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2012年6月

2012年6月 3日 (日)

民意も民主主義のルールも国内外の経済状況もすべて無視・大新聞増税翼賛会、剥きだしの狂気


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ここ数日一ブロガーとしては少々悶々とする日々を過ごした。

というのも、5月30日の一度目の小沢・野田会談を経ての翌5月31日、大手新聞社各社の社説を濫読した時に、そのなりふり構わぬ我利我利亡者の如き「小沢を切れ」「自公と協議しろ」との絶叫じみたガナリ声の大合唱に、「世も末」(『かっちの言い分』)とでも思わず呟かずに居られない様な暗澹たる感想を抱かざるを得なかったので、

ひとつそれへの批判検証をブログ記事としてまとめてみようかと思い、手始めに朝日と日経の社説を題材にしてその言説のイカレている部分をメモ用紙に箇条書きにまとめていくという作業を始めてみたところ、なんと一字一句すべてがイカレているという事実に程無く直面し、堪らず筆を投げ出してしまったからである。

それこそ「増税翼賛会の狂気」とでも題した一大長大論文でもものせそうな感じなのだ。見出しだけ列挙しても朝日「野田首相へ-自民との強調が優先だ」、読売「野田・小沢会談「もう一度」は時間の浪費だ」、日経「首相は自公との連携へ踏み出すときだ」、毎日「元代表と平行線 首相、早く見切りを」、産経「野田首相 公約撤回なぜ打ち出せぬ」。この日5月31日の大手新聞社の諸社説は国民各自コピペして永久保存すべき代物ではないだろうか。

民意も民主主義のルールも国内外の経済状況(デフレ・スパイラルから脱却出来ない国内経済の停滞に加え、底の見えない欧州債務危機不安で世界同時株安の進行、今後更なる悪化の懸念)もすべて無視し、ありとあらゆる詭弁を弄してとにかく何が何でも大増税法案を採決しろと迫るその様は誰ともなく、歴史の資料としてかつて眼にしたことのある、戦中戦後の国民を戦争に駆り立てた大本営発表の新聞記事の記憶を想起せずにはいられないものであろう。その意味でもこれらの社説は後世に貴重な歴史的資料となると考える次第だ。

詳細な検証批判としては充分とは言えないまでも、昨6月2日の日刊ゲンダイの下記の記事が、これらの大新聞社説を眼にした時のわれわれの持ち得た感想を率直に代弁してくれているので、それをここに転載することでここ数日の悶々とした心持ちの一先ずの沈静を図るものとする。



「小沢を切れ」と合唱する大新聞 この国の大新聞は常にデタラメだった
日刊ゲンダイ 6/2


-昔は戦争大勝利の大嘘を報じ続け最近は小沢一郎の検察デッチ上げ情報を流し今は選挙に負けた自民と宗教政党公明と野田は合体しろと煽っている


野田首相と小沢元代表の会談物別れを受けて、大マスコミがいよいよ本性をムキ出しにしてきた。「野田は小沢を切れ」 「再会談は必要ない」 「自公と早く協議を始めろ」の大合唱だ。野田をけしかけ、消費増税法案の成立を急がせたくて仕方ない。

その後も、「首相、今月15日までに採決」「自民も協議に応じる構え」 「岡田副総理、自民の意見入れ、採決』 「幹事長会談へ」と書き立てている。

大増税に「命をかける」と宣言した野田が焦っているのは分かるが、応援団の大マスコミの方がヒステリックになり、勝手に政治日程を決め、大増税採決へのレールを敷いているから異常も異常。政局の主導権を握っているのは完全に大新聞になってしまった。普段は「公平性や客観報道が大事」なんてゴタクを並べるくせに、客観性も中立性もかなぐり捨てている。

それだけに、「ちょっと待ってくれ」なのだ。朝日や読売新聞は、増税を、さも当然のことのように報じているが、そんなことは誰がいつ決めたのか。国民はオーケーを出したのか。選挙で有権者の過半数の支持をもらったのか。

読売や朝日は空トボケているが、全部、違うだろう。どこの世論調査でも国民の6割は大増税に反対だ。賛否を問う選挙だってやっていない。小沢が主張するように「大増税の前にやるべきことがある」と考える国民がほとんどだ。大新聞は「民主党内の手続きを踏んで決まったこと」と言うが、笑うしかない。野田民主党の支持率は6割とか7割あるのか。

こういうことを全部はしょって無視して、大増税はもう後戻りできないことみたいな空気をつくってしまう。ムチャクチヤだ。


大マスコミの正体は権力そのもの


政治評論家の森田実氏ははこう憤慨する。

「これが大マスコミの本質なのです。彼らは、たまに正義漢ぶったことを書いたり、弱者の味方のフリをする。そうやって読者・視聴者をダマしているが、本質は、財務省や政治中枢と同じ権力なのです。」

「国家の維持が最優先であって、庶民の命や生活なんて、どうだっていい。このデフレ不況の中で大増税を強行する暴挙を、暴挙と感じない。躊躇もないのです。この体質は戦前から同じで、国体護持のために戦争を煽り、勝った勝ったとウソをばらまき、310万もの死者を出した。戦後はアメリカの手先となって日米安保強化と日本の属国化を進めてきた。沖縄の米軍基地の固定化を批判する報道がありますが、それもポーズで、固定化を進めたのは大マスコミなのです。戦前・戦中、さらに戦後もずっと、国民は大マスコミの民主主義ぶった主張にダマされてきましたが、もういい加減、目を覚まさないと痛い目に遭うのはいつも国民なのです」

大新聞は、自分たちの国民ダマシがばれるのが怖い。増税反対の世論が盛り上がるとヤバイ。それで6月15日までに採決しちゃえと急がせているのだ。選挙をやって増税が潰れると自分たちが否定されるので、決して 「解散で信を問え」の正論を口にしないのである。大新聞の政治記事なんて、眉にツバして読まないとダメなのだ。


権力に嫌われた小沢の言い分こそ庶民の味方


大マスコミの正体が、権力そのものだということが分かると、いろんなことが見えてくる。小沢事件であれだけ検察のデッチ上げ情報を流したデタラメも、無罪判決が出た後も小沢排除にこだわるナゾも理解できる。逆にいえば、大マスコミに嫌がられる小沢こそが、庶民の味方であり、正論だということになるのだ。

 「先日のNHKニユースに小沢さんが生出演しているのを見ましたが、やはり貫禄が違った。NHKの大越という男性キャスターが“最初に増税ありき”で質問していたが、小沢さんはきっちりと筋論で反論していた。日ごろ、大マスコミの“政策ナシの政局報道”ばかりに慣らされてしまった視聴者も目が党めた覚めた人が多いと思いますよ」 (経済アナリスト・菊池英博氏)

その小沢を、「停滞する政治」 「決断できない政治」の象徴のごとく報道する大マスコミだが、それも全部ウソ。日本の政治は昔からずっとモタモタしてきた。アメリカの顔色をうかがい、政官財の利権調整を行い、自民党政権が生き残りから公明党のような異質の宗教政党と手を組んだのが原因だ。そういったことを無視し、大増税に賛成しない小沢のことだけを、ことさら政治の障害物のように扱う。いくら権力の片割れとはいえ、身勝手すぎるにも程度があるというものだ。


大新聞を読むなTVを見るな!   

しかも、民主主義で一番大事な選挙結果まで、大マスコミは平気で否定している。前回の総選挙で民主党と自民党は激突した。で、民主党のマニフェストが大勝した。それなら応援してやればいいのに、マニフェストを捨てろと叫び、揚げ句は敵対した自民党や公明党と合体しろと追い込む。有権者が大敗させた自公に野田は頭を下げて協力を求めろと勧めるのだから、もうムチャクチヤではないか。原理原則も民主主義もあったものじやない。

「あの戦争では、メディアの扇動に国民も一緒になって熱狂した面があります。しかし、今回はいくら煽られても、国民は増税に踊らない。6割が反対している。それなのに、メディアは勝手に世論の代表のような顔をして、生活経済破滅に国民を追いやろうとしている。その意味では、戦前・戦中のメディアより、今のメディアの方がはるかに悪質だと思います」 (筑波人名誉教授・小林弥六氏=経済学)

ついに、森田実氏(前出)はこう言った。

「国民がソツポを向くことが一番ですよ。大新聞は読まない、テレビは見ない。そうすれば、連中は潰れる。潰れないことには懲りないのです。読者や視聴者あって成り立っているのに、大新聞もテレビも国民の生活なんて眼中にない。そんなものをわざわざ読んだり見る必要はありません。大新聞やテレビを見なくても生きていける。目が曇らず、もっと賢くなれるというものですよ」

「権力の監視機関」という“仮面”をかなぐり捨て、デタラメの丸裸を見られ始めた大新聞は、この先、どうやって生きていくつもりなのか。

(転載了)



その“デタラメの丸裸”も単なる丸裸ではなく、先日タイ南部で中国へ大量密輸されるところを発見されてニュースになった、穿山甲(センザンコウ)なる珍奇な哺乳類のそれを想起させる。

マツボックリ状の角質の鱗を全身に纏(まと)ったこの奇妙な陸生動物は、その臆病で大人しげな性質と、びっしり生えた刃物のような鋭利な鱗(うろこ)の持つ凶器性との対照性において、際立った存在である。

その姿は裸に剥かれた今のマスコミの姿だ。努めて善良を装っていた一見穏やかそうな表情のその外皮の内側においてこれまでずっとひた隠しに隠していた、びっしりと獰猛に生え揃った【権力者】としての国民に牙を剥くトゲの如き鋭利な鱗の存在が、皮膚が裏返るような追い詰められた状況のなか、隠しようもなく遂にその正体を国民の前にはっきりと現しているのだ。

穿山甲は長寿に効くとされ中国やベトナムでは食用として高価で取引されているようだが、アフリカの部族などでもイニシエーションを兼ねた特別の儀式の際に、穿山甲を食するという慣習があるそうだ。

われわれ日本国民もこの閉塞した社会状況を打破して真の大人へと変容するイニシエーションの為には、まずコイツらを喰い殺す必要があるようだ。相当にマズそうなゲテモノだが。

すでにコイツらはわれわれの胃袋の中にある。インターネット時代の“あたらしい大衆”の大量出現によって、コイツらはすでにわれわれに呑み込まれ、包囲されつつある。

われわれの胃酸によって身体がじくじく溶解していく感覚を味わいながら、もがき苦しみせいぜい発狂して喚きたてるがいいだろう。腹中のゴミの喚きなど、われわれの耳に聴こえやしない。


(-ところで小沢・野田の二度目の会談というのが本日輿石を交えて行なわれたが、一見無駄とも思えるこの会談がなぜ行なわれたのか、そしてこの野田という爛(ただ)れたおたふくのようなペルソナの正体は一体何なのか、オレには個人的にいまいち判別つかないところが在るのだが、つまり普通程度のバカなのかそれとも並外れたバカなのかということだが、それもこれから次第にハッキリして来るのだろう。)


関連参考記事:官僚統治こそが決められない政治の根本原因だ(永田町異聞 5/31)


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