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2012年12月

2012年12月15日 (土)

いつか来た道・・・消費増税の「信を問う」、3.11後初の国政選挙が、マスコミの止められない止まらない“禁句ゲーム”の結果、いつの間にか大政翼賛会軍国政権の承認選挙に・・・



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先月末のYahoo!サイトの世論調査でも政党支持率44%で断トツ1位だった「国民の生活が第一」が、NHKや朝日新聞の世論調査では0%。「日本未来の党」に脱皮した現在でも、マスコミの公表する世論調査の数字には大差ない。

NHKの「ニュースウォッチ9」は選挙公示日の12月4日、いつもの大越・井上コンビに小池政治部キャップも加えて30分強の選挙特集を組んだが、その間誰一人として、唯の一度も“消費税”という単語を口に上らせなかった。あたかも“消費税”と口に出したら負け、というルールの禁句ゲームを仲間内でやっているかのようであった。

そしてこの”禁句ゲーム”の暗黙のルールが支配する“嫌な感じ”が、選挙戦が進む日毎に質量を増し、領域を拡大エキスパンドし、電気的に増幅されて、日本国土全体を包みこんでいる感じだ。『革命前夜』という映画があったが、この感じは“発狂前夜”とでも形容しようか。重苦しい今にも破れそうな均衡。あるいは“革命前夜”というものは、“発狂前夜”と等号で結ばれるべきものなのかもしれない。

“消費増税”の「信を問う」解散・総選挙が、メディアスクラムの歪曲的なウソによって、いつの間にか“景気・雇用対策”を問う総選挙ということになり、十数も有る政党の経済対策の差異が、饒舌に微細にマスメディアから語られる。(基礎的な経済学的知識の無い人間なら、聞けば聞くほど混乱し、選挙に行きたくなくなるだろう。)

在京新聞社・テレビ局は言うに及ばず、地方のラジオ局のニュース・アナウンサーやローカル情報番組のパーソナリティにいたるまで、“景気・雇用対策や社会保障政策などが主な争点となる今回の総選挙ですが・・・”と滔々と落着き払って喋っている。漫画の世界なら、カーラジオを聴いていた車がそこら中で同時多発追突事故を起こすところだが、現実にはそういうことは起こらない。発狂しているのは彼らの方で、われわれの方はまだ正気を保っているからだ。

国民経済がジリ貧状況に突入してから二十年余、何をするにも身銭が無くては始まらない世なのであるから、景気・雇用が最大の関心事であるというのは、「今更お前に言われなくとも・・・」という類の話なのであるが、

しかし、「景気・雇用」を重視するなら、「消費税増税」問題を避けて通ることはできない。

「消費税増税」問題こそ、今回の総選挙後の日本経済を左右する主軸の問題であるからだ。

年額13.5兆円の超巨大消費税増税を実行して「景気・雇用」問題を重視するということ自体が、根本的な論理矛盾なのである。

「景気・雇用」問題とは、今回の総選挙に当てはめれば、まさに「消費税増税」問題そのものということになる。

   (植草一秀の『知られざる真実』 12月10日


しかし“嫌な感じ”の“禁句ゲーム”に支配された言論空間では、こうした本質的な議論は徹底的に無視されている。

TPP・オスプレイ(=沖縄基地問題)も重要な問題だが、どちらも他人事のように思っている国民が多い現状、選挙の争点としては浮上しにくい状況である。あの3.11後初の国政選挙であるという意味で、国民の意識の変革の有無が(国際的にも)大きく問われているのが、原発・エネルギー政策問題ということになるのだが、こちらの方面でもマスコミは意図的に正確な情報を伝えないので、再稼動・再建設を容認する民主党と、再稼動即時ゼロ、10年後を目途に全原発を廃炉に、というロードマップを提示している未来の党との差異も、テレビを見ていたら良く分からない。党もろとも“フェードアウト”しそうなデタラメ維新はともかく、自民党候補者でさえ地元では原発反対を唱えていたりするので、尚更である。

するとこの禁句ゲームのルールはなかなか複雑なように思えてくる。ここでは一転誰もが脱原発を叫び、自他の差異を無化しようとしているのであるから・・・。



しかしこのふたつの現象から導かれる結論は、実はとても単純なものだ。ふたつの人為的現象が二重蓋のように丁度重なる、その埋没点に「未来の党」があり、「小沢一郎」があるという事が、ちょっと視点をずらすと鮮やかな図象が浮かび上がる透視細工図のように、客観的な視点からは明々白々であるからである。

三年前の総選挙の民意を反故(ほご)にする民主・自民・公明三党の談合消費増税法案成立の動きに対し、最後まで正論を説き続け、結果毅然として反旗を翻し、民主党と決別したのが、小沢一郎率いる「国民の生活が第一」という集団だったのであり、うわべ口先だけの「脱原発」でなく、本気でそれを実現するために一足先に10年内全原発廃炉を決定したドイツに調査に赴き、現地の関係者と協議してその実現可能性を確かめてきたのも、小沢一郎と「国民の生活が第一」であり、その彼らが大飯原発再稼動停止を目指す過程で中央政府・財界の強大な圧力を身をもって感じ、国政進出の可能性を模索していた嘉田由紀子滋賀県知事と合流したのが、「日本未来の党」であるからである。彼らこそが、脱消費増税・脱原発・脱中央官僚統治を体現できる最大政治勢力であることは明白な客観的事実であり、この“禁句ゲーム”の主催者達が死に物狂いで覆い隠そうとしているものである。



日本全体を巻き込んだこの“禁句ゲーム”が執拗かつ徹底的に敢行され続けた先に、どのような結果が待ち受けているのであろうか?大手新聞各社の発表した選挙戦中途の情勢分析によれば、自民党が単独過半数越えで圧勝である。

今の自民党は、タカ派と保守、中道リベラルが拮抗し、多様な考え方を取り込む国民政党として機能していたかつての自民党ではない。右傾化と小泉以降の格差拡大・弱者切捨て経済政策の方向に純化されつつある政党である。そのなかでも右傾化の急先鋒でやや思慮深さに欠ける感のある安倍晋三が再び総裁となり、軍事費増強、国防軍、憲法改正等を選挙公約に打ち出して、中国と事を構えたくてウズウズしている感じだ。その一方で自民党は福祉費の削減を明言している。

そこに同根仲間の維新やみんなの党、談合仲間の公明党や民主残党までが加わって、すさまじいまでの大政翼賛会政治が眼の前に現れようとしているのである。彼らはこれからも表面的にはお互いに対立しているように見せるだろう。しかしそれはほとんどの場合ウソであり、実態はジャレ合いと取り分争いの小競合いでしかない。

これが“禁句ゲーム”の行き着く先である。この三年間の民主党政治に失望し憤慨した国民が、“禁句ゲーム”の支配する言論空間のなかで投票先が分からなくなり、そのお仲間の自民党(しかも変容した悪しき自民党)に投票したり、棄権したりするのである。

われわれはこのような“禁句ゲーム”が、かつてこの日本でやはり同じ様に大々的に行なわれ、悲惨な結果をもたらした過去を、歴史の事実として持っている。その時も主役を務めたのはやはりマスコミであり、国民の戦意を煽り、悲惨な戦争へ突入させ、戦中もウソの大本営発表を垂れ流して、三百万人以上の戦死者をもたらしたわけであるが、その間その意に反する言動を唱えたものは“非国民”とまで言われて、虐げられたのである。

なぜそのようになるのか?ならざるを得ないのか?

それは彼らの“禁句ゲーム”において禁句となるのが、“真実”に他ならないからである。“真実”をあらかじめ迂回すべく定められた社会の行き先は、“集団発狂”しかないのである。

彼らはすでに発狂段階に在る。そしてわれわれにも発狂せよ、となお執拗に訴えている。止(や)められないのだ。このような状況では、われわれは己のなかの正気と照合して、自分の足が地面に着いている事をいちいち確認しなくては生きられない。それが“嫌な感じ”の正体である。



“禁句ゲーム”は際限無くエスカレートする。禁句を人々の口にのぼらせないようにする為には、飛び道具だって使う。目眩ましのイミテーション・ゴールドは、まばゆければまばゆいほど、勇ましげであれば勇ましげであるほどよい。北朝鮮の“事実上のミサイル”(?)が発射されたとされる12月12日の翌13日、TBS(同じ下っ端のフジ・産経グループが“汚れ役”担当なら、毎日新聞・TBSは“特攻役”担当とでも称するべきか?こう言うとなんだか格好よく聞こえるが、偏向捏造報道記者クラブ集団のなかでも、そのキモチワル度は断トツNo.1である)の「ニュース23クロス」は選挙特番で各党党首をスタジオに招き、討論会形式で総選挙における争点を議論する、という趣旨であったが、案の定、“ミサイル”よ、待ってました!とばかりに軍事防衛・憲法改正・集団的自衛権問題にそのほとんどの時間を割いた。

軍事会議さながらの議論が飛び交うなかで、それまで沈黙していた未来の党の嘉田由紀子は、日本は現在原発という危険な爆弾を54基も懐に抱えており、これらが敵対者の標的になったら、それこそ国土に取り返しのつかない壊滅的な被害を受けることになる事の危険性を訴えた。嘉田はこの時、それまでその場で展開されていた表層的な議論を無化して、日本の安全保障問題の核心部分に触れようとしていたのだが、司会者はその話を継ごうとはしなかった。

この時以外にも、嘉田が発言した時には司会進行役の播磨卓士はことごとく話を中途でさえぎっていたが、そもそもこの討論会企画自体が未来の党を埋没させる目的で企図されたものである。12党の党首にその現有議席数に比例する時間を割いて話を聞くというのではないので、一応挙手発言方式で公平なように見えるが、次期総理大臣候補筆頭の安倍晋三と現総理大臣野田佳彦が議論の中心となる一方で、弱小政党の党首はここぞとばかりに目立とうとして前のめりになるので(笑)、現有議席数62で数的に第三勢力である未来の党が one of them となる仕掛けである。

正論を訴え続ける未来の党だが、悪企みに関しては敵の方が上手である。彼らの土俵に乗っかって闘って行く方法論には、いずれ限界があるようだ。なぜなら“禁句ゲーム”のルールに則ってゲームに参加している限り、主催者たる彼らの止められない止まらない“禁句ゲーム”はどんどん増幅エスカレートして、われわれを終局的な破滅に導くまで、ゲームを止めそうにないからだ。相手は発狂しているのである。

明日投開票が行なわれる総選挙の結果の如何に関わらず、その後のみちすじはわれわれに見えている。このゲーム自体を終わらせるのだ。 ”禁句”について、堂々と語るのである。そしてゲームのルール自体を無効にするのだ。



「日本未来の党」の結党が発表された直後の11月29日、会見で記者に嘉田知事と小沢一郎を引き合わせたのはあなたか?と問われた達増拓也岩手県知事は、「二人を引き合わせたのは民意です。」と答えた。その場に居合わせた記者達からは失笑が漏れたという。毎日新聞の記事は知事が「はぐらかした」と揶揄している。

しかしそのニュース映像を偶々観ていたオレは、そう言った時の達増知事のキッパリした口調と、晴れやかな前を見据えた表情に、少なからぬ感動を覚えた。

今こそわれわれは「小沢一郎」について語らねばならない。今までのような仕方ではまだ不充分なのだ。「小沢一郎」こそが、彼らの“禁句ゲーム”のその核心にあるものなのだ。昨日のプロ野球の結果について語るように、今日の天気についてそうするように、小沢一郎について語るのだ。 太平洋戦争という悲惨な結果を導いた兇悪な“禁句ゲーム”の化身が、六十余年を経て、再び鎌首をもたげている。おそらく「小沢一郎」とは、この六十余年の戦後日本史における、最大の禁句(タブー)として現存する者なのである。このタブーを破らなければ、われわれに新しい未来は無い。

嘉田由紀子は、その為の最高の語り部となるべく、選ばれたのである。彼女の国政政治家および政党党首としての手腕はまだまだ未知数だが、その語り口とそこから滲み伝わる思想からは、少なくとも菅直人や野田佳彦などといった連中とは、人間の器が違うことはハッキリ分かる。

良き語り部を得て、小沢本人もじわじわと、しかし堂々と、前面に出て行くだろう。ゲームのルールのなかで闘うのではなく、ゲームそのものを破壊するのである。自分が前に出て行かないとこのゲームは終わらないと、小沢自身も悟りつつあるのではないか。或いは彼の事であるから、その時機が来るのをじっと待っていただけかも知れないが。




悪党と女のエロスが手を結ぶ時、社会に変革が訪れる。




再稼働反対集会に小沢氏登場 参加者「マスコミ帰れ」の怒号
(田中龍作ジャーナル)







“発狂前夜”≒“革命前夜”




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