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2011年5月22日 (日)

女はエロス、男は・・・(“ハウルの動く城 ”と“赤ずきん”)



BRITISH SEXUAL SONG の佳曲、という紹介でよいだろうか?
(Sineadはケルトだが。)


The Wolfmen feat. Sinead O'Connor/Jackie, Is It My Birthday?






セクシャルな暗喩に充ちた曲調とイメージ・ビデオ。


女はエロス。


男はエロスの触媒。


ちなみに普段のThe Wolfmenは、ちょいとルーズなパーティー・ロッケンロー・バンド。
(ビデオの青年はThe Wolfmenのメンバーではないので、念の為。)



The Wolfmen feat. Sinead O'Connor(シネイド・オコナー)
Jackie, Is It My Birthday?

The_wolfmensinead_



Wolfと聞くと、いささか唐突ながら、オレは宮崎駿の『ハウルの動く城』という映画を思い出す。『ハウルの動く城』は、『赤頭巾ちゃん』等の系譜に属する、女のイニシエーション(通過儀礼)の話だろう。オレは『赤頭巾ちゃん』も、人類の記憶の古層の深みからはるか連なる、女のイニシエーションの話だと思っている。(映画にはイギリスの女性作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズの原作があるらしいが、そちらは読んでいないので、映画を基準に話を進める。)

男のイニシエーションでは、たとえば独りで山に行かされる。あの山のてっぺんに小さな祠があるから、そこに行ってお札をひとつ貰って戻って来いと言われて、食糧も持たされず、しかもたいていは寒い冬に、独りで山に放り出される。

山は、特に夜の山は、おそろしいものだ。極限的な肉体の疲労の上に、飢えと寒さに加え夜の山の只ならぬ気配が覆い被さる。あらぬ物が見え、感じる筈の無いものを知覚するような極限的精神状態を潜り抜け、無事に戻って来た者だけが、社会の文化的構成を担う成人として認められる。山は象徴的な死の国であった。実際に命を落とす者もいただろう。

女のイニシエーションの場合、男のそれと違い、はっきりとした儀礼的形跡が残されていないので、その分謎が深い。女のイニシエーションでは、わざわざ冬の山に登っていくような必要は無い。女のイニシエーションとは、自分自身に出会う、より正確に言えば、自分自身のなかの“老婆”に出会う過程なのだ。しかしそれはやはり、それ程簡単な話ではないだろう。そこにはやはり触媒の如き媒介者が必要なのだ。

『赤頭巾ちゃん』では、最初彼女のお婆さんが狼に食べられ、続いてそこへ知らずにやってきた赤ずきんもまた、狼に食べられる。狼の胃袋の中で、赤ずきんは彼女の“老婆”と融合するのである。

映画『ハウルの動く城』では、主人公ソフィーは頭巾こそ被っていないものの、赤ずきんちゃんの継承者である彼女は、当然の如く帽子屋の娘であろうし、実際に出掛けるときは常に帽子を被っている存在として、物語に登場してくるのである。そして彼女は魔法使いハウルと関わることによって、己の中に潜んでいた“老婆”と邂逅しなければならなくなる。ここではハウル若しくはハウルの動く城が、いにしえから伝わる民話における、「狼」の役どころを果たすのである。

われわれが現在識っている『赤頭巾ちゃん』の話には、ペローかグリムか、おそらくは近世による話の省略や変形・捏造が、多分に加えられているだろう。現在の話では、狼の扱いが不当なようにオレには感じられる。狼は猟師に撃たれて退治されてしまう訳だが、そもそも狼がいなければ赤ずきんちゃんはイニシエーションを遂行出来なかったのであるし、それに狼の腹から赤ずきんとお婆さんが元のままの姿で出てくる結末も、あやしいものである。

それに比すると『ハウル~』の方がむしろ、人類本来の智慧をより良く現代に伝えているように思える。主人公ソフィーは、ハウルという媒介者を通して強く賢い女に変身を遂げるのであるし、しかもハウルの方も単なる触媒にとどまらず、その過程でまた変容するのである。

人類の記憶の古い古い地層から出来した智慧の物語は、近代文学などが逆立ちしても描けないような人と人との関わりの慈愛にみちた深みを、いとも鮮やかな手口で、あっけらかんと表現してしまうのだ。(近代文学は登場人物が複数入り乱れるような小説でも、その実孤独の臨界身体実験のような性質を持っており、その実験精神の勇敢さには一定の評価は必要であると考えるが。)

女のなかには“老婆”が棲んでいる。だから女は、本来的に男よりも賢いのである。


Howls_moving_castle



オレ達の祖先は、オレ達よりずっと濃厚な<リアル>を生きていたのだろう。現代の「成人式」はただの近所の同窓会であるし、イニシエーションにより近いものとしては、企業における新入社員の新人研修があるが、それも結局は”社畜”を製造するための洗脳訓練機関でしかなかったりする。

わけても1945年に日本に投下された二発の原子力爆弾と敗戦は、日本人の総体にとって、“逆イニシエーション”のような結果をもたらしたのではないか?  “永遠の12歳”の形成である。

成長を拒む何かが全体を覆っている。“永遠の12歳”は、イニシエーションの手前で引き返そうとするのだ。

何かが綴じ蓋のように頭の上に覆い被さって、われわれの成長を拒絶している。それが何なのか、この二年余りの政治の混乱を経て、ようやく衆目に明らかになってきた。

政権交代の気運が高まっていた時期に突如始まった、民主党のリーダー小沢一郎代表(当時)に対する検察の“国策捜査”。巨額な迂回献金および闇献金があったとされ、新聞・テレビもあたかも確定事実のように連日報道し、小沢一郎は代表辞任を余儀なくされる。この捜査自体が出鱈目なものであったことはその後徐々に明らかになるが、この時点で検察官僚は民主党の弱体化に成功したのである。

それでも国民が政権交代を選択すると、今度は沖縄普天間基地県外移設を目指した鳩山由紀夫首相(当時)に対する外務・防衛官僚達の徹底的なサボタージュと背後からの裏切り行為があったことは、最近明らかになったウィキリークスによる米国外交公電にもはっきりと記されている。この時も新聞・テレビは国民の側に立って県外移設を支援する代わりに、官僚側と結託して鳩山降ろしのキャンペーンを張り、見事それに成功したのは記憶に新しい。

こうして民主党を骨抜きにしたあと、官僚・マスメディアにとって非常に御しやすい菅直人政権がまんまと成立する。この政権は小沢・鳩山の掲げていた官僚制度改革・マスメディア改革をほとんど打ち捨てたばかりか、その代わりに、権限強化を目論む財務官僚の手先になって消費増税推進を唐突に打ち出し、ゴリ押ししようとしている。政府・内閣府と経産省がやはり唐突に推し進めようとしているTPPにしても、国民生活をズタズタにしてしまう可能性が高く、彼らの頭にあるのは権益だけかと疑われる。これでは自民党政権時代と変わらない。一蓮托生のマスメディアも、勿論これに反対しない。

これらの政策を今この時期に推進することは、官僚の権限を維持・強化する代償に、国民経済の景気と庶民の雇用・生活基盤を犠牲にすることである。国家再生・国民生活再生のビジョンも思考もそこには無い。

“永遠の12歳”は日本人の全体に及んでいるが、中でも一番変わる事を拒んでいる“本丸”の正体が、ここで明らかになってくる。官僚だ。

この“永遠の12歳”のなかのエリート集団は、自分達を“永遠の12歳”だとは思っていないので、戦後「早く大人になりたい」とばかりに国民経済を主導し、目覚しい経済発展に一定の寄与を果たしたが、結果“物質的に豊かな永遠の12歳”を大量に産み出しただけであり、右肩上がりの経済発展が望めなくなり、日本人全体が“永遠の12歳”からの脱皮を迫られている現在、一番てっぺんに居て変わる事を拒み続ける彼らの存在が、この社会に今後致命的な弊害を撒き散らかそうかという時点に、われわれは差し掛かって来ているのである。

この二年余の政治舞台で繰り広げられた彼らの異常な抵抗の様が、逆光に浮かび上がる影の如くその事を指し示している。

そしてこの元凶の在処(ありか)をあやまたず正確に照射しつつ、まさに実地に変革せんとしていたのが、他ならぬ小沢一郎であったのだ。

小沢一郎ウェブサイトの『わたしの基本政策』のうち「Ⅳ、地方を豊かにする」の項が、このてっぺんの官僚機構の解体から始まって、地方の隅々、全国津々浦々に及ぶまでの“永遠の12歳”からの脱却のすじみちを、驚くほど明瞭に力強く語っていて見事である。


IV、地方を豊かにする

  1. 分権国家の樹立
    明治以来の中央集権制度を抜本的に改め、「地方分権国家」を樹立する。中央政府は、外交、防衛、危機管理、治安、基礎的社会保障、基礎的教育、食料自給、食品安全、エネルギー確保、通貨、国家的大規模プロジェクトなどに限定し、その他の行政はすべて地方自治体が行う制度に改める。
    また、中央からの個別補助金は全廃し、すべて自主財源として地方自治体に一括交付する。それにより、真の地方自治を実現し、さらに中央・地方とも人件費と補助金にかかわる経費を大幅に削減して、財政の健全化にも資する。

  2. 補助金の廃止で陳情・利権政治を一掃
    個別補助金の存在は官僚支配を許すと同時に、国会議員を地域と官僚機構との間の単なる窓口係におとしめている。さらに、その関係が補助金をめぐる様々な利権の温床になっていることから、地方のことは権限も財源も地方に委ねる仕組みに改め、国会議員も国家公務員も国家レベルの本来の仕事に専念できるようにする。

  3. 基礎的自治体の整備
    「分権国家」を担う母体として、全国の市町村を300程度の基礎的自治体に集約する。都道府県は将来的に地方自治体から外し、最終的には国と基礎的自治体による二層制を目指す。

  4. 地域経済の活性化
    地方分権を完全実現し、権限・財源を地方に移譲することで、経済、文化、教育等の各分野で企業・人材の地方定着を促すとともに、地域経済の活性化を図り、地方の中小・零細企業の活力を高める。特に、地場の中小企業の研究開発促進、地域の伝統的な文化・技術の現代社会への活用について、税制上の優遇措置や地域ファンドの体制整備を行う。

  5. 特殊法人等の廃止・民営化
    特殊法人、独立行政法人、実質的に各省庁の外郭団体となっている公益法人等は原則として、すべて廃止あるいは民営化する。それに伴い、それにかかわる特別会計も廃止する。今日、どうしても必要なものに限り、設置年限を定めて存続を認める。

  6. 経済の持続的成長と財政の健全化
    個別補助金の全廃と特殊法人等の廃止・民営化により、財政支出の大幅な削減を実現すると同時に、本来民間で行うべき事業から政府が撤退し、民間の領域を拡大することで、経済活動を一層活発にする。それによって日本経済を持続的成長の軌道に乗せ、税収を増やすことで、財政の健全化を加速する。


さらに、「Ⅵ、政治を国民の手に取り戻す」の項における、「国会審議は議員のみとする」、「副大臣・政務官の機能強化(事務次官会議の廃止)」なども、官僚主導政治からの脱却という観点からは、重要であることは勿論であろう。

小沢一郎の信念と実力を間近に見知っていた官僚機構の守旧派達は、政権交代の実現が眼の前に迫った時、これらがまさに実行され、自分達が殺されるという恐怖に駆り立てられたのだろう。(実際ここでは、それぐらい破壊力の有る政策理念が語られている。)でなければ、それから始まった彼らの尋常ならざる抵抗は説明出来ない。あいば達也氏の言う通り、彼らは「治療の為に近づいてきた小沢一郎という治療師を、自分達の刺客と勘違いしてしまった」のである。

尤もこの治療で彼らの半分位は死ぬだろうが。イニシエーションとは元来そういうものである。死と交わらないイニシエーションなど有り得ない。

変わらなければならない時期は、もうとっくに過ぎているのかも知れない。“永遠の12歳”の集合体は、そこに居れば内側だけでは何となくカネと人がうまく回り続けるので、大層居心地が良さそうである。しかし国民全体が“永遠の12歳”で居られるうちは良かったが、それが不可能になりつつある現在、彼ら官僚は自分達の利権を保持する必要から、われわれの方を“永遠の5歳”にまで貶めようと画策している。

その為には今まで以上に子飼いの新聞・テレビが露骨な偏向報道を繰り広げるだろう。テレビのワイドショーやニュース番組には、現代のペローやグリムが次々に登場して御託宣を並べるが、彼らの語る周到に加工された“おとぎ話”の主眼は、われわれをして幼児的世界に押し留めておく事にある。


思考停止と積年の利権構造。“永遠の12歳”、げにおそるべし。

この大震災と原発事故が戦後最大の国難であることは、疑う余地がない。日本人はこの事態を三度目の正直として、今度こそ自分達の“イニシエーション”として体験しうるのか?それとも官僚主導傀儡政権の下、更なる退行を選択して、“永遠の5歳”に成り下がるのか?

「大人になろうぜ。」と言った小沢一郎に、「イヤだイヤだ。」と寄ってたかって殴りかかって縛りあげる。白昼堂々薄気味悪い子どものいじめリンチを連日見せつけられ続け、もうかれこれ二年以上になるが、新聞社やテレビ局が世論調査をすれば、「もっとやれやれ」が7,8割だという。

そういう人達には、或いは小沢一郎という存在が夜の山の漆黒の闇や、狼のどす黒い胃袋のように、見えているのであろうか。


オレの言いたいこと、もう分かるよね?


大人になろうぜ。



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《参考》
“国策捜査”ニューヨークタイムズの報道 2009.5
“国策捜査”の歴史①
“国策捜査”の歴史②
キバをむいた検察の反革命クーデター 2010.1
朝日新聞がおかしいぞ① 2010.10
朝日新聞がおかしいぞ② 2010.10
平成のメディア・ファシズム 2010.12
ウィキリークスが暴いた普天間問題の裏切り者 2011.5
外務・防衛官僚の対米隷従体質暴いたウィキリークス 2011.5


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