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2012年1月

2012年1月27日 (金)

なでチンコJAPAN


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2011年の流行語大賞はてっきり「登石郁朗」(といしいくろう)だと思っていたのだが、候補にも上らないという茶番だったようである。

今年はさしずめ「勝栄二郎」(かつえいじろう)や「香川俊介」(かがわしゅんすけ)あたりが、目下のところ悪名を巷間にとどろかす最有力候補であろうか。通常国会の開会とともに財務省から再号令がかかったらしく、夜のテレビニュースはどの局も“政治家は増税から逃げるな!与野党協議せよ!”の大合唱。現実から眼を背けているのはお前等だろが。

野党も呼応して民主党に年金制度改革案の具体像を示せとやり出したが、これも財務省ペースのシナリオだ。権力の犬・テレ朝『報道ステーション』のクズペテン師・古館伊知郎がこれに先んじて、うやうやしく年金制度崩壊とやらについて今更ながらに熱弁振るっていたのが、その証左である。どのみちいくら議論の俎上に載せても、自民の反対している民主の年金改革案がいまのねじれ国会で進展するはずもなく、消費増税の“必要性”だけがクローズ・アップされるのである。消費増税の為に年金改革の旗だけ利用する、まさに本末転倒の、官僚どもの考えそうな策略である。

この消費増税を画策する主犯達の他にも、昨年末に週刊ポストがスクープ(しかし官僚様とオトモダチの新聞・テレビは完全黙殺)した、財務省から“天下り”の駐クロアチア大使で、現地女性職員にセクハラ行為を執拗に繰り返していた破廉恥国辱外交官・「田村義雄」(たむらよしお)なんていうダークホースも居るし、経産省きっての“知米派”、TPPに欲情する色魔女・通商機構部長「宗像直子」(むなかたなおこ)という存在も侮れない。

いずれ劣らぬ錚々(そうそう)たる流行語大賞候補揃いであるが、それらにも増してやはり今後その挙動を全国民が最注視すべきなのは、現在進行中の小沢裁判で裁判長を務める、「大善文男」(だいぜんふみお)なる人物であろう。

何しろ死せるマスコミ、暗黒新聞・暗黒テレビがほとんど取り上げなかったので未だに知らない人も多いのかも知れないが、昨年末12月15日の小沢一郎に対する“強制起訴”裁判内において、大阪地検特捜部によるフロッピー改竄事件に匹敵する重大な検察の不正が、当の捜査担当検事の証言によって明らかになっているのだ。

石川知裕議員の調書を取った元東京地検特捜部の田代政弘検事が、捜査報告書を捏造し、架空のやり取りを虚偽記載していた事が、弁護側の尋問によって明白になったのである。しかもこの田代検事の虚偽の報告書が検察審査会の小沢氏起訴議決の重要根拠となっているのであるから、この裁判自体が即刻取り止めになって然るべき重大不正の発覚である。

小沢裁判でも捜査報告書の捏造疑惑 フロッピーだけではない 検察の大罪再び!?-「週刊朝日」1月20日号
捜査報告書「捏造」検事を市民団体が刑事告発 陸山会事件、衝撃の事実-「週刊朝日」1月27日号 


事ここに及んで、小沢裁判とは一体何なのか?
われわれ日本国民はここであらためて、田中良紹氏の以下の言葉に、心して耳を傾けるべきであろう。


田中良紹の「国会探検」 2011年12月18日

検察崩壊

 検察審査会によって強制起訴された小沢一郎氏の裁判で、陸山会事件を担当した二人の検事が重大な証言を行なった。その証言を聞いて、検察組織をいったん解体して作り直さなければならないと痛感した。

 この裁判が終ったら、結論が有罪だろうが無罪だろうが、立法府は国政調査権に基いて検察組織を徹底調査し、民主主義国家にふさわしい捜査機関に作り変える必要がある。日本が民主主義国家たらんとすれば、それは立法府の当然の使命である。

 一昨年の3月に私は『予言が現実になった』というブログを書いた。小沢氏の大久保隆規公設第一秘書が西松建設事件で突然東京地検に逮捕されたからである。07年の参議院選挙に自民党が惨敗した時、私は「自民党は民主党の小沢代表をターゲットにスキャンダルを暴露するだろう」と予言した。それが私の知る自民党のやり方であり、それ以外に政権交代を阻止する手立てはないからである。その予言が現実になったのである。

 しかし大久保秘書の容疑は政治資金規正法の虚偽記載という形式犯で、しかも西松建設からの献金を実体のない政治団体からの献金と偽ったというものである。ところが政治団体には実体があり、検察の言いがかりに過ぎない。普通なら逮捕も考えられないし、起訴しても無罪の可能性がある。狙いは他にあると私は思った。

 それは小沢氏に代表を退くか、もしくは政界引退を促す検察の脅しである。大人しく言う事を聞けば秘書は起訴しない。しかし言う事を聞かなければ捜査を拡大し、必ず犯罪の証拠を握って見せるという脅しである。政権交代が確実な情勢なのにあなた一人が頑張ると民主党全体に迷惑をかけますよと検察は言っているのである。これに小沢氏がどう対応するかを私は注目した。すると小沢氏は痛烈に検察を批判し戦いを宣言した。

 恐らく検察は怒り心頭に達したに違いない。しかし追い込まれたのは検察である。いかにバカなメディアを煽り、バカな国会議員を煽っても、西松建設事件だけで小沢氏を政界から葬り去る事は出来ない。検察は有罪に出来る保証のない形式的な事件で大久保秘書を起訴せざるを得なくなった。

 その起訴を見届けてから小沢氏は鳩山由紀夫氏と代表を交代し、幹事長として選挙の采配を振るった。西松建設事件の影響は最小化され、日本で初の政権交代が実現した。これで検察はますます窮地に追い込まれた。何とか小沢氏と企業との関係を洗い出し、裏金を見つけ出さなければならない。必死の捜査が始まったのは政権交代の後である。

 ところが何も出てこない。出てきたのは嘘を言って前の福島県知事を逮捕させた水谷建設だけである。小沢氏側に1億円の裏金を渡したとの証言を得た。水谷建設は札付きの企業で、金を貰った政治家は政界にも地方自治体にもごろごろいる。水谷建設は叩けばいくらでもホコリが出る。だから検察がお目こぼしをすると言えば嘘八百を言ってでも検察に協力する。そんな企業しか見つからなかった時点で検察の負けなのだが、それでも叩けば何か出ると検察は考えた。

 そこで無理をして陸山会事件に着手する。これも容疑は政治資金規正法の虚偽記載である。小沢氏から一時立て替えてもらった4億円が記載されていないのを「裏金だからだ」と踏んで、「期ズレ」を虚偽記載として秘書3人を逮捕した。私にはこれも言いがかりに見えるが、秘書3人を叩けば何か出るだろうという「思い込み」捜査が始まった。

 それにしても検察は政権交代がかかる選挙直前に西松建設事件を摘発し、陸山会事件では現職の国会議員を通常国会の直前に逮捕した。かつて検察や警察を取材した経験のある私には信じられないやり方である。民主主義国家で最も尊重されなければならないのは国民の民意を問う選挙であり、国民の税金の使い道を議論する国会の審議である。捜査機関がそれに影響を与えるような事は決してやってはならない。それが民主主義国家の民主主義国家たる由縁である。その原理原則がいつの間にかこの国から消え失せていた。

 そこで『国民の敵』というブログを書いた。「思い込み」によって現職の国会議員を逮捕し、「ガセ情報」をマスコミに書かせ、国民生活に関わる予算審議を妨害した日本の検察は民主主義の原理を無視した「国民の敵」だと書いた。また起訴された石川知裕衆議院議員の辞職勧告決議案を提出した自民党、公明党、みんなの党は国民主権が何かを知らない哀れな政党だと書いた。

 結局、検察は裏金の存在を立証する事が出来ず、また政治資金規正法の虚偽記載についても小沢氏を起訴する事が出来なかった。完全敗北である。すると政治的に小沢氏を葬り去ろうとする連中が動き出した。検察審査会が小沢氏を強制起訴に持ち込んだのである。理由は検察が「シロ」としただけでは納得ができず、裁判所の判断も聞いてみたいというのだから呆れた。

 「11人の愚か者が1億3千万人の国民生活の足を引っ張る判断をした」とブログに書いた。政治を裁くという事の重さを知らない凡俗が日本を世界に類例のない『痴呆国家』にしようとしたのである。しかしこれは小沢氏を追い詰めるどころか検察を追い詰める事になる。検察は唯一起訴する権限を有するから権力を持っている。それが起訴できず、一般市民に起訴してもらうのでは自らの存立基盤を壊す。それに気づかず強制起訴に協力した検事がいたら相当におめでたい。「検察審査会の強制起訴は逆に検察を追い詰める事になる」と『オザワの罠』というブログに書いた。

 その時がやってきた。石川知裕衆議院議員を取り調べた田代政弘検事と大久保隆規氏を取り調べた前田恒彦元検事が証人として小沢裁判に出廷した。人間はどんなに本当の事を喋ろうとしても本能的に自分を守るものである。法廷の証言でも証拠がなければ嘘をつく可能性がある。だから二人とも自分の取り調べに間違いはないと証言したが、それを私は信用しない。

 その部分を除くとしかし二人は実に興味深い証言を行なった。田代検事は「合理的であれば調書に取り入れるが、合理的でない供述は入れない」と証言した。「合理的」とは検察のストーリーに合致した事を言う。つまり取調べとは真相を究明する事ではなく、検察のストーリーに都合の良い言質をつまむ事だと言ったのである。それなら取調べの意味はない。

 そして田代検事は昨年5月に石川議員の取調べを行った際、実際のやり取りとは異なる架空の話を捜査報告書に書き入れた事を認めた。その嘘の捜査報告書が検察審査会の強制起訴の議決に影響を与えた可能性がある。大阪地検の前田元検事による証拠改竄は事件になったが、同じような証拠改竄が東京地検でも行なわれていたのである。田代検事は「記憶が混同した」と弁解したが、前田元検事も当初は「意図的でなく誤ってやった」と弁解した。

 その前田元検事は、検察に忠実であろうとして検察から切り捨てられた立場だけに、陸山会事件の捜査に批判的だった。応援要請を受けて大阪地検から東京地検に来た時「これは特捜部と小沢との全面戦争だ」と言われたと言った。そして捜査は「虚偽記載」ではなく「裏献金」に主眼が置かれていたと言い、しかし現場は厭戦ムードで捜査に積極的だったのは特捜部長と主任検事だけだったと明かしている。

 小沢氏の4億円を企業からの献金とするのを「妄想」と言い、事件の見立て、つまり検察が描いたストーリーが間違っていたと言った。だから「私なら小沢氏に無罪の判決を下す」と言うのである。水谷建設から石川議員への裏金も検察内部では「石川は受け取っていない」と言われていた事を明かした。

 ところが前田氏も「検察の想定と違う内容は証拠にしない」と言うのである。つまり検察に都合の悪い証拠は検察によって「隠滅」されるのがこの組織では常識なのである。これは立派な犯罪ではないか。

 国民の代表である政治家と「全面戦争する」と言うのは、国民主権を認めない組織がこの国に存在する事を意味している。その組織に都合の悪い証拠は隠滅される。これほどの感覚のズレを正すのに自己改革など到底無理な話である。行政権力を監視し、それを変える力は立法府にしかない。立法府がこの問題に真剣に取り組まなければ、日本は民主主義の名に値しない国の烙印を押される。


この田代・前田証言を黙殺する一方で、年が明けての1月10、11日の公判において行われた小沢一郎に対する被告人質問の際には、新聞・テレビ報道がまたも各社一斉に低劣な小沢ネガティブ・キャンペーンを繰り広げたのは、記憶に新しいところである。田中氏の言葉を続ける。


田中良紹の「国会探検」 2012年1月12日

政治家の金銭感覚

 強制起訴された小沢一郎氏の裁判でヤマ場とされた被告人質問が終った。法廷でのやり取りを報道で知る限り、検察官役の指定弁護士は何を聞き出したいのかが分からないほど同じ質問を繰り返し、検察が作り上げたストーリーを証明する事は出来なかった。

 検察が起訴できないと判断したものを、新たな事実もないのに強制起訴したのだから当たり前と言えば当たり前である。もし検察が起訴していれば検察は捜査能力のなさを裁判で露呈する結果になったと私は思う。従って検察審査会の強制起訴は、検察にとって自らが打撃を受ける事なく小沢一郎氏を被告にし、政治的打撃を与える方法であった。

 ところがこの裁判で証人となった取調べ検事は、証拠を改竄していた事を認めたため、強制起訴そのものの正当性が問われる事になった。語るに落ちるとはこの事である。いずれにせよこの事件を画策した側は「見込み」が外れた事によって収拾の仕方を考えざるを得なくなった。もはや有罪か無罪かではない。小沢氏の道義的?責任を追及するしかなくなった。

 そう思って見ていると、権力の操り人形が思った通りの報道を始めた。小沢氏が法廷で「記憶にない」を繰り返した事を強調し、犯罪者がシラを切り通したという印象を国民に与える一方、有識者に「市民とかけ離れた異様な金銭感覚」などと言わせて小沢氏の「金権ぶり」を批判した。

 しかし「記憶にない」ものは「記憶にない」と言うしかない。繰り返したのは検察官役の指定弁護士が同じ質問を何度も繰り返したからである。そして私は政治家の金銭感覚を問題にする「市民感覚」とやらに辟易とした。政治家に対して「庶民と同じ金銭感覚を持て」と要求する国民が世界中にいるだろうか。オバマやプーチンや胡錦濤は国民から庶民的金銭感覚を期待されているのか?

 政治家の仕事は、国民が納めた税金を無駄にしないよう官僚を監督指導し、国民生活を上向かせる政策を考え、謀略渦巻く国際社会から国民を守る備えをする事である。そのため政治家は独自の情報網を構築し、絶えず情報を収集分析して対応策を講じなければならない。一人では出来ない。そのためには人と金が要る。金のない政治家は官僚の情報に頼るしかなく情報で官僚にコントロールされる。官僚主導の政治が続く原因の一つは、「政治とカネ」の批判を恐れて集金を自粛する政治家がいる事である。

 今月から始まったアメリカ大統領選挙は集金能力の戦いである。多くの金を集めた者が大統領の座を射止める。オバマはヒラリーより金を集めたから大統領になれた。そう言うと「清貧」好きな日本のメディアは「オバマの金は個人献金だ」と大嘘を言う。オバマが集めたのは圧倒的に企業献金で、中でも金融機関からの献金で大統領になれた。オバマは150億円を越す巨額の資金を選挙に投入したが、目的は自分を多くの国民に知ってもらうためである。そうやって国民の心を一つにして未来に向かう。これがアメリカ大統領選挙でありアメリカ民主主義である。政治が市民の金銭感覚とかけ離れて一体何が悪いのか。

 スケールは小さいが日本の政治家も20名程度の従業員を抱える企業経営者と同程度の金を動かす必要はある。グループを束ねる実力者ともなれば10億や20億の金を持っていてもおかしくない。それが国民の代表として行政権力や外国の勢力と戦う力になる。その力を削ごうとするのは国民が自分で自分の首を絞める行為だと私は思う。

 日本の選挙制度はアメリカと同じで個人を売り込む選挙だから金がかかる。それを悪いと言うから官僚主義が民主主義に優先する。それでも金のかからない選挙が良ければイギリス型の選挙制度を導入すれば良い。本物のマニフェスト選挙をやれば個人を売り込む必要はなく、ポスターも選挙事務所も街宣車も不要になる。「候補者は豚でも良い」と言われる選挙が実現する。いずれそちらに移行するにせよ今の日本はアメリカ型の選挙なのだから金がかかるのをおかしいと言う方がおかしい。

 ところで陸山会事件を見ていると1992年の東京佐川急便事件を思い出す。金丸自民党副総裁が東京佐川急便から5億円の裏献金を貰ったとして検察が捜査に乗り出した。捜査の結果、献金は「金丸個人」ではなく「政治団体」へのもので参議院選挙用の陣中見舞いである事が分かった。しかも既に時効になっていた。要するに検察が描いたストーリーは間違っていた。

 ところが検察はメディアを使って「金丸悪玉」イメージを流した後で振り上げた拳を下ろせなかった。しかし金丸氏を起訴して裁判になれば大恥をかくのは検察である。検察は窮地に立たされた。そこで検察は取引を要求した。略式起訴の罰金刑を条件に、検察のストーリー通りに献金の宛先を「金丸個人」にし、献金の時期も時効にならないよう変更しろと迫った。「拒否すれば派閥の政治家事務所を次々家宅捜索する」と言って脅した。その時、小沢一郎氏は「裁判で検察と徹底抗戦すべし」と進言した。法務大臣を務めた梶山静六氏は検察との手打ちを薦めた。この対立が自民党分裂のきっかけとなる。

 金丸氏が取引に応じた事で検察は救われた。そして金丸氏は略式起訴の罰金刑になった。しかし何も知らない国民はメディアの「金丸悪玉説」を信じ、余りにも軽い処罰に怒った。怒りは金丸氏よりも検察に向かい、建物にペンキが投げつけられ、検察の威信は地に堕ちた。検察は存亡の危機に立たされ、どうしても金丸氏を逮捕せざるを得なくなった。

 総力を挙げた捜査の結果、翌年に検察は脱税で金丸氏を逮捕した。この脱税容疑にも謎はあるが金丸氏が死亡したため解明されずに終った。世間は検察が「政界のドン」を追い詰め、摘発したように思っているが、当時の検察首脳は「もし小沢一郎氏の主張を取り入れて金丸氏が検察と争う事になっていたら検察は打撃を受けた」と語った。産経新聞のベテラン司法記者宮本雅史氏の著書「歪んだ正義」(情報センター出版局)にはそう書かれてある。

 小沢一郎氏は金丸氏に進言したように自らも裁判で検察と徹底抗戦する道を選んだ。検察は土地取引を巡って小沢氏が用立てた4億円の原資に水谷建設から受け取った違法な裏金が含まれているというストーリーを描き、それを隠すために小沢氏が秘書と共謀して政治資金収支報告書に嘘の記載をしたとしている。それを証明する証拠はこれまでのところ石川知裕元秘書の供述調書しかないが、本人は検事に誘導された供述だとしている。

 その供述調書が証拠採用されるかどうかは2月に決まる。その決定は裁判所が行政権力の側か国民主権の側かのリトマス試験紙になる。そして小沢氏に対する道義的?責任追及も民主主義の側か官主主義の側かを教えてくれるリトマス試験紙になる。


常識的に考えれば、この大善文男なる人物が一躍流行語大賞の有力候補に躍り出るような暴挙に出るとは考えにくいのだが、 登石郁朗という前例もあるし、司法におけるこの国の権力構造の実態(小沢強制起訴“黒幕”は最高裁事務総局 「ゲンダイネット」1月18日)を考えると、楽観ばかりもしていられない。

この国の裁判所は公正・中立な判断を下す機関として存続し得るのか?
この国の司法は民主主義を選ぶのか、官主主義を選ぶのか?
そしてわれわれ自身は民主主義を望むのか、官主主義を望むのか?

 ― 君は三権分立をどう考えているの?

国会での“説明責任”を問う記者に対する小沢一郎のこの切り返しを、当時批判する声を散見したが、行政官僚(検察含む)と司法官僚がおかしくなってしまっている時に、国民の代表たる立法府が仲間割れの足の引っ張りをしていてどうするんだ?それで民主主義国家が成り立つと君は思うのか?小沢一郎はこうわれわれに問いかけているとも思える。


・・・おっと、変てこな記事タイトルについて説明するのを忘れていたが、 これはもちろん2011年を彩った、国民生活と民主主義の根幹をないがしろにし、見苦しい自慰的行為に耽っていた悪徳権力者達を象徴するオヤジギャグ(堂々)のつもりである。あるいはこれを肯定的に捉えれば、「風が吹いただけでも○つ」というような感度良好な男子諸兄が、田中良紹氏のような正当な力強い見識に触れて、身体の内裡に何かが駆け巡るのを感じる事を願うものである。さもなくば、この国からなでしこなども、いずれ姿を消してしまう事になるやも知れぬ。



“俺が登石だ”
1月29日(日) 小沢一郎氏は無実! 新宿デモ



2011年の表紙大賞はもちろん「週刊ポスト」

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 小沢革命政権で日本を救え
-国家の主人は官僚ではない

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