2016年11月 9日 (水)

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2014年12月11日 (木)

荒廃国から・・・

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自業自得だが、ウクライナ中東において謀略と暴虐の限りを働いているアメリカの国際的信用度が失墜し、相対的にプーチン・ロシアの信用度が高まっている。

とりわけ大きいのが、ロシアと中国の接近である。アメリカの強引なロシア制裁が、結果としてロシアと中国の蜜月関係を促進させた形だ。5月のロシアから中国への総額およそ4000億ドル超の長期天然ガス供給契約の調印、7月にはBRICSが新開発銀行設立に合意。10月には1500億元の通貨スワップ協定にも調印し、これにより国際エネルギー取引の歴史上初めて、ドル無し元建てでの決済が両国間でなされた。

これは最初の一歩に過ぎないが、これら一連の動きは今後世界的なドル離れ、アメリカの一極覇権主義的世界支配の道具に堕しているIMF・世銀離れの流れを加速させていくだろう。(しかも国家主席就任前より米戦争屋勢力に近しいと思われていた習近平が、今までが面従腹背で機を窺っていたのか、それともアメリカの極悪非道なやり方に愛想が尽きたのかは分からぬが、ここに来て親露にシフトしたことの意義は、日本にとっても少なくない。)

実際ウクライナのネオナチ・クーデター政権やイスラム国(ISIS)の暴虐の裏でヌランドやらマケインやらがコソコソ暗躍していたことが次々と暴露されて、国際社会がドン引きし始め、中露の接近(加えてドイツ=EUの離反の兆し)でみずからの立場が危うくなり始めると、宗主国アメリカ様の焦りぶりは尋常ではないようで、一番の隷属国家の人心だけは引き留めておこうと、子飼いの奴隷マスメディアによる情報統制を強めるとともに、奴隷コメンテーター達にも一層激しくハッパをかけ始めたようである。

さあ唱えろ、刷り込め。何度でも。前より激しく・・・
「中国きら~い、中国きら~い」
「ロシアこわ~い、ロシアこわ~い」

小笠原諸島近海で以前から散見せられていたらしい中国籍のサンゴ密漁船が、この10月以降なぜか急激にその数を増やした。と同時にテレビの報道・情報番組は「サンゴが・・・、サンゴが・・・、サンゴが・・・」と連日大変熱心な取り上げ方で、日本の領海を他国密漁船の横行から保護しようというその報道姿勢は大変良い心掛けであるが、マスコミも普段このぐらいの熱心さで内政問題にも当たってくれたらなあと思ったものである。

オレがこのサンゴ密漁船のニュースを最初にテレビで見たのは10月24日の『報道ステーション』で、その日のゲストは外交評論家の岡本行夫であった。中国船籍の密漁船が増え、このままでは貴重な海底資源が破壊されてしまう危惧がある事、すでに逮捕者も出ているが、
海上保安庁は巡視船を東シナ海に重点配備しているので現状では巡視船の数が足らず、政府は対策を講じる必要がある・・・等々と、元エリート外交官らしいいつもの落着いた口調で、坦々と解説を加えていたのだが、持ち時間がそろそろ終了して次のニュースに移ろうか・・・という丁度その時に、何を思ったのか急に「中国ってのはヒドイんですよ!」(“中国船”でない点に注意)とあらためて身を乗り出してまくし立てたので、こちらがビックリしてしまった。

「こーんな大きな船で来て、ゴッソリ持って行くんですから!」と続けた訳だが、おそらく持ち時間終了直前になって、自分の仕事振りが御主人様から見て不充分だと思われはしないかと、急に不安に駆られたのであろう。

この岡本の普段とは微妙に異なる躍起ぶりから見ても、近況奴隷どもの尻を叱咤しているのであろう彼らの御主人様の焦りが窺い知れるのだが、岡本よりも奴隷としてのキャリアの浅い成り上がり奴隷の弁護士・八代英輝などは、『ひるおび!』でこれはちょっとハッキリ覚えていないが確かG7の話を皆でしていた時でなかったかと思うが、やはり前後の会話の脈略にまったく関係ないタイミングで急に思い詰めた表情で席から身を乗り出し、「ひとりすごくイヤな奴がいるんです。ラブロフって奴なんですけど!」と絶叫して周囲を驚かせ、司会の恵に「今なんで急にテンション高くなったんですか?」とたしなめられている滑稽さである。

「先生ぼくうんこ漏れそうです。トイレ行ってもいいですか?」じゃあるまいし、それを言うのが与えられたミッションだったのであろうが、後で御主人様に叱られる場面を想像しつつその台詞のことだけを思い詰めて考えているから、おかしなタイミングになるのである。

かくもかように奴隷という生き物は、高額な報酬と引き換えに悪魔に魂を売り渡したその惨めな生き様の醜態を、日々われわれの前に晒してくれているが、その奴隷の語る法螺(ほら)話をテレビの前で頷きながらありがたく拝聴している一般国民は、奴隷以下の家畜存在だということになる。

密漁船のニュースをやること自体は別にいいが、NHKの『ニュースウォッチ9』は、APECで僅か25分間の中身に乏しいものだったにしろ安倍晋三と習近平との間で日中首脳会談が2年半ぶりに実現した11月10日、その首脳会談のニュースの直後に、わざわざそれに水を差すようにまたサンゴ密漁船のニュースを、しかもいつも以上に執拗に念入りに、メーンキャスターの大越健介がヘリで小笠原上空を飛んだり、中国の浙江省や福建省の漁港からのレポートを交えたりしてやっているのを見ると、この放送局は一体日中関係をどうしたいと思っているのだろう、と訝しんでしまう。つまりサンゴを守ることが彼らの第一義の目的ではなく、他の別な理由の為にサンゴ密漁船を追いかけているように見えてきてしまうのだ・・・。

家畜を家畜たらしめるには思考力を奪うのが一番の方法だ。それには仮想敵を与えてやるのが最も良い。繰り返し繰り返し刷り込ませてやれば、いずれ家畜は仮想敵に向かって突進していくだろう。それが自己実現の方途だと信じて。自分が家畜だとも気付かずに・・・。





田中宇氏が『プーチンを強め、米国を弱めるウクライナ騒動』とブログ記事に題していたのは、3月9日の時点である。その時は(果たしてそうなるのかな・・・)と 半信半疑の感であったのが正直なところだった(日本の偏向マスメディアの伝える報道は、まるでその真逆のような印象報道ばかりであったから・・・)が、その後世界は事実その通りに、しかも目覚ましいスピードで動き出している。

そのなかでこの日本だけがなにか異質な空間を形成し、滞留しているかのような感覚なのである。あたかも比重の異なる気体の二層分離形成の如く、重く澱んで凝り固まり滞留しようとする気層と、その外周で活性化し、烈しく流動し始めた気層との、著しい分離・隔絶状況の呆然たる対照である。

日本は宗主国アメリカの奴隷マスメディアのコントロールする、情報統制国家である。宗主国の政治・経済的劣化と歩を合わせるかの如く、その劣化の進行度は今や猖獗(しょうけつ)を極めている。安倍晋三内閣発足直後から、政権と大手マスメディアが結託し、「アベノミクス」という造語の下に、実態の無い、というよりむしろ実態隠しのまさに全的な「広告代理店政治」が展開された。これはかつて類例のない、もはや政治とも呼べないような類の代物であり、小泉時代でもこれ程ひどくはなかった。

これは実に計画的なものであり、それはまず第一に「安倍政権は経済政策政権であり、景気と雇用を立て直すべく志向された政権である」というウソの徹底した刷り込みである。

その為に彼らが利用したのが株価である。アベノミクスの第一の矢とされたのは、「大胆な金融政策」であるが、金融緩和の本来の目的とは、それにより民間金融機関の貸出額を増大させて、景気を好転させることである。そして実際日本のマネタリーベースは2013年の1年間で45%増加し、日銀の目標通り200兆円を
超えた。しかしその大部分は民間貸出つまり民間設備投資の増加には繋がらず、したがって実体経済は思うようには好転しなかった。一方それは円安誘導の直接効果としての資産バブルすなわち株価の上昇となって現われる。

しかしこれらの結果は安倍政権が発足した2012年末の時点で、すでに充分に予測することが出来たものである。すでに日本は10年以上も前からいわゆる「流動性の罠」の状態に陥っているという指摘もあるが、実際金利面の要因以上に大きいのが、日本経済全体を覆っている根本問題としての「リスク要因」である。

一般家計の給与所得水準が長らくダラ下がりの傾向で、非正規雇用も増え、人口減少には歯止めがかからず、国の社会保障制度は信頼が薄れて、将来の先行き不安から国内市場全体の需要が先細り傾向にある為に、企業も個人もお金を使いたくても使えない状態に在るというのが、今の日本の根本問題なのである。これらの「リスク要因」をひとつひとつ取り除き解決していくことこそが政治の役割であり、それなしに日銀がいくらジャブジャブ市場に金を流したところで、企業は設備投資を控えるし、実体経済が好転する訳がない。消費増税後ガタ落ちしたのは当然である。 

一方株価は上昇する。政府とマスメディアは当初から、この株価上昇を「アベノミクス」というイリュージョンを大衆に信じ込ませる為のプロパガンダの道具として、最大限に利用した。

昼夜を問わずテレビの画面には株価指標の動向を見てほくそ笑む街場の個人投資家の表情が連日映し出され、それと並行してウソも百遍言えばホントになる、とばかりに「景気が良くなった」「景気が良くなった」という刷り込みが報道・情報・バラエティー番組を問わずCMでも、2013年春当時流れていたサントリー『ボス・ブラック』のCMでは、「この惑星の住人は、少し景気が良くなると、すぐ調子に乗る」と、嘲笑を加味しつつの早業の既成事実化である。

マッカーサーを想起させるパイプを咥えた西洋男の顔のイラストに“BOSS”と冠したこの缶コーヒーのCMで、宇宙人ジョーンズのうそぶく「この惑星」とは、勿論この日本のことなのであり、「この惑星そろそろ滅ぼすか」「いや、まだだ」などとやりながらジョーンズは毎回露悪的な変態をして見せるわけであるが、パチンコマルハンの日の丸凌辱CMほど露骨ではないにせよ、電通のいわば視聴者に向けてニヤつきながら精液をすっ飛ばしているような公開オナニーのようなものである。
そしてこの公衆の面前で醜いイキ顔を晒すしか能の無い五流黒魔術集団・電通に、丸ごと牛耳られているのが日本のマスメディアという訳だ。

第二、第三の矢については言わずもがな。「機動的な」財政出動と言いながらやっているのは旧態依然の公共設備投資ばかりであり、それでなくとも震災復興と東京オリンピック需要で人材不足と原価高騰に苛まれている建設業界に追い打ちをかけ、却って地方公共事業や民間住宅設備投資等にブレーキをかけている有様だし、「成長戦略」についてはまだ何もしていないが今後の目玉は非正規雇用拡大の為の法改正と法人税減税で、これまたパソナと大企業を喜ばすだけである。

そしてこの政権の正体を如実に露わにした極めつけが、10月31日の日銀による追加金融緩和の発表である。すでに金融緩和が景気の好転に寄与する効果は極めて限定的であることは、この二年弱の期間で証明されている。しかもこの時点で、円安進行
による燃料価格と原材料価格の高騰が消費者物価の上昇をもたらし、消費税増税とのダブルパンチで、大規模金融緩和の弊害がハッキリと中小企業と庶民の生活に襲いかかっていたのである。そこに更に大幅に追加金融緩和するというのである。

これはFRBの肩代わり策であり、「アベノミクス」イリュージョンの生命線である株価浮揚策そのものであり、この追加金融緩和の決定はハナから実体経済の好転を期待して行われたものではないのではないか、と疑われても仕方が無い。中小企業と庶民はもっと苦しめ、という確信犯なのである。それとも黒田は本気で「期待形成のモメンタムを維持」すれば実体経済が好転するだろうなどと、いまだに信じているのか?すでに円はこの決定時の1ドル109円台から12月5日には120円台に下落した。今後もさらに下落していくだろう。

2015年度末の日銀のマネタリーベース目標額は355兆円となった。景気後退局面のなか、札だけが更に猛烈な勢いでジャブジャブと刷られ、FRBは量的金融緩和の終了に続き利上げを検討、という異様な光景が眼の前に現出しつつある。ここまで来れば、「アベノミクス」などというまがいものの正体が何で、一体誰の為に機動しているのか気が付かなければ嘘である。

安倍政権が経済政策政権であるとするならば、その経済政策とは「一般家計からグローバル大企業・大資本・富裕層への再配分政策」なのであり、それはこの総選挙で自公政権が信任されれば、今後もさらに強化され継続される。安倍自身がいまだ選挙戦において「この道しかない」と強弁しているのである。

「自分の処では景気が良くなったという実感は“まだ”無い」などと言っているうちは、“まだ”マスメディアの洗脳術の内に縛られているのであって、そんなものはいくら待っていても永遠にやって来ない。永遠に与えられることのない架空のアメを夢見させられながら、虚空に向けて口をぽかんと開けている、家畜の群れだ。

そしてその家畜の耳に狙いを定めて、またあの我慢ならない嬌声が飛んでくるのだ。子供向けの紙芝居のような口調が、それだけでも充分耳障りなNHK『ニュースウォッチ9』のナレーションが、黒田電撃追加金融緩和発表のその日、お祭り気分の浮かれた口調でそのニュースを伝え出し、株式市場はフィーバーだ、日経平均の終値は前日から755円高の16,413円だ、およそ7年振りの高値更新だ、とはしゃぎまくった果てに、シメは大入り袋を配られた証券会社だか証券取引所の社員達の上気した表情の笑い合うカットだ。取って付けたような後段の解説などは実はどうでもいいのだ。家畜の目と耳に何が残るか、計算ずくで構成しているのである。

そしてどういう理由なのかは知らないが、12月8日、7-9月期のGDPの改定値が公表され、大方の予想を裏切り年率換算でマイナス1.6%からマイナス1.9%に更に下方修正されたというこの重要なニュースの場合は、『ニュースウォッチ9』でもその前の7時台のニュースでも封殺されるのである。

NHKは正真正銘の悪魔の集団である。皆殺しにしても殺し足りないほどに底無しに腐りきった悪魔集団、それがいまのNHKだ。




マスメディアの作り為す抑圧された言論空間が、重苦しい滞留感となってわれわれを取り囲み、外周から隔絶させている。その内積された目に見えない圧力が、突き破ってやりたくなるような衝動を、われわれに感じさせるのである。それは今はまだ微細な胎動のごとき状態を保ちながら、しかし確実にわれわれの内的感覚にその存在を示している。

この男は終局暴力を肯定しているのではないか?とこのブログを以前から読んで呉れていた人は、ここであらためて疑いを持つかも知れない。オレは2012年の総選挙の後最初に書いたブログ記事で、深沢七郎について触れながら、日本の戦後の言論空間はこれまでちょっと上品過ぎたのではないか、もっと「ゲヒン」であるべきだ、というような考えを述べさせてもらった。今また再びそのことを考えているのである。少し熟考してみたいので、再び中沢新一の『野生の科学』の、「デリケートな分類」という深沢七郎論の主要部分をここに転載してみよう。


「未開人と農民は分類を好む」というのは、ある有名な人類学者のことばであるが、深沢七郎もまるでその未開人や農民のように、たえず世界を細かく分類しながら生きていたようなところがある。

その分類の仕方はとてもデリケートで、しかも絶対的な正確さをもって遂行されていたので、そのやり方に慣れていない人は、目の前で手際よく世界が分類されていく様子を見ては、ただ呆然とするばかりだった。それはたとえばこんな風におこなわれる。


武田泰淳先生のお宅へ行った時だった。

「野球は好きですか?」

ときかれた。

「野球は嫌いです。上品すぎて」

と、正直にお答えした。

「そうかなあ、上品すぎるかなあ」

・・・

「レスリングなどは好きですか?」

と、奥さんがおっしゃった。

「あれは、乱暴だから、嫌いです」

と答えたが、好きなものを云わなければいけないと思ったので、

「スポーツでは、やっぱり、ギターが好きです、ゲヒンでいいですね」

と云うと、

「スポーツですか? ギターは」

と、ききかえされたので、まずいことを云っちやつたものだと後悔した。

(「言わなければよかったのに日記」)


この会話には、深沢七郎の実践している世界の分類学の、重要な特徴がすべてしめされている。

野球は上品すぎて、好きになれない。野球はサッカーなどと違って、プレーヤー同士の身体は、いつも十分な距離をもって分離されている。ボールも直接足で蹴ったり、手でつかんだりするのでなく、バットで打ち、グローブでつかむ。野球ではすべての行為が、道具によって媒介されていて、身体の直接性はできるだけ上品に制御されている。だから、野球は上品すぎるのであり、ことばの制御に人生を賭けている文士や詩人などは好むかもしれないが、逆にそこが深沢七郎にはつまらないスポーツと思えるのである。

その逆にレスリングには媒介が少なすぎる。身体と身体が直接激突しあい、相撲の場合のような儀式性や形式性が乏しくて、身体の動き回れる範囲に加えられる制限が、極端に少ない。形式性が乏しいと、そこには身体を律する論理性が乏しいということになるし、あとで言うように音楽性が乏しいことになる。そんなやりかたでは、スポーツが限りなく喧嘩に近づいていってしまう。その意味で、レスリングは乱暴で、趣味に合わない、と言うのであろう。

だから「スポーツと言うならギター」なのである。ギターを弾く指の動きを、深沢七郎は「スポーツと同じ」と言っている。指が直接に弦を弾いて音を出すのがギターという楽器である。たしかにギター演奏をしている人は、地面を直接に蹴り立てて走る短距離走者や、リズムをつけて地面を蹴っていく三段跳びの選手や、ボールを直接に足で受けて思ったところに正確に蹴りだすサッカー選手の身体がしていることと同じことを、指先でやっている。物質世界(楽器のこと)に直接身体の一部をこすりつけるギター演奏は、その意味では、まぎれもなくスポーツの仲間なのである。

しかし、ギターは物質との間にたくさん媒介を挿入する野球のように「上品すぎない」し、媒介と形式性が乏しいレスリングのように乱暴でもなく、人の知性と身体の動きとが、ちょうどよい近さとバランスで媒介されながら触れ合っている。だからこそ、ギターは「ゲヒン」で、すばらしい楽器なのである。深沢七郎の「ゲヒン」という分類の範噂は、おそろしくデリケートで深い内容をもっている。

深沢七郎によると、ピアノは上品すぎて、つまらない楽器である。なにしろピアノは最初から調律されている弦を、ハンマーで叩いて、音楽を出すのであるから、土台からして知的で面白みに欠ける。これにたいしてヴァイオリンは弦をこすって音を出すという点では、ピアノよりもはるかにエロチックで「ゲヒン」である。

しかし深沢七郎のデリケートな感覚からすると、「こする」よりもギターのように「はじく」楽器のほうが、出てくる音に粒子性があって、より好ましい。それにヴァイオリンは早くからクラシック音楽家に目をつけられて、上品な曲ばかり演奏する楽器に洗練されてしまった。そこへいくとギターの名曲などは、ほとんどすべてが酒場で演奏され、それに合わせてフラメンコダンサーが踊るための音楽である。エスタブリッシュすることを拒否するギター。いつまでも「ゲヒン」のままでいようとするギターは、それゆえ深沢七郎の分類学において、最高のランクに位置づけられることになる。


(「デリケートな分類」(『野生の科学』)より、部分)



つまり深沢七郎は、「上品」と「乱暴」のあいだに、「ゲヒン」を中立させている。現在のマスメディア言論は、大小種々のプレスコードにがんじがらめになっていて、テレビのバラエティー番組でさえも、「上品」な言論ばかりだ。しかもそれは「乱暴」による支配をその内側に秘め持った「上品」なのであり、結果「乱暴」のカモフラージュとしての「上品」という、非生産的な、抑圧され滞留する重苦しい空間を作り為している。

一方後発のネット言論の方はどうであろうか。その自由度はマスメディア空間よりも圧倒的に高いし、情報量も多く、可能性は無限とも思えるほどだが、しかし現状はその精神性においてやはり「上品」の域を出ていないものがほとんどなのではないだろうか?つまりいつの間にか無意識の精神的集合的プレスコードの如きものが形成されて、発言者を自発的に抑圧するのだ。そこでは「媒介が多過ぎる」。

そして一方ネット言論では「乱暴」で幼稚な言論もまた多いというのも事実だ。「乱暴」を「上品」が非難し、それにまた「乱暴」がやり返す・・・。もちろん批評の応酬というのは言論においてあって然るべきだが、その内容を吟味してみると、マスメディア空間の場合とではその関係性こそ微妙に異なるものの、やはり「上品」と「乱暴」との形成する非生産的空間がその主流を為しているように思える。「ゲヒン」というのは、やはりなかなかデリケートで難しいもののようだ。

阿修羅掲示板は、2012年の衆議院選挙以降、やはり少し元気が無くなったように思う。直後は不正選挙ネタで沸いたが、しかしこの問題自体がそれへの接し方で態度を二分するものでもある。政治板のなんとなくの減衰と相対して、ランキング上位に常に目立つようになって来たのがカルト板を独壇場とするポスト米英時代氏の投稿だが、ポスト氏の言論は深沢七郎的に実に「ゲヒン」である。

それはスケベ親父ネタやギャグが多いという理由だけではなく、氏の文体が深沢七郎的に“音楽的”である、という理由にも依拠している。氏の文章については阿修羅掲示板を参照してもらうとして、深沢七郎文学の持つ音楽性については、中沢は以下のような深沢の会話表現のなかにその典型があるとする。


甲州方言の言い回しは、がいして簡略だが、反復が多くてくどいところがある。その特徴は、深沢七郎の作品のいたるところにあらわれているが、とくに『笛吹川』のような作品では、そのことがまるで小説の主題ででもあるかのように、いきいきと活写されている。

「わしゃ、西山の湯に行かせてもらいてえよう」

と云った。定平が黙っているとおけいはまた、

「わしゃ、ボコが欲しいよう、西山の湯へ行けばボコが出来るかも知れんから」

と云うのである。定平はおけいが甲府の方ばかりを眺めているわけが始めて解ったのだった。(甲府の方を見ていると思ったら、西の空を眺めていたのだ)と思ったので、

「行って来ればいいじゃねえか、ひと月ぐらい」

と云うと、おけいはにっこりして、

「ようごいすかねえ」

と念を押した。下を向いたまま、

「わしゃボコが欲しいよう、ボコがねえからあんなことを云われて、いやだよう」

と云った。また、

「ボコがなきゃ困るよう」

と、くどく云うのである。   (『笛吹川』)

・・・・・・ひとつのフレーズが、そのままで、あるいは少しだけ変形されて、何回も繰り返されているうちに、そこには自然に音楽が発生する。


(「デリケートな分類」(同上)より、部分)



2012年衆議院選挙の終了後、言論空間はもっと「ゲヒン」にならなければならないのではないか、と考えていたオレとすれば、ポスト氏のその後の精力的な御活躍はまさに我が意を得たり、というか至極当然だろうという感じなのであるが、2012年衆議院選挙における巨大不正選挙という、ある種われわれの蓄積した平常生活実感を超えるものとして出現した超越的な暴力性のようなものに対処する為の技芸として、氏の音楽的「ゲヒン」さを備えた文体が他者に優って持続的な有効性を維持し続けたという事には、なにか意味があるのである。

殊にウクライナ詐欺でもイスラム国詐欺でも香港デモ詐欺でもアレもコレも誰でも中学生でも過去問レベルで5秒で正解が導き出せる「またお前かー」の法則(笑)を打ち立てた功績は多大である。つまり経験則と直観をほとんど無媒介に近い(厳密にはマスコミという反面教師のフィルターを媒介する)方法でダイレクトに接続するそのやり口が、「乱暴」ギリギリに「ゲヒン」なのである。

「ひとつのフレーズが、そのままで、あるいは少しだけ変形されて、何回も繰り返されているうちに、そこには自然に音楽が発生する。」 隔絶され抑圧され滞留していた空間のなかから、微細な胎動の如きものが生じ、やがてそれは繰り返し繰り返されるフレージングのさざ波となってモチーフを形成し、次第に大きなうねりとなっていく・・・。「ゲヒン」のウェーブだ。しかしそのウェーブはマス・レベルにおいてはいまだ声無き声、未出の声なのである。何かがまだここには足りないような気がする。主旋律を貫いて屹立する、烈しいビートのようなものが・・・。




ポスト米英時代氏と並行してこの間オレがその発信に注目し続けていた人物がもう一人いる。2012年総選挙後早々に「俺の前で不正選挙の話をするな」とばかりに阿修羅との訣別宣言をしてこんにちに至る、誰あろう山崎行太郎氏その人である。

山崎氏が一連のSTAP細胞問題で終始一貫して展開していたのは、凡庸な「科学主義」者達の「イデオロギー論」からのバッシングに対する、「科学」への「存在論」的思考からの全的擁護であった。多くの日和見的知識人が沈黙するか世論迎合的発言に終始するなかで、氏はこの問題に果敢にダイブし、そしてわれわれを瞠目させたのである。その孤高かつ勇猛果敢な言動を内側で衝き動かしていたのは、社会全体を覆い尽くす単純で安っぽい「倫理」や「道徳」を振りかざす思想的退廃への、烈しい嫌悪である。氏の立場からしてみれば、不正選挙について云々することなども、ある種の思考停止への退廃として映っていたのだろう。

合理主義とは何か?合理主義も一種の非合理主義である。つまり、合理主義も、「主義」であるという点で、「非合理主義」なのである。これは、科学と科学主義の差異についても言える。以下は、小生の処女作『小林秀雄とベルグソン』より 。「矛盾にぶつからない思考が合理的なのではない。矛盾にぶつかることを恐れない思考が合理的なのである。つまり矛盾に直面しない思考とは、中途半端な思考であり、いわば矛盾することを恐れて、問題を回避した思考なのだ。」・・・。

2014.11.03 哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』より、部分)



「安っぽい倫理主義」とは何か?単純素朴な道徳主義である。文化のダイナミズムが衰え、文化の生命力が衰退すると、必ず、「安っぽい倫理主義」が蔓延る。そして幼稚=稚拙な思想や思想家が蔓延る。今の日本が、まさにそうである。「悪」や「生命力」「自然」と向き合う精神が欠如し、単純な「倫理」や「道徳」を振りかざし始める。

・・・・・・・

「イデオロギーから存在論へ」ということである。物事を「善悪の尺度」でしか見ないイデオロギー的思考は貧しい思考である。ニーチェ的な「善悪の彼岸」的思考こそ、本物の思考(存在論的思考)であろう。

2014・11・26 同上より、部分)



ここには、ポスト米英時代氏の言説に欠けていたものを充たす為の重要な鍵が、示唆されている。ポスト氏の言説は素晴らしく素敵に小市民的(笑)に「ゲヒン」だし、今のままで行って欲しいと思うが、しかしこの「ゲヒン」という語法には、深沢七郎的な、“魔術”的ともいうべき逆説が秘められているのである。 「ゲヒン」とは、つまり“ elegant な violence ”の謂いなのである。

「上品」は媒介が多過ぎて、表面的にはもっともらしいけど何だかウソっぽくて生命力に欠ける。逆に媒介がほとんど無くて直接的に暴力的な「乱暴」も、非生産的であるという点では、「上品」と似たようなものである。しかしその中間に深沢七郎は「ゲヒン」というカテゴリーを“中立”させる。

こんにちこの日本でこの“中立”という言葉ほど、その言葉の本来の意義から疎外されている言葉もないのではないか、と思うほどである。- いずれにも偏らずに中正の立場をとること。いずれにも味方せず、いずれにも敵対しないこと(広辞苑)。ここから派生してくるのは、日和見的な、当事者意識の欠落した事なかれ主義の、スタティックな形態であろう。

しかしそうではない。本来“中立”とは、文字通り「中に立てる」、すなわち未生のカオスのなかから存在の極点としての中心を屹立させる、極めて「存在論」的にアクティブでダイナミックな仕業のことを意味するものなのである。

お茶を立てる。庭を立てる。おそらくわれわれ日本人にとってこの「立てる」という仕業こそが、中世より古代、そして「記紀」編纂以前のはるか先史時代を貫いて、その集合的「存在論」的思考の、核心部分に位置するものなのである。

そしてわれわれはそのような「存在論」的核心的仕業にこそ人事を尽くさんとする、ひとりの稀有な政治家の名前を知っている。

小沢一郎は、今回のこの急な選挙戦のなかでも野党勢力を結集した新党結成実現の為に水面下で尽力した。安倍晋三の ー 今なら勝てる。今なら野党は小選挙区の6割程度しか公認が固まっていない。安倍政治の正体が国民にバレないうちに ー という理由しか無いこのなんという個利個略解散。しかも解散から公示日までは過去最短の11日という異例の短さだ。

それでも小沢は大同団結の野党統一戦線が出来れば勝てると踏んでいた。その為には党の解党も当然いとわなかったし、自分一人は無所属になってもいいとさえ周囲に伝えていた。結局統一戦線は実現することは出来なかったが、最低限の野党間の候補者調整は出来た。これも小沢がいなかったら多分実現していなかったであろう。

自分はいま弱小政党の党首に過ぎず、しかも官・マスコミによる人物破壊工作の影響で、多くの国民に嫌われている。自分には資格が無いけれど、「誰かが既成政党の枠から飛び出して「この指とまれ」と言ったら」(小沢)、自公に拮抗する、政権交代可能な勢力が現出する。滞留していた世界が、一気に活性化して動き出す。その為なら、自分の存在は見えなくなってもいい。

「さあよく見ろ、ここが世界の中心だ。」 - それは存在の極小点として虚空に示される、屹立した“無”だ。それがひとびとに知覚された途端に、重く澱んで滞留し
ていた気層に活力が充ち、世界が動き出し、“有”へと一斉に湧出し始める。極点を経巡って湧き上がる力と力とは拮抗し、分岐する・・・。

誤解を恐れずに言えば、小沢一郎にとってそのような創造の奇跡を実践して見せることこそが、「存在論」的な政治家としての彼の第一の本懐なのであり、その時彼自身が拮抗する勢力のどちらの側に属しているかという問題は、それほど重要ではないのだ。

しかし今回この小沢一郎の崇高な理念は、残念ながら民主党と維新の党の凡庸な指導層の政治家達には充分に理解されることが成らなかった。橋下徹などは、やたらと民主党に噛みついて、率先して共闘ムードをぶち壊している。




だからやはり「プーさん、元さん、がんばって」の他力本願だけでは、事態は好転しないと思うのだ。思い返せば2月の都知事選の当時は、「立ってるものなら小泉でも使え」というような絶望的状況であったが、所詮「俺女の首絞めないと立たんのよね」という宿悪により連中に縛られている男に限界状況を突破するような力もその気も無い訳であるが、しかし
実際この安倍というアンポンタンをいつまでも首相の座に置いておいたら、日中戦争の悪夢もいつ現実のものになるや知れぬ、という危機感もわれわれにはあった訳である。習近平がおそらく転向したのではないかと思われる現況、当面その危機は薄らいだが、しかし無くなった訳ではない。中国国内でも権力闘争の暗闘はある。

当時から比して国内情勢が好転していると思える要素は無い。今のこの国は、アメリカに対しても、中露に対しても、こちらから何らの積極的な意思表示も出来ない小児的な国家に陥ってしまっている。それが一番の問題なのである。そればかりではない。国民も小児化が進行し、政治に対して意思表示することすらみずから進んで放棄しているかの如きである。


テレビの“街の声”を見ていると、能天気な20代のにーちゃんねーちゃんは別として、「政治にはもう何も期待していません」「誰がやっても同じでしょ」(共にテレビ局の一番大好物の“おいしい”コメントだ)などと言って棄権を表明しているのは、年の頃30~50代くらいで「趣味は読書です」という感じの、自分ではすごく頭が良いと思っていて他人を見下してすらいるけど実は全然大したことなくて情弱ですらある、(タレントでいうとNHKの教養番組に出てるアレみたいな感じの)女に多いという感じで、<色気のない女は選挙を棄権する>という新・マーフィーの法則が導き出せそうな感じである。

世界情勢が多極化へと目覚ましく流動化し始めているなかで、このまま既得権益を維持する為の悪企みにしか頭の働かない最凶最悪の談合集団・マスメディアの流布する無気力で鈍重で滞留した空気感に同化して迎合し続けているうちに、気が付いた時にはわれわれ自身が世界の活性化を阻害する世界の癌、国際社会
の中の暗黒地帯と化している可能性すらあるのである。事実その兆候は経済・軍事の両面においてすでに見られ始めている。

当事者意識の欠落したスタティックな“中立”ではなく、今こそ本来の能動的で生産的でダイナミックな“中立”の回復が求められる。

此の世が神と悪魔との戦いの場であるとするならば、少なくとも現在この日本では、マスメディアというツールを掌中に収めた悪魔の方が、圧倒的に優勢な状況である。この状況を放置したままで、われわれは変われるだろうか。

神と堕天使ルシファーとの間に天で戦いが起きた時、天使の三分の一は神の味方をし、三分の一はルシファーの支持をしたが、残りの三分の一は中立であったと云う。そして西洋の精神史において古代から中世を生き続けこんにちにその血脈を伝え続ける聖杯探索の伝説でも、幾多の苦難を乗り越えて富の源泉たる聖杯に辿り着くことの出来る英雄は、この最後の中立の天使たちの流れを汲む者、つまり「善悪の彼岸」に立てれる者でなければならないというのだ。

この選挙の結果如何にもよるが、政治の荒廃がこのまま継続されるか更に深化する様な事態が現在予想されている。本来大衆社会におけるまさに中立的存在であるべきとされるマスメディアが、悪魔の巣窟と化してしまっている現状を、こちら側から突き破って屹立する“中立”的冒険が決行されなければならない時も近そうである。その時に果たして「最後に残しておくべき矜持」を保持しているのかどうかは、自分にも分からない。



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2014年2月14日 (金)

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2014年2月 7日 (金)

毒を食え、叫べ

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小泉純一郎は、まだ叫んでいない。



東京都知事選において、細川・小泉チームの街頭演説は、他陣営よりも動員数や聴衆の反応において勝っているようだ。小泉節も健在のようである。しかし、“黙殺”というマスメディアの対抗手段の前では、その効果も限定的である。

一昨年の衆院選から昨年の参院選において遂行されたのと同じ手法・過程が、この都知事選でもまたぞろ繰り返されている。“舛添圧倒的に優位、原発は争点に非ず”という各社一斉の世論調査結果という名目の世論誘導。“細川・宇都宮が接戦”とし続けることで、反舛添票を分断させる巧妙さである。

それでも“まだ態度を決めかねている3割~4割の層”の動向次第では選挙結果はどうなるか分からない筈なのであるが、投票率を極力下げるべく明確な意図をもって選挙報道は低調に進行されている。

<2014年、NHKはもう “要ラン”>という天からのお触れでもあったのか、新年初っぱなの放送を大越健介のイラン・レポートから始めたNHKの『ニュース・ウォッチ9』は、この都知事選について何一つ触れようとしない状態がずっと続いているが、選挙最終週の今週には、海の向こうのタイにはしっかり出掛けて、選挙中断を巡る与野党勢力の攻防を現地レポートしていた。

一日で帰って来たが、どうせなら都知事選の終わる日曜日までそのままずっとタイにいて、彼の地での選挙動向をレポートし続けていた方が、「NHKとは何者か?」ということを視聴者に知らしめる良い機会だったろう。



自民・公明の基礎支持票が230万票ほどと推定されるなか、投票率が60%を超えるようなら細川陣営にも勝機有り、と目されるが、特命ムサシ班の出動があれば、それもどうか分からない。

このままでは、小泉純一郎も敗れ去る公算が大となる。“小泉劇場”も、所詮はマスメディアの全面支援があればこそ、化けの皮を剥がされたB層アイドルの惨めさよ、と指差され蔑まれ、笑い者になって、すごすごと退場するに甘んじるのか。

尤も、小泉にハナから勝つ気が無かった、とするのなら話は別だが。昨年小泉が唐突に脱原発宣言し、マスメディアが嬉々としてこれを報道しているのを観た時、アァこれはまた国民眼目眩ましの政界再編劇への布石だな、と思ったものである。事実そうだったのであろう。

脱原発か否か、のワン・イシューで、政治の大勢をネオリベ対米従属AチームとBチームに振り分けて表面上の対立構図を演じることで、その他の対抗勢力を陰に埋没させておく事が出来る。それに今から布石を打って置けば、福島第一原発がいよいよニッチもサッチも行かなくなったり、第二の原発事故が起こったり、ガン患者が急増したりして国民世論の大勢が「原発はやっぱりもう駄目だ」という方向に大きく傾いた時にも、その動きを吸収する保険にもなる。その為には、敗けても敗けても地方首長選の応援演説に立ち、脱原発を訴える姿を国民に見せ続け、一定の支持を集めておくだけで現況は効果有り、と観る考えも在る。

しかし小泉純一郎には勝つ事に対する執着が有るだろう。彼は日本共産党ではない。現在のマスメディアの中でもっとも小泉シンパと思われる朝日新聞まで含めての右へ倣えの“黙殺”攻撃に、心中穏やかではない筈だ。

その真意は、いずれ分かる時が来る。

小泉に本気で勝つ気があるのなら、本気で脱原発の首長を誕生させ、本気で安倍政権に決定的打撃を与えたいと思っているのなら、周回遅れの「原子力ムラ」批判のような綺麗事を並べ立てているだけでは駄目だ。それは“小泉劇場”にはならない。

小泉純一郎が今、大観衆の前で叫ばなければならない言葉はひとつである。


「抵抗勢力はマスコミだ!」



ーみなさん、抵抗勢力はマスコミなんです!わたしと細川さんがこうして老体にムチ打って、みなさんの前で懸命に脱原発を訴えて、みなさんがそれを熱心に聞いて下さり、こうして暖かい声援と拍手を下さる。このみなさんの熱気を、マスコミは一向に伝えようとしない。無きものにしようとしている!

ーみなさん、知っていますか?この選挙戦中の先月30日、東電は福島第一原発の1号機で、格納容器下部の破損配管から、1時間あたり最大3.4㌧の汚染水が漏れているらしい、と公表したんです。1時間あたり4.4㌧の注水をずっと続けている、その8割がずっと漏れ続けているんです。三つ壊れている原発のそのひとつ、その一箇所の破損配管での話ですよ。他にももっと漏れているんです!漏れ出した汚染水の放射線濃度は、1時間あたり最大237万シーベルトですよ。みなさん、こんな大きなニュース、ほとんどの人が知らなかったでしょう?だってテレビを見たって新聞を見たって、ぜ~んぜんこんなニュースやってないんだから!

ーみなさん、これもこの選挙戦中の話ですよ。NHKのラジオ番組で、東洋大の中北徹教授という人が、20年間その番組にレギュラー出演していた人ですよ、やはり先月30日の放送で「原発稼動のコストとリスク」というテーマで話そうとした。それでNHKのディレクターに原稿を渡したら、「これは絶対にダメだ。都知事選中に原発の話はしないでくれ」とそのディレクターに言われたんで、中北さんは怒って仕方無く番組を降りちゃったんです!脱原発は都民の関心が薄くて都知事選の争点にはならないとマスコミは言っている。しかし違うんですよみなさん!マスコミが脱原発を争点にすまいとしているんだ!抵抗勢力はマスコミだ!



「抵抗勢力はマスコミだ!」「マスコミをぶっ壊す!」 東京都で、あるいは山口でも京都でも、全国を駆け巡り、街頭で、大観衆の前で、叫びまくる。第二の“小泉劇場”は、第一の“小泉劇場”を反転することによって出現する。NHKがボロを出し始めた今が好機だ。

彼に生来備わっている怒りのポテンシャルがどの程度のものなのか、オレには分からない。もし噂通りの三文役者のそれに過ぎないのだとしたら、オレが今ここで述べているようなことは、すべて絵空事に終わるだろう。

大いに怒れることの出来る人は、それ自体がひとつの天賦の才能だ。怒りのポテンシャルの低い人を世間では“善い人”と称して讃えるが、オレはそのような考え方には与しない。社会の上層の所謂エリートと称される人達の怒りのポテンシャルが総体的に低いから、世の中がどんどんオカシくなって行っても歯止めが利かず、なあなあ、なあなあで、ズルズル崩壊の道を辿って行くのである。宇都宮健児は安倍のヤバさに対して少々鈍感なように見受けられる。(細川護煕はこの点明確に意識している。この違いは大きい。)

大いに怒り、大いに悲しみ、大いに喜ぶ才能に富む人は、それ故に、毒を食らうことが出来る。毒に愛されるのである。この毒は、福島第一原発でダダ漏れしている毒や、石破茂が辺野古で撒き散らした毒とは、種類が違う。

小泉純一郎がもしこのような毒を食えたなら、嵐が巻き起こる。疾風怒濤が湧き起こり、すべての汚れ穢れしモノを洗い流す、真の大嵐が訪れて、国土を覆い尽くす。彼はB層専用のニセ英雄の烙印から脱却して、真の国民的英雄になれるだろう。それは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康以来の、真に歴史的国民的英雄と言う意味だ。

彼が生涯三文役者で終わる程度のタマなのであれば、ここで何を言っても仕方無い。しかし彼に未だ眠れるポテンシャルが秘められていたとしても、小泉純一郎が毒を食らう為には、まずわれわれが小泉純一郎という毒を食わねばならない。それが人間同士の互酬性というものだろう。



宇都宮健児について言えば、今回は共産党の帽子を真っ先に被ってしまった政治オンチ振りがすべてである。この点は、どんなに強調しても強調し過ぎる事は無い。死票製造マシーン=自民党の補完勢力・日本共産党にはホトホトうんざりである。

世の趨勢を大局的に鑑みず、“正義”という己の孤高のポジションに在る事それ自体の価値を重視する人達が、世の中に一定数居るという事実は従来より認めていたつもりだが、予想以上にそういう人が多いようなのには少々驚きである。特に若年層にその傾向が強いように思うが、思い起こせばオレも20代の時に国政選挙で一度だけ、政権に対する抗議票の意味で共産党の候補者に投票したことがあった。今では己の人生における汚点の一つとして認識している。考えねばならないのは、今が抗議票というカタチの意思表示で充足して居れる時なのか?と言うことである。
(ついでに附言しておくが、、脱原発運動もそれから反TPP運動も、共産党なんかにくっ付いて行ったら、いずれ世間からオウム真理教扱いされるのがオチである。そしてそれこそが、まさに敵の“思う壺”なのである。)

本来この都知事選の重要な争点となるべきものに、脱原発とともに、東京都がまさに主舞台のひとつとなるであろう国家戦略特区の問題があった。細川・小泉の参戦によって、こちらの方が争点として後退してしまった、と言う批判は当たらないだろう。争点を決めるのはマスコミである。現に今も、馬鹿の一つ覚えで「景気・雇用対策」が争点の第一位と言い募りながら、景気・雇用に直接重大な影響を与えるこの国家戦略特区の問題については、ほとんど議論の俎上に載せようとしていないではないか。

舛添は国家戦略特区の最大積極活用を明言している。舛添の連呼する「世界一・・・」「世界一・・・」は、安倍晋三の「世界一企業が活動しやすい日本(=世界一大資本が富を収奪しやすい日本)を目指す」の「世界一」と連動している。冷静に、舛添都知事誕生を阻止する可能性の少しでも高い方法を、今は考えるべきである。

小泉程度の毒も食えないと言うのなら、オレとしては何をか言わんやである。カロリーメイトとサプリメントでも食って、ジョギングでもしてろ、という感じである。

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2013年12月31日 (火)

臨界

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何だか知らないが、ヘラヘラ、ヘラヘラ、笑っている。

NHKの腐敗振りが、臨界を越えてすさまじい。彼らを見ていると、今この国のさまざまなものが破局的に崩壊しつつあるという事が、逆説的に良く分かる。



緩慢に、無節操に、そして執拗に、一年中、ヘラヘラ、ヘラヘラ、笑い続けていた。笑っていない時には、親を喪った子供や、子供を喪った親のような「可哀想な人」を日本中から探し出しては、その人の処に行き、泣いてみせる。どちらにしても同じ事である。現実を冷徹に見つめ、未来を情熱的に思考・創造して行こうなどという気持ちがサラサラ無いどころか、そういう人がいたら積極的に足元を掬うのが、彼らの本分だ。

笑いは、安倍政権のスタートとともに、年初から始まった。春先には、民放各社も同じではあったが、NHKの報道番組の画面には、株価の上昇に頬を緩ませる個人投資家や、円安で利益増に鼻の穴を膨らませる自動車製造業者、それに舶来高級時計等の売上げが伸びていると嬉々として報告するデパートの高級品売り場の店員等の笑顔が、ひっきりなしに流れ続けた。「われわれのところには(景気の好転が)下りて来ているという実感はまだ無いねえ・・・」というタクシー運転手のこれもまたやや力無い笑顔。執拗に繰り返される強迫的な笑いの洪水のなかで、感覚は麻痺し、すべての他の重要懸念事項は後方に退いて行く・・・。

否、もうひとつ肝心な人達を忘れていた。しかしNHKは忘れていなかった。通常国会が閉会し、さあこれから参院選だというその日、6月26日だが、この報道機関として上半期の安倍政権の総括検証をすべき日にNHKの『ニュースウォッチ9』が赴いたのは、この半年余りの俄か投機ブームによって手数料収益の最大級の大幅増益を得た証券会社の社員の処なのであり、「ボーナスがたっぷり貰えそうなので、これで娘を希望の私立に入れてあげることが出来そうです・・・」と涙ぐむばかりに喜んで頭を下げる証券会社のオトウサンと一心同体になって、この“公共放送”の報道番組の取材キャスターは、共に頷き合うのである。



人間には素直さが大事だと云う。ならばここでひとまず彼等の流儀に沿って、その他のすべての重要懸念事項を忘れてみることにしよう。すなわち安倍政権がこのNHKを始めとするマスコミの好意的な笑いの防御網の下で進めていた、憲法96条の先行改正策の姑息さや、それに続くだろう大幅な国家至上主義的な憲法改正、集団的自衛権と武器輸出の容認化、TPP交渉への参加と、経済特区という名のプレTPP世界への策動 (2002年度版年次改革要望書における「構造改革特区」設立要求の実現)、それと同調する竹中平蔵流の「雇用流動化」の促進(=更なる非正規雇用の規制緩和)、消費税増税の実行と社会保障改革のなし崩し的形骸化、辺野古埋立てと原発再稼動への舵取り、トルコのような地震大国への原発の売込みなど、すべて一時的なモルヒネ効果による今この場の経済の好転さえ実現出来るならば、それに比べて取るに足らない瑣末な事項だと考えてみることにしよう。

彼らが常日頃それをわれわれに執拗に押し売りして来る通りに、彼らの笑いは安倍晋三の悪政を隠蔽し、参院選で自民・公明に安定多数を確保させる為の後ろ暗いプロパガンダ・キャンペーンの笑いなどではなく、彼らのわれわれに対する純粋な“善意”から発せられているのだと、最大限彼等の側に情状酌量して考えてみよう。彼等は彼等の“善意”から、われわれにとって最も重要だと彼等が考えるところのものを優先してわれわれに伝えて呉れているのだ、と仮定してみるのである。事実そう考えている人が世の中には結構多いのだ。なにしろ彼らはわれわれ日本国民に対する半強制的な受信料の徴収によってその身分を保証されている、“公共放送”なのであるから。

最大限彼らの側に立てば、彼らの“善意”はこう解釈できるだろう。つまり彼等はわれわれの“マインド”を変えてくれようとしてくれていたのだ。本当は暗くても、つまり円安による一部輸出企業の利益増加の一方で、輸入原材料や燃料の高騰で中小企業や一般家計に負担増がじわじわと重く圧し掛かっているという事実や、“異次元の金融緩和”とそれに伴う円安で国内外から市場に溢れたマネーが、株式や土地などの資産価格を押し上げ資産家の懐を暖めた一方で、相変わらず労働者の基本給は17ヶ月連続で減り続け、非正規雇用者の割合も増え続けていたとしても、明るい気分を演出して富裕層やNHKの中心的視聴者である高齢者層の財布の紐を緩めさせれば、その波及効果がいずれ日本中のすみずみにまで行き渡るかも知れないと、時代錯誤のトリクル・ダウン理論を盲目的に信じて、われわれの“マインド”を率先して鼓舞する為に、好況に授かっている人達を世の中から選び出しては、その笑顔をわれわれの前に届け続けてくれていたのだ、と。

しかし自動車産業だって、別に販売台数が伸びていたわけではない。トヨタの2013年4月~9月期の中間決算で、営業利益は前年同期比81%増の1兆2554億円と発表され報道各機関を賑わしたが、販売台数は前年同期比で4万8000台少ない446万8000台と微減にとどまっている。他社も大体同じような内実である。円安で一時的に利益が増えても、販売台数が増えなければ、設備投資や雇用増加や持続的な賃上げには繋がって行かない。

気弱に笑っていたタクシー運転手は、比較的富裕層の多い首都圏の人だったであろうから、あるいは多少は恩恵を受けているかも知れない。地方の人であったなら、それも無縁であろう。賃上げすればNHKの取材班が揉み手で会社まで飛んで来てくれるので、その広告効果を見越してベース・アップする企業も幾らかはあるだろうが、それでなくとも270兆円もの内部留保を溜め込んでいた大企業が、俄かに大判振舞いをすると考える方が不自然である。増税に社会保障費負担増と、今後消費マインドを冷え込ます要素には事欠かない。NHKが今後もなお“善意”の笑いをお茶の間に振り撒き続けようとするならば、彼等は嘘つきということになる。



株価の右肩上がりも落ち着いた参院選の前後には、福島第一原発における深刻な汚染水漏れの状況が次第に明らかになり、心ある国民はもとより世界中の人々の胸を痛ませたが、善意のNHKはここでも「気にするな」とわれわれに心強いメッセージを送り続けてくれた。

6月19日、東京電力は海から27m陸側にある2号機タービン建屋東側の地下水から高濃度トリチウム(法廷許容限度の30倍以上)、ストロンチウム(同8倍以上)が検出されたと発表。24日には井戸から北150メートル地点の港湾内の海水からも観測開始以来最も高い濃度のトリチウムが検出され、濃度は上昇傾向にあるとしたが、当初東電は海洋への汚染水流出の可能性は否定し続けた。しかしその後も次々と深刻な状態を告げる観測結果が明らかになり、安倍自民圧勝の参議院選挙翌日の7月22日、東電は一転汚染水の海洋への流出を認めることとなる。

8月7日、資源エネルギー庁は1-4号機に1日当たり約1000㌧の地下水が流れ込み、このうち約400㌧が建屋に流入。残り600㌧のうち300㌧がトレンチ(坑道)内の汚染源に触れ、高濃度の汚染水として海に放出されているとの試算結果を公表した。その後もタンクからの水漏れが発覚するなど東電の対応は後手後手に回り、国内外から批判の声が高まる中、この問題に対するNHKの終始一貫した報道姿勢として象徴的だったのが、9月3日のやはり『ニュースウォッチ9』であり、この日はようやくにして政府の原子力災害対策本部で安倍晋三が「政府が前面に立ち、解決にあたる。必要な財政措置を講ずる」と汚染水対策の基本方針を決定・発表した日だったのであるから、国内外の多くの人々が最注視していたこのニュースに当然多くの時間を割いて内容検証に当たるのが公共報道機関としての務めと思われたが、なぜか番組は冒頭から延々と相変わらずの“アベノミクス”礼賛報道に時計の針を振り戻し始めたかと思うと、唖然としているのもつかの間、「歌舞伎新世代の挑戦」と題したやはり長々とした芸能ルポがその後に続き、視聴者を見事に平穏安穏とした空間に寛がせてくれるのである。

結局その日の『ニュースウォッチ9』は最後の30秒ほどのスポット・ニュースでこの会議における安倍の顔を映しただけで、内容にはまったく踏み込まなかった。多くの専門家から疑義を唱えられている鹿島の凍土方式遮水壁についても、故障を繰り返している東芝のALPS(アルプス)についても、「金は出す」と決めただけで、その実効性にはいまだ不透明な点が多いというのにだ。しかし「気にするな」と励ましてくれるのであれば、内実についてシッカリ取材・報告した上でそうしてくれないと、いかな御人好しなNHK愛好家諸氏でも、さすがに不安を覚えて来そうなものである。いかな『みんなの歌』で回転寿司屋の歌を歌ってくれて、「寿司屋に行こう。魚を食べよう」と励ましてくれてもである。



すでにこの時点で、善意のNHKという仮定はものの見事に崩れ去り、報道機関という大義名分さえもあからさまに脱ぎ捨てて、際限無き後退と麻痺の澱みの中へと彼等が逃げ込んでいく可能性は充分に予見されたが、この汚染水問題でも頑なに国会を開かなかった安倍晋三が、10月15日にようやく召集した第185臨時国会は、50数日間という短い会期予定の中で国民生活にとっての重要法案が目白押しであり、報道機関にとってもその存在意義を問われるまさに全神経を集中すべき期間であったのだが、春先の投機熱も収束しつつあるなかで、さてどうするのかなと思って観ていたら、NHK夜9時の“報道”番組『ニュースウォッチ9』は、とうとう国会審議の模様をまったく取り上げなくなった。

たとえば10月17日。この日は衆議院本会議の三日目だ。初日の安倍晋三の所信表明演説に対しての野党各党の代表質問が行われた日であり、公明党井上義久45分、みんなの党渡辺喜美40分、日本共産党志位和夫33分、生活の党鈴木克昌26分の順に、それぞれ安倍政権に対する各党の基本的意見・疑義を公的に述べた、つまりは今国会でこれから何が問題になっていくのか、何が争点となるべきなのかを国民が知る為の、いわば国民にとっても報道機関にとっても、重要な問題点洗い出しのスタートとも位置付けられる日だったのだが、“公共放送”NHKの“報道”番組『ニュースウォッチ9』は、なぜかこれを視聴者にまったく伝えようとしないのだ。

その日、衆院本会議の各党代表質問を無視するにも値するような大きなニュースが幾つもあったのだろうか?

臨時国会が始まった日の夜更け、10月16日未明に、台風26号の直撃による伊豆大島の土砂崩れが発生し、多くの方々が犠牲となられた。冒頭その被害状況を伝えるニュースの後、福島県で沿岸漁業の試験操業が開始されるというニュースに続き、「次は国会のニュースかな?」と思って観ていると、“企業で夜の残業を控え、仕事効率の良い早朝出勤にシフトする動きが拡がりつつあるようです。”云々という陽気な掛け声とともに、画面はなぜか安穏とした空気のオフィス街に飛び、「早朝出勤にしてから時間を有効活用できるようになりました♪」という大手商社マンや、職場で朝のラジオ体操に興じ、体操のオネエさんからスタンプを押してもらって喜んでいるIT企業の社員達の笑顔が、次々に映し出される・・・。

不穏な気配を感じつつなおも観ていると、次に始まったのは数日前に運行を開始した寝台特急ななつ星の乗車レポート。最高クラスで一人あたり50万円以上もするという豪華クルーズの旅を楽しむリッチな中高年旅行者達と、相乗効果に期待する観光業者達のこれまた笑顔、笑顔、笑顔。そして“「嵐」の松本潤さんへの単独インタビュー”へと雪崩れ込み、それでその日の“ニュース”はお終いである。

翌週からは各委員会での審議が本格的にスタートする。NHKの不穏な笑いは止まらない。10月22日、この日はやはり予算委員会の本格議論の二日目で、民主・維新・みんな・共産・生活の党各党の質問が終日行われた日なのであるが、伊豆大島から一時避難する人達への取材ニュースと、ホテルの食品表示偽装関連のニュースを伝えた後、やはり“ろうそくの使用方法に意外な盲点が見つかりました。”云々という話なぜかが始まり、「ろうそく火災に気をつけましょう。」と注意を喚起された後、視聴者はまたしても街頭に飛ばされ、「この秋コンビニからホット炭酸飲料が新発売されます。お味はどうでしょう?」と、遂には“公共放送”の“報道”番組による企業宣伝までが堂々と始まり、唖然とさせられるのである。炭酸飲料の製造工場にまで出向いての長々としたPRの後、最後は習字イベントの話題になり、「毛筆で伝えよう、感謝の気持ち。」とヘラヘラ笑って終了。結局この日も国会はスルーである。

これ以上書き綴るのも馬鹿馬鹿しくなってくるが、その後も臨時国会開会中の50数日間、ずっとこんな調子だったのである。周知の如く、特別秘密保護法案に関しては委員会で担当大臣が支離滅裂な答弁を繰り返し、その法案のずさんさと恣意的運用の危険性が次々と明るみになっていたが、この模様もまったく伝えないし、そうかと思えばアヤシイ言語学者だかなんだかを引っ張り出してきて、「安倍首相の答弁には自信が漲っていますね」と愚にもつかないヨイショ・コメントだけには欠かさないのである。

報道の自由の侵害を指摘される特別秘密保護法案に対して沈黙し続けたNHKは、すでに自分達が報道機関で在ることを放棄した事をあらためて内外に知らしめたようなものだが、高級放送官僚の身分である彼等がこの法案に無関心である事はある意味自然な反応であるとしても、民主党政権時代から「社会保障と税の一体改革」なるものについて、その重要性と必要性と喫緊性、さらには与野党協議の意義についてまでもを、絶えず先頭に立って政府広報よろしく国民に向かって声高に説いてきた彼等が、その中間クライマックスともいうべき「社会保障制度改革プログラム法案」の審議が厚労委員会で紛糾し、自民・公明が強制動議で審議を打ち切り強行採決した11月15日、そして法案が衆院で可決された11月19日ともに、その中核番組『ニュースウォッチ9』でこれについて唯の一秒も触れないというのは、すでに彼等が報道機関では無いとしても、人間として許されることなのであろうか?

「社会保障制度改革プログラム法案」では、70~74歳の医療費窓口負担が1割から2割に引き上げられ、年金支給開始年齢も引き上げを検討など、「改革」とは名ばかりの負担増と保障費削減だけが目に付く。10月1日に先行決定されていた消費税税率の8%への引き上げと照合するに、まさに予想されていた通りの「社会保障と税の一体改革」という名の単なる増税に帰結した事が衆目に明らかになった訳だが、この件に関する限りNHKは、強行採決の事実と法案の内容よりも阿寒湖のマリモの生態や松任谷由実へのインタビューの方が国民の“マインド”にとって重要である、などといういかなる“善意”の言い訳も通用しない。



“見ザル、聞カザル、言ワザル、嘘ダケ言イ張ル。” NHKの罪深さは、そうした彼らの姿勢が、テレビ画面を通じて、視聴者にも蔓延していくという事だ。昔テレビドラマで流行した「腐ったミカンの方程式」そのものである。インターネットやSNSの普及により以前より政治・社会問題に精通し積極的に発言する人達が増えた一方で、そのような問題に無関心な人達はただ無関心なだけに留まらず、そうした問題に触れられるのを“怖れる”ようにすらなって来ているのである。NHKよろしく、「昨日の国会でさ・・・」と話を振った途端、なぜか“聞こえないフリ”をして、「マリモがさ・・・」とか「松任谷由実がさ・・・」と強引に話題を変えようとする人達が、最近、それも大の大人の男などの中に、実際にいるのである。

「ホット炭酸飲料がさ・・・」 内政問題には一切の無視を決め込む一方で、近隣諸国への不信や反感を煽る報道には、殊更熱心である。内政が腐敗すれば腐敗するほど、この傾向は今後よりエスカレートしていく可能性が高いだろう。



人間は、どこまで腐る事が出来るのか?

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«があがあがちょうのお出ましだ!(2012年総選挙で何が死んだのか?)

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