンセルした。

元代表に近い鳩山元首相は9日、「(控訴は)全く想定していなかった。残念だ」と記者団に語った。

小沢グループ内では、元代表の復権に向けて強気と弱気の声が交錯した。元代表が会長を務める「新しい政策研究会」のメンバー約30人は9日、緊急会合を開き、10日に抗議声明を出す方針を決めた。同会事務総長の東祥三元内閣府副大臣は記者会見で、「無罪は無罪だ。党員資格停止処分が解除されたから、今まで以上に日本再生に向けて全力で活動しないといけない」と強調した。

ただ、国会内の元代表の事務所に駆け付けた若手女性議員は「力が抜けた」と肩を落とした。

控訴審は来年まで続くとの見方が出ており、「裁判しながらの代表選は困難だ」と見る向きも党内には多い。仮に代表選に勝利しても、刑事被告人のまま首相の職責を果たせるのか疑問視されているためだ。

(読売新聞 5月10日)



「刑事被告人のまま首相の職責を果たせるのか疑問視されている」?その前に暗黒謀略裁判の実態全容が次々と国民衆目の前に明らかになって、読売新聞の職責と存在意義の方がよほど疑問視されるようになるだろうことを、心配した方がいいだろう。

「若手女性議員」が「力が抜けた」と言ったのは、読売はわざと曲解しているが、指定弁護士のトンデモ控訴の度し難い阿呆らしさに、思わずズッコケタということだろう。



私は元代表の控訴の件は国民の指定弁護人への疑惑や不信が高まっただけで「復権シナリオ」とやらが遠ざかったなどとは微塵も感じていない。意気消沈してる議員が誰だか知りたいものだ。これで得した人は誰もいない。消費増税の造反?マスコミの表現はおかしい。マニフエストを守るのは造反ではない。



マスコミの声は、国民の声ではない。国民を不幸に陥穽させる悪魔の声である。マスコミの死出の火炙りヘッポコダンスに付き合うほど馬鹿馬鹿しいものはない。

祝・国民政治家小沢一郎、党員資格停止処分解除!

悪魔達はこのトンデモ控訴で小沢一郎の座敷牢からの解放を食い止めたように思っているのだろうが、大間違いだ。

小沢一郎もそして彼を支える民主党議員達も、毅然として堂々と政権奪還の道を歩め。無罪推定の原理も弁えないキチガイどもが発狂したように何を喚きたてようが、一審無罪判決の事実は重い。追い詰められているのは奴らの方だ。

小沢一郎は堂々と9月の代表選に出馬すべきだ。悪魔どもはいよいよ発狂して「道義的、政治責任」などと自分でも意味の分かっていない言葉を持ち出して騒ぐのだろうが、国民の大半はそんな奴らにこそもう心底ウンザリしているのだ。オニキモオカマちゃんの朝日新聞あたりは多分、「あいた肛門がふさがらない」とでも嘆くのであろう。

小沢一郎の政治活動は何ら制約を受ける謂われはないし、それどころか、悪魔達が誰の目にも明らかな卑怯なる窮余の愚策を弄したことによって、却って今まで眠っていた大いなる存在達までもが真実の声の方に目覚め、大地より出で解き放たれいくことになるだろう。つまり彼らの最も畏れていた事態が起こるということだ。

キチガイどものこれ以上のヘっぽこ踊りは、国民に憎悪と嫌悪しかもたらさない。植草一秀氏も言っている。 「弘中惇一郎弁護士の真実を見つめる透明な眼と、指定弁護士の死んだ魚のようなくすんだ眼をよく比較していただきたい。目は口ほどにものを言う。本物と偽物を見分ける眼力が重要である。」

国民の大半はすでに気付いている。その数は今後増えることはあっても、減ることは無い。




前回記事に5月5日付で野郎どものWARRIOR’S SONGを紹介したので、今日は悪魔に捉われていたLADY達の大地母神を、今風に呼び覚まし、解き放してみることとしよう。

Alexandra Stan - Mr. Saxobeat  (Live)





サクソビーツ/アレクサンドラ・スタン

Saxobeats_





これ見てると、カルト一神教的な世界観にかなりの部分毒されている感のあるハリウッド・エンターテイメントの現況に比して、まだしもヨーロッパの芸能の方が、健全なるプリミティブへの回帰志向を保持しているように、オレには思えるな・・・。(サルコジも退陣だし。)

もちろんわれわれ日本人も、その先を行かねばならん。


HEY, SEXY BOY !
Mr.saxobeat



(小沢軍団、全くひるんでいません。・・・新政研H.P


※追記:われわれひとりひとりがそれぞれ小さなMr.Saxobeatとなって、大地母神に
働きかけていくことも肝要ですな。優しくネ。


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2012年4月30日 (月)

我慢もそろそろ限界だって言っておいたはずなんだがな・・・ (5/5 BGM追加)


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バカは死ななきゃ直らない。

クズは死んでも気付かない。

やはりミンチ機にかけて挽き肉にしてやらないと駄目なのではないか?




小沢報道は全部ウソだったと謝罪の必要(無罪判決でも犯罪人扱い報道の異常)
 ゲンダイネット 4/28より

 小沢元代表は、大新聞テレビを訴えた方がいいんじゃないか。そうでないと、連中は懲りない。この謀略報道の洪水は止まりそうにない。

 検察のガセ情報をさんざんタレ流して小沢の政治生命を抹殺したくせに、無罪判決が出た後も、「それでも残る疑惑」だの「国会で説明責任がある」と書き立てている大マスコミ。中には、「ほとんど有罪」の大きな見出しを掲げたり(注:毎日新聞)、識者のコメントを使って指定弁護士に「控訴しろ」とそそのかす記事もある。こうなるともう完全な人権侵害だ。人物破壊だ。

 どうして、そこまでして狂ったように小沢を葬りたいのか。一体、大新聞テレビはだれの回し者で凶器を振り回しているのか。

 そもそもこの小沢裁判は、「無罪判決」の中身を論評する以前の問題である。その価値もない。起訴したこと自体が疑惑、間違いだったのだ。

 政権交代直前の09年3月、地検特捜部は小沢の元秘書を突然、政治資金収支報告書の「記載ミス」という微罪で逮捕し、その立証が困難とみるや、別の秘書を立て続けに逮捕。収支報告書の「記載ミス」は無数にあるのに、小沢以外の政治家には目もくれず、執拗に小沢を狙い、失脚をもくろんだ。

 当初、特捜部は「ゼネコンからの裏献金があるに違いない」「小沢をやれる」と“妄想”を抱いて突っ走ったが、結局、何もナシ。すると、今度は、デッチ上げの捜査報告書を作って検察審査会(検察審)の審査員を“誘導”。ムリヤリ、小沢を「強制起訴」させたのが経緯だ。

 検察が勝手に筋書きを描き、見立てに沿う作文調書を作り、それでも起訴がムリなら検察審を使う――。どう考えても不当不法。こんなデタラメ捜査手法、起訴が許されたら、司法はどんな冤罪もデッチ上げられる。民主主義国家じゃなくなってしまうのだ。

 元毎日新聞記者で、政治評論家の板垣英憲氏はこう言う。

「民主主義国家には基本的人権を守るためのルールが決められています。つまり、適正、適法な手続きです。ところが、今回、検察の捜査手法は無法の積み重ねで、検察審の審査内容はいまだに分かりません。つまり、適正、適法な手続きとは到底、言えないのです。『小沢氏ならいいだろう』と軽くみるムードもありますが、有権者の負託を受けた政治家だからこそ、より慎重な手続きが必要なのです。今回のような捜査手法、起訴が許されるなら、誰でもすぐに犯罪者にされてしまう。大変、恐ろしいことです」
 
小沢事務所が問われた取るに足らぬ政治資金の記載ミスに比べ、検察、裁判所がやってきたことは数倍、数十倍も悪質なことなのだ。

<その批判もなく小沢は実質有罪、政治的けじめをつけろと叫ぶ大マスコミの狂気>

 その意味で、小沢事件は司法の信頼の根幹を揺るがし、ゾッとする検察官による捜査報告書の捏造まで明るみに出た。

 それなのに、大マスコミは批判の矛先を司法権力に集中させようとしない。
〈結論はシロだが、「潔白」ではなく「灰色」という司法判断〉(読売社説)、〈裁かれたのは、私たちが指摘してきた「小沢問題」のほんの一部でしかない〉(朝日社説)などと、改めて小沢を責め立てる。本末転倒だし、トチ狂っているとしか思えない。

 そもそも大マスコミの小沢追及の論調はブレまくってきた。もはや一行も触れようとしないが、批判の出発点は「ゼネコンからの裏ガネ」だった。

 ところが、今は「収支報告書は秘書任せ」「秘書への監督責任」のみをあげつらう。実にチンケな話で、小沢の「道義的責任」「政治的責任」「国会での説明責任」を仰々しく糾弾するのだ。

 振り出しの「ゼネコンからの裏ガネ」はどうなったのか。小沢に「収賄」の嫌疑をかけた特捜部の「小沢との全面戦争」は、とっくに検察の敗北でケリはついている。

 検察は一連の捜査で70社近くのゼネコンを絞り上げたが、出てきたのは不可解な「水谷建設からの1億円」だけ。捜査に参加した元検事の前田恒彦受刑者(証拠改ざん事件で有罪確定)は、小沢公判でこう証言した。

「佐久間達哉特捜部長(当時)は、胆沢ダムを受注した元請け・下請けのゼネコンごとに、○○社が1億、××社が2億と夢みたいな妄想を語っていたが、現場は厭戦ムードが漂っていた」

 水谷からのカネだって、「石川議員を調べた吉田正喜副部長(当時)も、田代政弘検事も『アレはないんじゃないか』との心証を抱いていた」(前田受刑者)という。小沢が問われた政治資金規正法違反事件は、検察の妄想捜査の残りカスをかき集めたに過ぎないのだ。

「それも今回の無罪判決によって、小沢氏を罪に問える材料は全て消えたのです。だから、メディアは『政治とカネ』や『道義的、政治的責任』という漠然とした言葉で責めるしかない。検察と一体になって『小沢はワルだ』とあおった非を認めようとせず、悪あがきを続けているだけです。朝日新聞は社説で『政治的けじめ、どうつける』と小沢氏に迫りましたが、けじめをつけるべきは朝日の側であり、小沢バッシングに狂奔した全メディアです」(元NHK記者で評論家の川崎泰資氏)

 その朝日は「報道検証」と称して、「本紙は有罪決めつけていない」「検察リークありえない」と自己弁護していたが、ゴタクを並べるのは、どうでもいい。朝日はじめ、大マスコミは「小沢報道は全部ウソでした」と謝罪する必要がある。

<これで消費増税がつぶれたら困ると書くスリカエ>

 大新聞の狂気はそれにとどまらない。判決翌日の紙面でさっそく「増税法案、小沢氏無罪も影響」(朝日)、「消費増税に『足かせ』」(毎日)、「小沢系 増税阻止へ反攻」(読売)と大騒ぎしていた。“小沢は数の力で野田政権の邪魔をする”“消費税問題を混乱させるだけで、良い結果を生まない”と、こんな論調のオンパレードだ。

 しかし、消費増税が暗礁に乗り上げているのは小沢のせいか? そうではないだろう。国民の6割がノーと言っている増税に突っ走ろうとする野田悪政に正義がないのだ。経済評論家の上念司氏が憤慨して言う。

「デフレ下で消費税率を上げれば、税収が減ってしまうのは常識です。もちろん、財務省は百も承知。その証拠に、今月4日の国会で、『デフレ下で国民所得が減っている中、税率を上げれば税収は増えるのか、減るのか』と追及された古谷主税局長は、『減少します』とハッキリ答えています。要するに財務省は、国民は幼稚園児程度だとバカにして、何も知らせずにダマしているわけです。」

「いま重要なのは消費増税ではなく、デフレを脱却して税収を増やすこと。それなのに、大メディアは小沢氏が消費増税を潰すのが悪いと非難している。揚げ句、消費増税に反対する人のコメントは、すべて“小沢元代表に近い関係者”と書く。小沢氏が反対するものは善なんだと読者に思い込ませてしまおうと、悪質な印象操作をしている。戦前のファシズム報道そのもので、こんなデタラメはありません」

 国を滅ぼすのは小沢ではない。消費増税であり、それを強行しようとする野田政権と財務官僚、その走狗と化した大マスコミの方だ。露骨で薄汚いスリ替え報道にダマされてはいけない。

<政局を書くのはそれだけ小沢の強大な力を認めているからだ>

 どうして大マスコミはここまで小沢にこだわるのか。一方では「広がらぬ賛同者」「党内で孤立」と書いているのだから、無視すればいいのだが、それをしない。要するに、小沢が傑出した力を持っていることをマスコミが一番よく知っているからなのだ。

「戦後、刑事被告人になりながら、これほど力を持ちつづけた政治家は、田中角栄と小沢一郎だけです。3年間も検察と戦い、党員資格まで停止されたのに、同志が140人もいるのは驚きです。損得を考えたら、小沢について行くメリットはない。大勢の仲間がいるのは、政治家としての実行力やビジョンが並外れているからでしょう。大手メディアが、狂ったように小沢の疑惑を騒ぎ立てるのは、気になって仕方がない、無視できない裏返しです」(政治評論家・本澤二郎氏)

 もし、小沢が取るに足らない政治家だったら、有罪だろうが無罪だろうが、無視している。

 大新聞テレビが、小沢の力量を認めながら、いや、認めているからこそ、なにがなんでも抹殺したいと考えているのが真相なのだ。

「大手メディアは、小沢が目障りで仕方ないのですよ。社説などでは、政治に“強いリーダーシップ”を求めながら、ホンネでは傑出した人物を快く思わないのが、日本のメディアの伝統です。しかも、小沢は、大手メディアの既得権益をブチ壊そうとしている。記者クラブ制度にメスを入れ、テレビの電波行政を変えようとしている。既得権にあぐらをかいている大手メディアにとって、これほど怖いことはない。力のある小沢は、絶対に潰したいということなのです」(本澤二郎氏=前出)

 それで小沢が復権すると、民主党政権が分裂する、社会保障と税の一体改革が遅れると騒ぐ。世間に“小沢不安論”をまき散らす。何かにこじつけてでも、小沢を排除追放したくてしようがないのだ。

<この国の大マスコミは戦前戦中と同じ権力走狗>

 こうしてみると、日本の大マスコミがいかに次元が低いかがよく分かる。国民を賢くさせて、国を豊かにさせる発想などゼロだ。小沢無罪判決を受けて、自民党の代議士がツイッターでこうつぶやいた。

「小沢には監督責任、道義的責任はあるが、判決が出た以上、国会でこの問題を引きずり、時間を費やすべきではない。デフレ円高脱却など、国会は前向きな政策論争を行い、一つ一つ方向を出していくべき」といった内容だ。小沢喚問を要求して、民主党政権を引っかき回そうとする自民党執行部まで皮肉ったのだが、本当の報道の役割とは、こういうこと。無意味な小沢喚問を書き立てることでなく、国民のためになる知恵を授けることだ。そこを自覚しなければ、日本の沈没を止められるわけはない。政治評論家の森田実氏がこう語った。

「この国はマスコミによって、どんどん劣化している。それは権力のチェックをせず権力と一体化してしまったからです。戦前戦中、軍部のお先棒を担ぎ、国民を戦争に駆り立てたマスコミは、その反省に立てば、国民生活を滅ぼす消費増税など逆立ちしても推進してはいけない。大衆を犠牲にしてはいけないのです。ところが、財務省や大政党、アメリカの手先として大衆を脅かして増税を進めて心が痛まない。大衆増税に反対の小沢さんたちのグループを率先して潰そうとする。腐ってます。権力の犬に成り下がってしまったのです」

 大マスコミがしつこく小沢抹殺報道を続けるのは、「自分たちは権力の走狗です」という堕落の正体をさらけ出していることを意味するのだ。

(転載了)



ある程度予想されていたこととは言え、読むに堪えない、見るに堪えない、聞くに堪えない論説のオンパレード。精神が蝕まれそうである。

読んじゃいないが、昨4月29日の毎日新聞倉重篤郎の「論説室から」があまりにも酷い、と天木直人氏も憤っている。


「脱小沢」を「脱原発」にたとえて貶めた倉重篤郎
天木直人のブログ 4/29より

「小沢たたき」の報道の嵐はとどまるところを知らない。

とうとう小沢一郎を原発にたとえ、国民の「脱小沢」の流れは「脱原発」以上に強い、とまで言い出す論評があらわれた。

それを書いたのは4月29日の毎日新聞「論説室から」であり、それを書いた記者は倉重篤郎論説委員長である。

「読めば読むほど、小沢一郎民主党元代表にとって厳しい判決だった」

こういう書き出しで始まるその論説は、小沢判決を報ずる主要紙の見出しを列挙した上で、「小沢政局」にはもうウンザリだと皆が一致していると決めつける。

冗談ではない。

「小沢政局」を煽っているのはメディアではないか。

そして「脱小沢」の流れは「脱原発」以上に強いと締めくくる。

われわれは倉重篤郎なる新聞記者が書いたこの論説と、それを掲載した4月29日の毎日新聞を末永く記憶にとどめておかなければならない。

たしかに小沢一郎の政治と金に疑問を抱く国民感情は世論調査によれば無罪判決後も8割前後と変わらずに高いと報じられている。

その数字がどこまで正しいかは疑問だが、百歩譲ってその数字が正しいとしても、政治と金についての小沢一郎に対する疑問はひとまずおいて小沢一郎の政治力に期待する国民は多いはずだ。

ましてや2割前後の国民は小沢一郎を熱烈に支持している。

毎日新聞は、そしてとりわけ倉重という新聞記者は、これら国民の気持ちを頭から否定しているのだ。

小沢一郎など支持してはいけない、支持する国民は異端だ、馬鹿だと言っているのだ。

メディアとして、そして新聞記者として、あってはならない態度だ。

その偏向と国民軽視の傲慢さを国民は末永く記憶にとどめなければいけない。

偏向と国民軽視のメディアに未来はない。

(転載了)



『ニュース23X(クロス)』の件と言い、毎日新聞・TBSは率先して爆死の道を突き進んでいるかのようだ。

マスコミだけじゃない。

水木しげるの漫画から抜け出してきたような面相の野党第一党の幹事長(我が家での渾名は妖怪・顔面煎餅男)なども、「3人の(元)秘書が有罪になっており、監督責任は絶対に免れないのではないか。」などと相変わらずメディアに同調した発言を繰り返しているが、トンデモ推認判決に疑義をはさむこと無しに、却ってそれを政争の具に利用するこのような政治家こそもうウンザリだ。

今はインターネット時代である。情報弱者扱いされて詭弁で愚弄されることには、われわれ国民はもう我慢ならないのだ。そのことに気付けない政治家は、マスメディアとともに地獄の底まで転がり落ちるがいい。



太陽光発電日記by太陽に集いし者 4月30日
より一部転載

しかし、振り返ってみると、この小沢氏の政治資金の期ずれ記載を受けてマスコミがおこした”小沢たたき=政治資金疑惑騒動”は、ずいぶん罪深いものだったと思います。

”2009年政権交代”の民主政権の流れを変節させる民主党内クーデターの後押しになり、官僚傀儡政権といわれるノダ政権に帰結し、自民党と別政党として存在する意味がないところまできてしまったわけで、"民主党内のクズな政治家が誰かを浮かび上がらせる意味ではよかった"のかもしれませんが、特定勢力の意を受けた政権交代つぶしのための世論誘導だとしたらとんでもないものだと思います。

それでも、マスコミとか野党議員の反応を見ますと、”限りなくクロに近いグレーだが、推定無罪の原則で無罪判決になっただけ””証人喚問が必要”という事実を踏まえない印象誘導が過剰でとても違和感がありました。

お金の流れもすでに明らかになっていて、いまさら聞くこともないのにいまだに不正なヤミ献金隠し事件であったかのように印象誘導しようとしている姿は、情報収集能力のある一定レベルの国民からしたら”道化の猿”にしか見えない哀れなものです。政治不信を募らせるだけのことだと思います。

だいたい小沢氏の土地取引の記載を現金支払い時点でなく登記にあわせて11月でなく1月にした程度の些細なことを大問題であるかのように大騒ぎする人間が、今回の小沢氏の強制起訴を決めた検察審査会をめぐる重大な疑惑についてまったく問題視しないのは、不思議な話です。

今回の小沢氏の強制起訴議決が、民主党内の党首選のために9月14日にむりやり仕組まれた可能性、強制起訴議決を導くために検察からの報告書でウソの報告書を組織的に作成したこと、恣意的な人選を可能にする審査員選定くじ引きソフトを発注して使用したこと、などなど一連の検察審査会をめぐる重大な疑惑こそ国会挙げて追求して、信頼を失いかけている日本の司法にてこ入れすべきだと思うのですが-

(転載了)




始めた当初はもう少し高尚な思索的ブログにしようと目論んでいた(笑)当ブログであるが、限度というものを知らないこの国のマスメディアの惨状を見るにつけ、最早次のような言葉を書きつけるのに何のためらいもなくなった。(家ではとうに毎日吐きまくっているが・・・。)

底無しのクズの集まり=ウジムシ悪魔集団暗黒新聞・暗黒テレビは日本国民と民主主義の敵。とっとと此の世から消えちまえ!


BGM:太陽に集いし者のWAR SONG




※この記事の関連記事:
日本社会の病理 - 天声人語にみるEstablishment(エスタブリッシュ)の精神構造 (結構最初の頃から“ウジムシ”って言ってるな・・・(笑)

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2011年9月16日 (金)

GHOSTLAND(「嵐」の前の静けさ ― 「福島で鉢呂大臣辞任抗議デモ」を所望する)

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「鉢呂」以後、テレビを点けても、

報道番組はおろか、バラエティーを観ていても、、スポーツ番組を観ていても、
コマーシャルを観ていても、

こんな気分
Kuzuhahikiniku


にしかならない。


だってそうだろう?オレが特別じゃない筈だ。

なにしろ鼻先で五歳児扱いされて愚弄されたのである。

幾らかでも矜持の有る男なら、一、二発見舞ってやらない事には気の治まるものではない。

女だってこういう時には容赦しないだろう。

ところが相手は画面の奥の向こうに、今日もすまし顔でちゃっかり納まってる。

怒りは漠として膨張する一方なのは、自然の道理である。


テレビを点けると、犯罪者が出て来てこちらに向けて喋り出す。

犯罪者がニュースを読んでる。犯罪者が冗談を言い、犯罪者が陽気に笑い転げ、犯罪者が困っている人のところに出掛けて行って、善意の憐みの表情を浮かべる。挙句には、犯罪者が偉そうに説教垂れ始める。

何でだ?

どうなってんだ?

この状況でわれわれはいつまで正気を保てるか?



表面ではみないつも通りの生活を続けている。

静かである。

静かに、しかし凄まじい勢いで膨張する怒りが地の底からゴーストを呼び覚まさし、われわれのガイストとも一体化したそれは巨大な怒れるゴースト=ガイストとなって、日本の国土の上空を発火点を探しながら、音も無くいま彷徨っている。

長谷川幸洋の鉢呂吉雄インタビュー記事が記録的にアクセス数を伸ばしていた9月14日、テレビ各局の報道番組はおそらく膨張するガイストの気配を意識していたのだろう、こういう場合に彼らの使う陳腐な鎮めの技法、すなわち“善意”という彩色の施された「ヒューマニズム」を、いつも以上に多用していた。そして昨15日は国会本会議代表質問等も有ったのだが、それ以上に文化庁の発表に合わせた若者言葉の変化の街角実地インタビューを大きく取り上げて、“白痴”的「なごみ」ムードで<気配>を掻き消そうとしているかのようであった。“善意”と“白痴”、「ヒューマニズム」と「なごみ」の二本立てで、嵐の発生を抑えてやり過ごそうという算段である。

そしてその国会の方へと眼を転じてみると、ここでも野田佳彦という男がやはり同様に、怒れるゴーストの到来(それは世界大不況という名のゴーストかも知れない)を予感しているのかいないのか、「亀のように甲羅に首をすくめ、嵐が去ってくれ、と」(あいば達也の「世相を斬る」)ただただ思考停止の穴ぐらのようなところに陥入して、時間がすべてをやり過ごしてくれるとの、淡い夢に身を預けているかのようである。

鉢呂をアッサリ見捨てたのは無論、八方美人で美辞麗句ばかり並べた所信表明演説、財政再建と経済成長の同時進行とか、現実を見ていないとしか思えない、何をしようとしているのかさっぱり分からない、谷垣禎一でなくとも「二枚舌」と揶揄したくなるような、一種異様な所信表明演説であった。

その身体そのものがいまやゴーストの緩衝地帯のようになっている、このおたふくのようなペルソナを剥いだ時、中から何が出てくるのか、出ないのか。




嵐を目前にして思考停止に逃げ込む人ばかり、どうしてこんなに多いのか?

死の街って言うなって?

冗談じゃない。

ハッキリ言うぞ。

此処はいま怒れる死の国、ゴーストランドだ。

この国に住まうオレ達は皆、誇り高きゴーストランドの住人だ。

オレ達のひとりひとりが、誇り高きゴーストなのだ。



ゴースト=霊=流動的知性だ。

分かるか?

鉢呂吉雄は福島視察後の記者会見で、己の霊性を立派に示した。

原発周辺の放射能に汚染された人気の無い街を視察した彼は、その流動的知性=ニューロン・ネットワークの内奥で、きわめて正確にゴーストの蘇生する気配を、感じ取っていたのだ。

彼の「死の街」発言をなじる者は、福島の被災者だろうが誰だろうが、

オレは許さん!



長谷川幸洋のインタビューによって、鉢呂がなぜ新聞・テレビ連の犯罪的メディアスクラムによって追い落とされねばならなかったのか、その背景が見えてきた。つまり彼が口先だけでない、本気で脱・原発の方へ国のエネルギー政策を舵取りしようとしていたこと、その為に官僚機構がこれまでずっと“国民的議論”のアリバイとして活用してきた“有識者”によって構成される「調査会」に手を入れて公平性を確保しようとしていたこと、それによって経産省・マスコミサイドから狙われ、引き金を引かれた可能性が高いこと。

これはまるでいつか見た悪夢の再来。佐藤栄佐久の二の舞ではないか?

われわれはこの原発災害の遠因のひとつとも言える官僚・マスコミ連合による佐藤栄佐久知事抹殺を許し、この未曾有の原発災害に見舞われた後のいま尚再び、彼らの犯罪を許すのか?

このまま彼らを許し、事態が彼らの計画通りに進めば、われわれの手の及ばないところで人知れず既成事実が積み重ねられて、いま盛んに全国で行われている数万人規模の脱・原発デモの努力さえ、気泡と化すかも知れないのである。

脱・原発デモの輪の中に、いやむしろその最前面に、「鉢呂大臣辞任抗議デモ」が加わらねばならない必然性を感じる所以であるが、しかしそこにはひとつの問題点が横たわる。

どこかで「辞任抗議」の声が立ち上がるや否や、マスメディアのよこしまなレトリックの横槍が入って、「福島の被災者の感情を踏みにじっている」などとあらぬ非難を受ける可能性があるのである。
国民分断戦術の陥穽にまんまと嵌まってしまうかも知れないのだ。



しかしこの罠を堂々と正面突破出来る場所が、日本に唯一つ在るのである。

福島である。

「福島で鉢呂大臣辞任抗議デモ」の狼煙が上がれば、規模の大小にかかわらず、そのインパクトは計り知れないものが有るはずである。それはたちまちのうちに全国に波及していく破壊力を秘めている。

それどころじゃないよ、こっちの生活がどんなに大変か分かってんのか?と言われれば、オレは黙るしかない。

しかし今のところ“発火点”になれるのは、あなた方しかいないのだ。

あの誇り高き平将門一門、誇り高き白虎隊のガイストがまだ生きているならば、
不可能ではないのではないか?

もし実現すれば、きっと「嵐」も起きるだろう。



Ghostland - Calming The Sea





・辞任の引き金とされた鉢呂吉雄経産大臣の9月9日の発言詳細全文


 昨日、野田佳彦首相と一緒に(視察した)東京電力福島第一原子力発電所事故の福島県の現場は、まだ高濃度で汚染されていた。事務管理棟の作業をしている2千数百人がちょうど昼休みだったので話をした。除染のモデル実証地区になっている伊達市、集落や学校を訪れ、また佐藤(雄平)知事、除染地域に指定されている14の市町村長と会ってきた。

 大変厳しい状況が続いている。福島の汚染が、私ども経産省の原点ととらえ、そこから出発すべきだ。

 事故現場の作業員や管理している人たちは予想以上に前向きで、明るく活力を持って取り組んでいる。3月、4月に入った人もいたが、雲泥の差だと話していた。残念ながら、周辺町村の市街地は、人っ子ひとりいない、まさに死のまちという形だった。私からももちろんだが、野田首相から、「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」と。これを第一の柱に、野田内閣としてやっていくということを、至るところでお話をした。

 除染対策について、伊達市と南相馬市も先進的に取り組んでいる。大変困難ななかだが、14市町村の首長が、除染をしていくと前向きの形もでてきている。首長を先頭に、私も、住民のみなさんが前向きに取り組むことで、困難な事態を改善に結びつけることができると話した。政府は全面的にバックアップしたい、とも話した。

(朝日新聞web記事より)


「死の町」発言について 旅の途中-ブログ篇-


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2011年9月12日 (月)

茶の間で繰り広げられる犯罪ショー


辞任した鉢呂吉雄の後任の経産大臣に前官房長官の枝野幸男の就任が発表された。そしてそれに申し合わせたかのごとく野田首相は就任直後に引き続き、この日経団連・米倉弘昌会長、経済同友会・長谷川閑史代表幹事と再度相次いで会談した。

昨日の記事で笑いに昇華して己の怒りを鎮静化しようとしたのであるが、やはり無理なようである。

「経産大臣が暴言」との最初のテレビニュースの奇っ怪な第一報を観た時から、怒髪天に達していたのだが、オレの瞬発力はペンには向かわない(笑)。向けれない、と言う方が正確かも知れない。怒りが一旦臨界を超えてしまうと、こうしてそれを文章に再構成するには、しばしの時間を要するのだ。そういう意味では、スピードが武器のネット文化にはあまり向いていないかも知れない(笑)。

これまでに何度もあった失言による大臣辞任騒動に比べても、そもそもの最初から一連の騒動がマスメデイアの作為によって無理やりに創出されていると点で、今回の辞任劇は明らかに
一線を越えている。鉢呂の「死の街」発言は暴言でも失言でも何でもない。ネアンデルタール人でなければ誰にも分かる。(いや、ネアンデルタール人の知的能力についてはまだ分かっていない部分も多いので、ひょっとしたら彼らでも理解するかも知れない。)

後から出てきた「放射能つけちゃうぞ」云々の件については、記者とのオフレコの懇談の場における軽いジョークだったろうとはいえ、相手が悪意と狡猾さに充ちた大手メディアの記者クラブの連中であった事を考えれば、うかつで不用意という他はないだろう。

しかしこれについても、本人は「言っていないと思う。」と否定しており、ツイッター上でも<鉢呂発言は捏造報道か?記者は本当に聞いたのか?どれが真実?全て嘘?読売「ほら放射能」、朝日「放射能をつけちゃうぞ」、毎日「放射能をつけたぞ」、日経「放射能をつけてやろうか」、産経「放射能をうつしてやる」、FNN「放射能を分けてやるよ」>という疑問が当然のように多数出ている。これだけ短い一言でこれだけ各社表現が違うというのも、普通に考えておかしなものだが、おそらく本人が覚えていないのと同様にその場にいた記者達も覚えていないような、一瞬の軽微なやりとりに過ぎないのだろう。

その軽微なやりとりが新聞・テレビのトップニュースになって、結果われわれほとんどの有権者の意志とはまったく無関係のところで、大臣のクビがあれよあれよとすげ替えられる。

勿論彼ら新聞・テレビ各社の社員・職員達も各々が有権者であり、マスメディアも企業体として活動しているかぎりは利潤を追求せねばならぬ定めにはあるのだが、本来誰のものでもない筈の電波を独占的に使用しているという自分達の特権を最大限に「悪用」して、自分達の意に汲まない政治家を思いのままに追い落とそうとするその振舞いは、今に始まった話ではないが、事ここに至っては最早
犯罪である。(オレは鉢呂という政治家をあまり評価していないし、昨年の民主党代表選で菅直人に投票した’09年総選挙での国民の意志表明に対する軟弱な裏切り日和見政治家の一人という認識であるが、ここにきて脱原発指向とTPP慎重指向を見せていたことが、彼らマスコミにはお気に召さなかったのだろう。)



もうどこの局だったか覚えていないが、犯罪ショーの幕開けは若い女性アナウンサーの「新内閣の大臣の口から、とんでもない、信じられないような発言が飛び出しました!!」という絶叫からであった。続いてその当の鉢呂の発言が流れる。「残念ながら(原発)周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに“死の街”というかたちで御座いました。」

(?????????????)

オイオイと思って観ていると、どうやら冗談ではないらしい。続いていつもの得意のサタニックな詐術的映像編集テクノロジー=「街の声」が始まる。

福島県内の繁華街でのインタビューだ。おそらく福島市か郡山市だろう。最初に高校生くらいの子が二人くらい続いた。大体「ヒドイ。福島県人の気持ちを踏みにじっている。許せない。」というような趣旨である。

(やべーな最近の高校生の言語能力の衰退ぶりは。「人っ子一人いない」街の事を「死の街」とか「ゴーストタウン」って表現する感覚が分からないのかな?われわれ現生人類を現生人類たらしめている所以でもあるこの「比喩」という言語表現能力、詩的表現力をそれとして理解出来ないのだとしたら、ニューロン・ネットワークの著しい退化の兆候だ。ゆとり教育、恐るべしだな・・・。)

しかしその後中年のサラリーマン風男性が登場して「ふざけんじゃねぇってんだ。こちとら頑張って何とか日々生活してるっていうのによ。そんな奴大臣辞めちゃえ辞めちゃえ。」等と発言しているのを見るに及び、考えをあらためた。

(違うな。これは質問者の質問自体が多分違う。)

経産大臣はまさに避難区域となっていて人気(ひとけ)の無い20キロ圏、30キロ圏の街を視察した印象として「残念ながら死の街になっている」という表現をしているのだが、このインタビュアーはそこを意図的に曲解して「福島を視察した鉢呂経産大臣が“死の町だ”と今日発言したがどう思うか?」のように尋ねている可能性が高い。そうでなければこの人のこのような反応は逆に説明しにくい。

自分の受け答えが全国ニュースで流されたこの人達は、今頃自分が悪事の為に「利用」されていたことに気付き、心に深く傷を負っているかも知れない。つくづく罪作りなテレビマンどもである。

しかも彼らは国民を欺く為の方法論として、国民の白痴化をも極限まで進行させる目論見のようだ。死を隠蔽する文化、それ自体が現代社会の抱えた本質的な病理であるのだが、「死」と口にするだけで社会的に抹殺されるような事態とならば、その際限なき集団的退行の先に何があるのか、想像するだけでうすら寒い。それに福島第一原発周辺の現況を正視すれば、まず死を認識することから始めないと、いかなる再生も不可能だろう。「死の街」と発言した者をなじることは、「死の街」にしてしまった者の責任を曖昧にし、無化することに他ならない。



9月3日付の記事で野田首相の人事について触れ、党内融和色を今は出しているが、それに対し今後ありとあらゆる詭弁を弄してでもマスコミが足を引っ張ってくるだろうと述べていたことが、早速現実となった。しかもまさになりふり構わずといった体の、公共の電波を使っての、公衆の面前における確信的犯罪行為に踏み込んでまで。どこまで国民を愚弄すれば気が済むのだろう。まさにこの国の支配者気取りである。

オレが不思議なのは、いかに政治部中心の暴走だとはいえ、同じ新聞社・テレビ局に勤めている他の人間は、自分の会社がやっている事を恥ずかしいとかイヤダとか思わんのであろうか。キチガイじみた原稿を読めと言われて、喉の奥から突き上げてくるような嫌悪感とか無いのだろうか。多分無いのだろう。もし有ったら、こんな最低の白痴じみたキチガイ騒ぎを起こす前に、内側から何らかの自浄運動が起きていた筈である。

よって今後オレは(今までも大概そうだったが)、いかなる末端のペーペーにかかわらず、
大手新聞社・地上波ネットテレビ局のすべての社員・
職員は国民の敵
と見做す。一線を越えてきたのはお前らである。小沢一郎の「政治とカネ」問題に関しては検察が主犯で自分達は幇助罪程度だ、という言い訳がまだ立つかも知れないが、今回のはお前らが主犯である。



あっさりと辞任を受け入れてしまった鉢呂の姿を見るにつけ、どのみちこの人には官僚とマスメディアの抵抗を大向こうにまわしての脱原発や反TPPへの舵取りは上手く出来なかっただろうと思う。しかし今回のメディアスクラムにおける彼らの異常な行動の目的は鉢呂のクビだけにあるのではなく、野田内閣本体への
恫喝の意味もそこには含まれているだろう。

野田首相もまたアッサリと鉢呂に辞任を促したものと思われる。そしてその後釜に据えたのが仙石由人の子分格で経産官僚・マスメディア受けのよさそうな枝野である。前原の空威張りもお盛んでアヤシイ動きをしている。強い信念の無さそうなのが今のところ唯一の取り柄のような野田佳彦だが、官僚・マスメディア連合軍の推進しようとする復興増税・消費増税・TPPら諸政策を、露骨な恫喝を受けながら尚のらりくらりとでもかわす様な度量が果たしてあるのだろうか?

輿石東幹事長サイドから「報道の在り方について」「今回の件を問題視している」とのアナウンスがあった。大いに問題化すべきである。





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2011年5月22日 (日)

女はエロス、男は・・・(“ハウルの動く城 ”と“赤ずきん”)



BRITISH SEXUAL SONG の佳曲、という紹介でよいだろうか?
(Sineadはケルトだが。)


The Wolfmen feat. Sinead O'Connor/Jackie, Is It My Birthday?






セクシャルな暗喩に充ちた曲調とイメージ・ビデオ。


女はエロス。


男はエロスの触媒。


ちなみに普段のThe Wolfmenは、ちょいとルーズなパーティー・ロッケンロー・バンド。
(ビデオの青年はThe Wolfmenのメンバーではないので、念の為。)



The Wolfmen feat. Sinead O'Connor(シネイド・オコナー)
Jackie, Is It My Birthday?

The_wolfmensinead_



Wolfと聞くと、いささか唐突ながら、オレは宮崎駿の『ハウルの動く城』という映画を思い出す。『ハウルの動く城』は、『赤頭巾ちゃん』等の系譜に属する、女のイニシエーション(通過儀礼)の話だろう。オレは『赤頭巾ちゃん』も、人類の記憶の古層の深みからはるか連なる、女のイニシエーションの話だと思っている。(映画にはイギリスの女性作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズの原作があるらしいが、そちらは読んでいないので、映画を基準に話を進める。)

男のイニシエーションでは、たとえば独りで山に行かされる。あの山のてっぺんに小さな祠があるから、そこに行ってお札をひとつ貰って戻って来いと言われて、食糧も持たされず、しかもたいていは寒い冬に、独りで山に放り出される。

山は、特に夜の山は、おそろしいものだ。極限的な肉体の疲労の上に、飢えと寒さに加え夜の山の只ならぬ気配が覆い被さる。あらぬ物が見え、感じる筈の無いものを知覚するような極限的精神状態を潜り抜け、無事に戻って来た者だけが、社会の文化的構成を担う成人として認められる。山は象徴的な死の国であった。実際に命を落とす者もいただろう。

女のイニシエーションの場合、男のそれと違い、はっきりとした儀礼的形跡が残されていないので、その分謎が深い。女のイニシエーションでは、わざわざ冬の山に登っていくような必要は無い。女のイニシエーションとは、自分自身に出会う、より正確に言えば、自分自身のなかの“老婆”に出会う過程なのだ。しかしそれはやはり、それ程簡単な話ではないだろう。そこにはやはり触媒の如き媒介者が必要なのだ。

『赤頭巾ちゃん』では、最初彼女のお婆さんが狼に食べられ、続いてそこへ知らずにやってきた赤ずきんもまた、狼に食べられる。狼の胃袋の中で、赤ずきんは彼女の“老婆”と融合するのである。

映画『ハウルの動く城』では、主人公ソフィーは頭巾こそ被っていないものの、赤ずきんちゃんの継承者である彼女は、当然の如く帽子屋の娘であろうし、実際に出掛けるときは常に帽子を被っている存在として、物語に登場してくるのである。そして彼女は魔法使いハウルと関わることによって、己の中に潜んでいた“老婆”と邂逅しなければならなくなる。ここではハウル若しくはハウルの動く城が、いにしえから伝わる民話における、「狼」の役どころを果たすのである。

われわれが現在識っている『赤頭巾ちゃん』の話には、ペローかグリムか、おそらくは近世による話の省略や変形・捏造が、多分に加えられているだろう。現在の話では、狼の扱いが不当なようにオレには感じられる。狼は猟師に撃たれて退治されてしまう訳だが、そもそも狼がいなければ赤ずきんちゃんはイニシエーションを遂行出来なかったのであるし、それに狼の腹から赤ずきんとお婆さんが元のままの姿で出てくる結末も、あやしいものである。

それに比すると『ハウル~』の方がむしろ、人類本来の智慧をより良く現代に伝えているように思える。主人公ソフィーは、ハウルという媒介者を通して強く賢い女に変身を遂げるのであるし、しかもハウルの方も単なる触媒にとどまらず、その過程でまた変容するのである。

人類の記憶の古い古い地層から出来した智慧の物語は、近代文学などが逆立ちしても描けないような人と人との関わりの慈愛にみちた深みを、いとも鮮やかな手口で、あっけらかんと表現してしまうのだ。(近代文学は登場人物が複数入り乱れるような小説でも、その実孤独の臨界身体実験のような性質を持っており、その実験精神の勇敢さには一定の評価は必要であると考えるが。)

女のなかには“老婆”が棲んでいる。だから女は、本来的に男よりも賢いのである。


Howls_moving_castle



オレ達の祖先は、オレ達よりずっと濃厚な<リアル>を生きていたのだろう。現代の「成人式」はただの近所の同窓会であるし、イニシエーションにより近いものとしては、企業における新入社員の新人研修があるが、それも結局は”社畜”を製造するための洗脳訓練機関でしかなかったりする。

わけても1945年に日本に投下された二発の原子力爆弾と敗戦は、日本人の総体にとって、“逆イニシエーション”のような結果をもたらしたのではないか?  “永遠の12歳”の形成である。

成長を拒む何かが全体を覆っている。“永遠の12歳”は、イニシエーションの手前で引き返そうとするのだ。

何かが綴じ蓋のように頭の上に覆い被さって、われわれの成長を拒絶している。それが何なのか、この二年余りの政治の混乱を経て、ようやく衆目に明らかになってきた。

政権交代の気運が高まっていた時期に突如始まった、民主党のリーダー小沢一郎代表(当時)に対する検察の“国策捜査”。巨額な迂回献金および闇献金があったとされ、新聞・テレビもあたかも確定事実のように連日報道し、小沢一郎は代表辞任を余儀なくされる。この捜査自体が出鱈目なものであったことはその後徐々に明らかになるが、この時点で検察官僚は民主党の弱体化に成功したのである。

それでも国民が政権交代を選択すると、今度は沖縄普天間基地県外移設を目指した鳩山由紀夫首相(当時)に対する外務・防衛官僚達の徹底的なサボタージュと背後からの裏切り行為があったことは、最近明らかになったウィキリークスによる米国外交公電にもはっきりと記されている。この時も新聞・テレビは国民の側に立って県外移設を支援する代わりに、官僚側と結託して鳩山降ろしのキャンペーンを張り、見事それに成功したのは記憶に新しい。

こうして民主党を骨抜きにしたあと、官僚・マスメディアにとって非常に御しやすい菅直人政権がまんまと成立する。この政権は小沢・鳩山の掲げていた官僚制度改革・マスメディア改革をほとんど打ち捨てたばかりか、その代わりに、権限強化を目論む財務官僚の手先になって消費増税推進を唐突に打ち出し、ゴリ押ししようとしている。政府・内閣府と経産省がやはり唐突に推し進めようとしているTPPにしても、国民生活をズタズタにしてしまう可能性が高く、彼らの頭にあるのは権益だけかと疑われる。これでは自民党政権時代と変わらない。一蓮托生のマスメディアも、勿論これに反対しない。

これらの政策を今この時期に推進することは、官僚の権限を維持・強化する代償に、国民経済の景気と庶民の雇用・生活基盤を犠牲にすることである。国家再生・国民生活再生のビジョンも思考もそこには無い。

“永遠の12歳”は日本人の全体に及んでいるが、中でも一番変わる事を拒んでいる“本丸”の正体が、ここで明らかになってくる。官僚だ。

この“永遠の12歳”のなかのエリート集団は、自分達を“永遠の12歳”だとは思っていないので、戦後「早く大人になりたい」とばかりに国民経済を主導し、目覚しい経済発展に一定の寄与を果たしたが、結果“物質的に豊かな永遠の12歳”を大量に産み出しただけであり、右肩上がりの経済発展が望めなくなり、日本人全体が“永遠の12歳”からの脱皮を迫られている現在、一番てっぺんに居て変わる事を拒み続ける彼らの存在が、この社会に今後致命的な弊害を撒き散らかそうかという時点に、われわれは差し掛かって来ているのである。

この二年余の政治舞台で繰り広げられた彼らの異常な抵抗の様が、逆光に浮かび上がる影の如くその事を指し示している。

そしてこの元凶の在処(ありか)をあやまたず正確に照射しつつ、まさに実地に変革せんとしていたのが、他ならぬ小沢一郎であったのだ。

小沢一郎ウェブサイトの『わたしの基本政策』のうち「Ⅳ、地方を豊かにする」の項が、このてっぺんの官僚機構の解体から始まって、地方の隅々、全国津々浦々に及ぶまでの“永遠の12歳”からの脱却のすじみちを、驚くほど明瞭に力強く語っていて見事である。


IV、地方を豊かにする

  1. 分権国家の樹立
    明治以来の中央集権制度を抜本的に改め、「地方分権国家」を樹立する。中央政府は、外交、防衛、危機管理、治安、基礎的社会保障、基礎的教育、食料自給、食品安全、エネルギー確保、通貨、国家的大規模プロジェクトなどに限定し、その他の行政はすべて地方自治体が行う制度に改める。
    また、中央からの個別補助金は全廃し、すべて自主財源として地方自治体に一括交付する。それにより、真の地方自治を実現し、さらに中央・地方とも人件費と補助金にかかわる経費を大幅に削減して、財政の健全化にも資する。

  2. 補助金の廃止で陳情・利権政治を一掃
    個別補助金の存在は官僚支配を許すと同時に、国会議員を地域と官僚機構との間の単なる窓口係におとしめている。さらに、その関係が補助金をめぐる様々な利権の温床になっていることから、地方のことは権限も財源も地方に委ねる仕組みに改め、国会議員も国家公務員も国家レベルの本来の仕事に専念できるようにする。

  3. 基礎的自治体の整備
    「分権国家」を担う母体として、全国の市町村を300程度の基礎的自治体に集約する。都道府県は将来的に地方自治体から外し、最終的には国と基礎的自治体による二層制を目指す。

  4. 地域経済の活性化
    地方分権を完全実現し、権限・財源を地方に移譲することで、経済、文化、教育等の各分野で企業・人材の地方定着を促すとともに、地域経済の活性化を図り、地方の中小・零細企業の活力を高める。特に、地場の中小企業の研究開発促進、地域の伝統的な文化・技術の現代社会への活用について、税制上の優遇措置や地域ファンドの体制整備を行う。

  5. 特殊法人等の廃止・民営化
    特殊法人、独立行政法人、実質的に各省庁の外郭団体となっている公益法人等は原則として、すべて廃止あるいは民営化する。それに伴い、それにかかわる特別会計も廃止する。今日、どうしても必要なものに限り、設置年限を定めて存続を認める。

  6. 経済の持続的成長と財政の健全化
    個別補助金の全廃と特殊法人等の廃止・民営化により、財政支出の大幅な削減を実現すると同時に、本来民間で行うべき事業から政府が撤退し、民間の領域を拡大することで、経済活動を一層活発にする。それによって日本経済を持続的成長の軌道に乗せ、税収を増やすことで、財政の健全化を加速する。


さらに、「Ⅵ、政治を国民の手に取り戻す」の項における、「国会審議は議員のみとする」、「副大臣・政務官の機能強化(事務次官会議の廃止)」なども、官僚主導政治からの脱却という観点からは、重要であることは勿論であろう。

小沢一郎の信念と実力を間近に見知っていた官僚機構の守旧派達は、政権交代の実現が眼の前に迫った時、これらがまさに実行され、自分達が殺されるという恐怖に駆り立てられたのだろう。(実際ここでは、それぐらい破壊力の有る政策理念が語られている。)でなければ、それから始まった彼らの尋常ならざる抵抗は説明出来ない。あいば達也氏の言う通り、彼らは「治療の為に近づいてきた小沢一郎という治療師を、自分達の刺客と勘違いしてしまった」のである。

尤もこの治療で彼らの半分位は死ぬだろうが。イニシエーションとは元来そういうものである。死と交わらないイニシエーションなど有り得ない。

変わらなければならない時期は、もうとっくに過ぎているのかも知れない。“永遠の12歳”の集合体は、そこに居れば内側だけでは何となくカネと人がうまく回り続けるので、大層居心地が良さそうである。しかし国民全体が“永遠の12歳”で居られるうちは良かったが、それが不可能になりつつある現在、彼ら官僚は自分達の利権を保持する必要から、われわれの方を“永遠の5歳”にまで貶めようと画策している。

その為には今まで以上に子飼いの新聞・テレビが露骨な偏向報道を繰り広げるだろう。テレビのワイドショーやニュース番組には、現代のペローやグリムが次々に登場して御託宣を並べるが、彼らの語る周到に加工された“おとぎ話”の主眼は、われわれをして幼児的世界に押し留めておく事にある。


思考停止と積年の利権構造。“永遠の12歳”、げにおそるべし。

この大震災と原発事故が戦後最大の国難であることは、疑う余地がない。日本人はこの事態を三度目の正直として、今度こそ自分達の“イニシエーション”として体験しうるのか?それとも官僚主導傀儡政権の下、更なる退行を選択して、“永遠の5歳”に成り下がるのか?

「大人になろうぜ。」と言った小沢一郎に、「イヤだイヤだ。」と寄ってたかって殴りかかって縛りあげる。白昼堂々薄気味悪い子どものいじめリンチを連日見せつけられ続け、もうかれこれ二年以上になるが、新聞社やテレビ局が世論調査をすれば、「もっとやれやれ」が7,8割だという。

そういう人達には、或いは小沢一郎という存在が夜の山の漆黒の闇や、狼のどす黒い胃袋のように、見えているのであろうか。


オレの言いたいこと、もう分かるよね?


大人になろうぜ。



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《参考》
“国策捜査”ニューヨークタイムズの報道 2009.5
“国策捜査”の歴史①
“国策捜査”の歴史②
キバをむいた検察の反革命クーデター 2010.1
朝日新聞がおかしいぞ① 2010.10
朝日新聞がおかしいぞ② 2010.10
平成のメディア・ファシズム 2010.12
ウィキリークスが暴いた普天間問題の裏切り者 2011.5
外務・防衛官僚の対米隷従体質暴いたウィキリークス 2011.5


2011年4月10日 (日)

当局は音楽の力を恐れている。


4月6日の記事をアップした後、7日の午後にココログさんにブログを強制封鎖された。抗議をしたところ翌日の昼には解除してもらえたが、そもそも封鎖に至った理由を聞いてみても、どうも曖昧な説明だ。


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